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人間を信じられなくなった薬草園は、落ちこぼれ魔女にだけ声を聞かせる~もふもふ精霊と育てる辺境の小さな奇跡~  作者: 明石竜


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第八話 香草パンと村の朝市

 朝市を翌日に控え、セルマのパン工房は、朝から目の回るような忙しさだった。

 作業台の上には、小麦粉の袋と蜂蜜の瓶、刻んだ木の実が所狭しと並んでいる。その傍らには、薬草園から運んできた陽だまり花と朝露ミントも置かれていた。

「次は、陽だまり花のパンを二十個だよ! ミルカ、花びらの分量を見ておくれ」

「はい。香りが強くなりすぎないように、少しずつ混ぜます」

 ミルカは乾燥させた花びらを量り、生地へ加えていった。

 以前、一緒に作り上げた、陽だまり花と蜂蜜のパン。それを朝市で売り出すため、今日はまとまった数を焼くことになっていた。

「朝露ミントの方は、エルナが袋を用意してくれてるよ。商品名も考えたってさ」

「商品名まで?」

「商売のことになると、あの子は仕事が早いからねえ」

 セルマは豪快に笑いながら、大きな生地の塊を手際よく切り分けていく。

 作業台の端では、ポフが興味深そうに、生地を前足でつついていた。

「ポフ、触ったら駄目ですよ」

「我も手伝うと言うたではないか。これは、生地の状態を確かめておるのじゃ」

「前足でつつくのは、手伝いとは言いません」

「ふむ。だが、この柔らかさはなかなか――む?」

 ポフの前足が、生地の中へずぶりと沈んだ。

「ぬ、抜けぬ! ミルカ、助けよ!」 

「だから、触らないでくださいって言ったのに!」

 ミルカが慌てて前足を引き抜こうとする横で、セルマが腹を抱えて笑い出した。

「はっはっは! 白い毛玉が、小麦粉でますます真っ白になっちまったね! 洒落が効いてるじゃないか!」

「わ、笑うでない! これは名誉ある事故じゃ!」

「どこが名誉なんですか。今日はもう、パン作りは見学だけにしといてください」

 粉だらけの姿で、ぷりぷりと抗議するポフを、ミルカは笑いながら井戸端に運んで、丁寧に洗い流してやった。

 結局、ポフは工房の隅へ移され、それ以降は味見以外の仕事を禁じられた。


             ☆


 朝市の日、村の広場には、いつもより多くの露店が並んでいた。

 セルマの屋台には、湯気を立てる香草パンが山と積まれ、通りかかる村人たちの目を引いていた。

「新作だよ! 薬草園の香草を使った、香りのいいパンだ! 一つ食べてみとくれ!」

 セルマの威勢のいい呼び込みに、何人かの村人が足を止めた。

「薬草園のものを使ってるのかい?」

 一人の女性が、不安そうにパンを覗き込む。

「ああ。でも薬じゃないよ。香りづけに、ほんの少し使ってるだけさ。ノエリアにも確かめてもらってる」

「味は、あたしが保証するよ!」

 エルナも横から声を上げた。

 それでも、村人たちはすぐには手を伸ばさなかった。

 すると、羊飼いの男性が人垣の中から進み出た。

「じゃあ、俺が一つもらおう。ここの薬草には、羊たちも助けられたからな」

 男は朝露ミントのパンを買い、その場で一口齧った。

「……うまいな。薬草臭くもない。後味がさっぱりしてる」

 その一言をきっかけに、周囲の村人たちも、少しずつ屋台へ近づいてきた。

「これ、朝露ミントの? へえ、さっぱりしてて美味い」

「陽だまり花の方も、甘くて子どもが喜びそうだ」

 ミルカは屋台の傍らで、その様子を見守っていた。自分の育てた薬草が、こうして誰かの朝の食卓に並ぶ。それは、薬として使われるのとはまた違う、素朴な嬉しさがあった。

「見て見て、ミルカ! すごい人気だよ!」

 エルナが興奮した様子で、屋台に群がる村人たちを指差す。ミルカも思わず、頬が緩んだ。

 そんな中、ふと視線を落とすと、傍らにいたはずのポフの姿が見当たらない。

「ポフ?」

 辺りを見回すと、案の定、パンの山の前でこっそりと一つを頬張っているポフの姿があった。

「こら、ポフ! それ、売り物です!」 

「い、いや、これは……味の確認をしておったのじゃ! 薬草園の守り精霊として、当然の務め……」

 言い訳をしながらも、ポフの頬は、パンの欠片で膨らんでいる。それを見たセルマが、豪快に笑い出した。

「はっはっは! いいさ、いいさ! そんなに気に入ってくれたなら、もう一つ食べなっ!」

「ほ、本当か!?」

「セルマさん、あんまり甘やかさないでください……」

 困ったように言うミルカだったが、嬉しそうにパンを頬張るポフの姿に、思わず笑ってしまう。傍らでは、その様子を見た子どもたちが「白いもふもふが喋ってる!」と目を輝かせて集まってきていた。

「ねえねえ、それ、もう一個食べていい?」

 子どもの一人が、無邪気にポフに尋ねる。

「な、ならぬ! これは、我の――いや、薬草園の商品じゃ。おぬしらは、ちゃんとお代を払わねばならぬぞ」

 偉そうに言い放つポフだったが、子どもたちに、わしゃわしゃと撫で回されると、あっという間に、でれっとした表情になってしまう。

「ふ、ふん。撫でるくらいなら、許してやらんこともない」

「ポフちゃん、気持ちよさそう!」

「白いもふもふ、もっと撫でていい?」

「よ、よいぞ。もっと、褒め称えるがよい」

 すっかり子どもたちのアイドルと化したポフの姿に、ミルカは思わず苦笑を漏らした。

 朝市は、和やかな空気に包まれていた。薬草園で採れたものが、こうして村の人々の笑顔に繋がっていく。ミルカはその光景を見つめながら、じんわりと胸が温かくなるのを感じていた。

             ☆

 昼を過ぎて、朝市がそろそろ落ち着いてきた頃、ミルカのもとに、一人の老人が近づいてきた。腰の曲がった、村の中でも特に年配らしい男だった。

「あんたが、薬草園の新しい魔女さんかね」

「はい、ミルカ・ラウレルです」

 老人はしばらく、ミルカの顔をじっと見つめていた。

けれど、やがて周囲を確かめるように視線を巡らせ、声を落とした。

「悪いことは言わん。薬草園のことは、あまり目立たせん方がいい」

「え……?」

 思いがけない言葉に、ミルカは戸惑った。

「せっかく、村のためになる薬草を育てておるんじゃろう。じゃが、あんまり評判が広まって、王都にまで知られるようなことがあれば……また、同じことが起きるかもしれん」

「また、同じこと、というのは」

 ミルカは思わず、身を乗り出すように尋ねた。老人の表情に、一瞬、深い翳りがよぎる。

「……いや、わしの口からは、言えん話じゃ」

「教えてください。薬草園に、何があったんですか?」

「すまんな。年寄りの、余計な口出しじゃった。とにかく、気をつけなされ」

 老人はそう言い残すと、そそくさとその場を離れていった。呼び止めようとしたが、老人の足取りは思いのほか速く、人混みの中に紛れて見えなくなってしまう。

 ミルカはその後ろ姿を見つめながら、胸の内にざわりとした不安が広がるのを感じた。先ほどまでの朝市の賑わいが、急に、遠いものに感じられる。

「ポフ、今の……」

「聞いておった」

 いつの間にか隣に来ていたポフが、珍しく真剣な表情をしていた。先ほどまでの、子どもたちに撫でられて緩みきっていた顔とは、まるで別人のようだった。

「王都に知られれば、また同じことが起きる、か。……薄々、感じてはおったが」

「ポフは、何か知ってるんですか?」

 ミルカが尋ねると、ポフはしばらく沈黙したあと、小さく首を振った。

「はっきりとは、思い出せぬ。じゃが……あの言葉を聞いて、胸の奥が、妙にざわつく」

 ポフのしっぽが、心なしか力なく垂れている。それは、これまで見たことのない、どこか怯えたような様子だった。

 ミルカは、薬草園が荒れ果てていた理由――それが単なる自然の摂理ではなく、何か人為的な出来事によるものだったのではないかという疑いを、これまで以上に強く感じ始めていた。

「王都が、薬草園に何かをした……ということでしょうか」

「……分からぬ。じゃが、あの老人の顔つき、ただの噂話をする顔ではなかった」

 ポフの声には、重い響きがあった。

             ☆

朝市の後片付けを終え、薬草園に戻る道すがらも、老人の言葉がミルカの頭から離れなかった。

 あの一言の裏に、いったいどんな過去が隠されているのだろう。

 薬草園の門をくぐり、月灯り草の畝を見つめながら、ミルカはそっと息を吐いた。

(薬草園を育てるだけじゃ、終われないのかもしれない)


 夕暮れの薄闇の中、薬草園の奥に目を向けると、あの黒ずんだ蔓の気配が、ほんのわずかに以前より濃くなっているように感じられた。

「ポフ、大丈夫でしょうか、薬草園」

「……分からぬ。じゃが」

 ポフはそう言うと、ミルカを見上げ、いつになく真剣な声で続けた。

「何が起ころうと、おぬしは一人ではない。我がおる。それだけは、忘れるでないぞ」

 その言葉に、ミルカは小さく頷いた。

 胸の奥に残っていた不安が、ほんの少しだけ軽くなった気がした。

 夜風が薬草園の枯れ草を、かすかに揺らしていた。

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