第二十話 土地の声を聞く魔女
「測定値は正常です。術式にも異常はありません」
測定器を確認していた記録係が、困惑したように答える。
「止めてください!」
ミルカは叫んだ。
「これ以上続けたら、本当に、この土地が壊れてしまいます!」
「術式を停止しろ!」
今度はリュカが声を上げた。
部下たちが驚いたように彼を見る。
白髪交じりの役人も、厳しい視線を向けた。
「リュカ・ヴェルナー。調査官である貴殿が、正式な測定を止めるのか」
「異常が目の前で起きています。手順よりも、まず土地の状態を確認すべきです」
「その判断は、命令への不服従として記録される可能性があるぞ」
リュカの顔が強張った。けれど、萎れていく月灯り草を見たあと、もう一度役人へ向き直る。
「構いません。調査官の役目は、決められた数値を持ち帰ることではなく、現地で起きた事実を正しく報告することです」
短い沈黙のあと、役人が術式の停止を命じた。
杭から光が消える。
それでも、薬草たちは起き上がらなかった。
「ポフ!」
振り返ると、ポフは小さな体を震わせていた。白かった毛並みから光が失われ、しっぽも力なく地面へ垂れている。
「また、奪うのか……」
かすれた声が漏れた。
「昔と、同じように……」
ミルカはその場に膝をつき、両手を土へ触れさせた。
冷たい。
けれど、まだ失われてはいない。
土の奥で無数の小さな声が、身を寄せ合うように震えている。
(怖い)
(取られる)
(また、空っぽになる)
それは薬草の声だけではなかった。この土地に残された、古い記憶だった。
「大丈夫です」
ミルカは土へ語りかけるように囁いた。
「もう、勝手に持っていかせません。ここにいるみんなで、あなたを守ります」
「ミルカ、何をすればいい?」
エルナが、門の外から駆け寄ろうとした。
「待ちなさい」
役人が鋭く制した。
「調査区域への無断立ち入りは認められない」
その言葉に、エルナの足が止まる。
すると、オルト村長が人々の前へ進み出た。
「これは公開調査のはずです。そして今、調べられておるのは、わしらの村の土地じゃ」
村長は役人の視線を受け止めながら、穏やかな声で続けた。
「土地が傷ついておるのに、村人が手を出すことさえ許されぬというのなら、それは調査ではなく、接収と同じではありませぬか」
役人は答えなかった。
その沈黙を許可と受け取ったように、エルナがミルカの傍へ駆け寄る。
「水路を開いてください。土の中に熱がこもっています」
「分かった!」
「ノエリアさん、月灯り草を見てください。根を傷めたものだけ、教えてください」
「任せてください」
「セルマさんたちは、杭の周りの硬くなった土をほぐしてください。一度に深く掘らず、少しずつお願いします」
村人たちが一斉に動き始める。
カリナも杖を握って、一歩進み出た。
「私は、何をすればいい?」
「カリナ・オルブライト」
白髪交じりの役人が、再び厳しい声を上げた。
「王都所属の魔法師が、許可なく調査術式へ干渉すれば、懲戒の対象となり得る。分かっているのか」
カリナの杖先が、わずかに揺れた。
学院時代から築いてきた評価。警護魔法師団に配属され、優秀な魔法師として将来を期待されている立場。そのすべてを失うかもしれないという言葉だった。
カリナは一度、胸元の魔法師団章に触れた。
それから、萎れた芽へ視線を落とす。初めてこの薬草園を訪れた時、自分の魔法で傷つけてしまった小さな種。その記憶が、青い瞳の奥をよぎった。
「分かっています」
カリナは魔法師団章から手を離した。
「だからこそ、今度は黙って見ているわけにはいきません」
役人が眉を寄せる。
「学院で得た魔法が土地を傷つけているのなら、それを止めるのも、学院で学んだ私の責任です」
カリナはミルカへ向き直った。
「何をすればいい?」
「結界で押さえ込まないでください。外から流れ込む強い魔力だけを、少し弱めてください。この土地が、自分で流れを整えられるように」
「……分かったわ」
カリナは杖を下ろし、これまでよりも小さな結界を作った。
土地全体を覆う硬い壁ではない。外から押し寄せる強すぎる力だけを和らげる、薄い膜のような結界だった。
ポフが震える足で立ち上がる。
「我が、地中の流れを導く。ミルカ、おぬしは声を聞き続けよ」
「はい」
水路から流れ込んだ水が、乾いた畝へ染み込んでいく。
村人たちの手で土がほぐされ、滞っていた魔力が、少しずつ本来の流れを取り戻していく。
やがて、閉じていた月灯り草の葉が、かすかに開いた。
一つ。
また一つ。
青白い光が、弱々しく、それでも確かに戻ってくる。
井戸を覆っていた濁りも、ゆっくりと底へ沈み始めた。
役人たちは、誰一人として言葉を発さず、その光景を見つめていた。
「なぜだ」
白髪交じりの役人が、ようやく口を開いた。
「我々の術式も、君の魔法も、土地の魔力へ働きかけている点は同じはずだ。なぜ、君の方法だけを、この土地は受け入れる」
ミルカは土に触れたまま答えた。
「私は、この土地を動かしているんじゃありません」
月灯り草の光が、ミルカの指先を淡く照らしている。
「この土地が自分で立ち直れるように、何が必要なのかを聞いているだけです」
「聞く……?」
「薬草も、土も、精霊も、王都の命令通りに動くための道具ではありません。ここで暮らす村の人たちと同じように、それぞれの時間と都合があります」
ミルカは、村人たちを見回した。
「だから、一人の魔法師が力で管理するだけでは、この薬草園は守れません。この土地の声を聞く人と、育てる人と、使う人が、一緒に関わる必要があるんです」
役人は何も答えなかった。
ただ、先ほどまで高い数値を示していた測定器と、村人たちの手によって再び光を取り戻しつつある薬草を、交互に見つめていた。
測定杭を使わない範囲で調査が再開されると、ミルカは深呼吸をして、もう一度役人たちの前へ進み出た。
「今、見ていただいた通り、この薬草園は、土地と精霊と村の人たちが一緒に関わることで保たれています」
ミルカは、月灯り草の畝へ目を向けた。
「ここで育つ薬草は、診療所で人を助け、家畜を守り、村の商品にもなっています。希少な薬草だけを優先して管理すれば、この場所が村の暮らしを支えてきた在り方は失われてしまいます」
その訴えに、役人は、しばらく沈黙していた。
「証言があるなら、聞こう」
役人の言葉に、ノエリアがゆっくりと前に進み出た。
「私は、村の治療師です。この薬草園の薬草が、村の医療に、どれほど貢献してきたか、記録を持ってきました」
ノエリアは、丁寧にまとめた記録帳を、役人に手渡した。
「メリルという少女の咳の治療、放牧地での羊たちの不安症状、急な発熱への対応――すべて、この薬草園の薬草があったからこそ、成し得たことです」
役人は、その記録を、じっくりと目を通していく。数値と観察が丁寧に記された、信頼できる資料だった。
「これは……確かに、詳細な記録だ」
役人の表情に、わずかな変化が見えた。
続いて、エルナが、明るい声で進み出た。
「あたしは、雑貨屋の娘です! 薬草茶や香草パンとして、この薬草園の恵みを、村の商品として広めてきました。朝市でも大人気で、村の経済にも、しっかり貢献してるんです!」
エルナの元気な証言に、役人たちの間から、小さなざわめきが起きた。
「経済的な効果も、無視できないな」
最後に、オルト村長が、重々しく前に出た。
「わしは、この村の村長として、証言せねばならぬことがある」
村長の声には、深い決意が滲んでいた。
「かつて、この村は、王都からの支援と引き換えに、薬草園の魔力を差し出した。じゃが、その結果、王都の魔法師たちが、約定を超えて力を吸い上げ、薬草園を枯らしてしまった」
その告白に、役人たちの間に、明らかな動揺が走った。
「なんじゃと……!? そのような記録は、我らの手元にはない」
「わしらも、この過ちを、長年、隠しておった。じゃが、今度は、隠さぬと決めた。薬草園を、二度と、あの過ちの繰り返しにするわけにはいかぬ」
村長の告白は、その場にいた全員に、重く響いた。
☆
村人たちの証言を聞き終え、役人たちはしばらく記録帳と薬草園を見比べていた。
「リュカ・ヴェルナー、貴殿の調査報告は、いかなるものか」
役人の一人が、リュカに向き直った。リュカは、深く息を吸い、まっすぐに前を見据えた。
「私は、調査官として、この土地を客観的に観察してきました。……その上で、正直な報告をさせていただきます」
リュカは、回復しつつある畝を見渡した。
「王都の画一的な管理では、この土地の安定を保てません。一方、土地の声を聞くミルカ、守り精霊、そして村人たちによる管理では、魔力の循環が安定しています」
リュカは、はっきりと続けた。
「土地と精霊と村人による共同管理こそ、この薬草園に最も適した在り方だと判断します」
その報告に、役人たちの間に、重い沈黙が流れた。
☆
「カリナ・オルブライト。貴殿の見解も、聞かせてもらおう」
役人に問われ、カリナはゆっくりと一歩進み出た。
「リュカ先輩の報告に同意します」
カリナは銀色の測定杭と、再び光り始めた月灯り草を順に見た。
「私は以前、この土地を強い魔法で整えようとして、傷つけたことがあります。そして今日、王都の測定術式でも同じことが起きました」
カリナは役人たちをまっすぐに見た。
「これは偶然ではありません。この土地には、力を一方的に加える管理そのものが適していないのだと思います。ミルカたちの方法を、正式な管理方法として認めるべきです」
カリナの証言に、リュカが驚いたように彼女を見た。学院時代、常に成果を求めていたカリナが、こうして自らの過ちを認め、変化を語る姿は彼にとっても意外なものだったのだろう。
☆
すべての証言を聞き終えた役人たちは、しばらく、額を寄せ合って協議を続けた。ミルカたちは、その様子を、緊張しながら見守る。
その緊迫した沈黙の中、ふと、ポフが、待ちきれなくなったのか、大きなあくびをした。
「ふわ……。話し合いとは、退屈なものじゃな」
「ポフ、静かにしていてください」
「我は朝から働き通しなのじゃぞ。少しくらい休ませよ」
小声で言い返しながら、ポフはいつの間にか残していた干し肉を取り出し、こっそり齧り始めた。
白髪交じりの役人がその姿を見て、わずかに口元を緩めた。
「精霊様は、なかなか、正直な御方のようだ」
村人たちの間にも、小さな笑いが広がった。張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ、和らいだ瞬間だった。
やがて、代表の役人が重々しく口を開いた。
「本日の調査、及び関係者の証言を踏まえ、以下の通り、暫定的な決定を下す」
村人たちの間に、緊張が走った。
「本土地の完全な王都管理下への移行は、見送ることとする。ただし――」
役人は一呼吸置いてから、続けた。
「今後の管理体制について、村と精霊、及び王都との協議を、改めて行う必要があると認める。石碑に記された古い契約についても、詳細な調査が必要であろう」
「では……!」
ミルカが、思わず声を上げる。
「一時的に、薬草園は村の管理下に置かれることとなる。ただし、王都としても、この土地の動向を注視し続ける」
その言葉に、村人たちの間から安堵のどよめきが広がった。強制的な接収は、免れたのだ。けれど、それはあくまで一時的な猶予に過ぎないことも、ミルカははっきりと理解していた。
☆
役人たちが村を去っていったあと、ミルカは深く息を吐いた。
「良かった……。ひとまずは」
「ひとまず、じゃな」
傍らでポフが呟いた。
「王都の目は、まだ、この土地から離れておらぬ。石碑の契約が、はっきりと解き明かされねば、いずれ、また同じ問題が起きるやもしれぬ」
「そうですね……。それより、ポフ、口にまだついてますよ」
ミルカが指摘すると、ポフは慌てて舌で口元を舐め取った。
「な、なにゆえ、この重要な局面で、そのような些細なことを――」
「重要な局面だからこそ、格好つけてほしいんです」
思わず突っ込むミルカに、リュカとカリナも堪えきれずに小さく笑い声を漏らした。
ミルカは、森で見つけた石碑の欠片のことを、改めて思い出した。あの一文――「土地は所有されるものではなく、共に息づくもの」。その言葉の本当の意味を、もっと深く理解し、王都にも、村にも、伝えていく必要がある。
「リュカ先輩、カリナさん、ありがとうございました」
ミルカが、二人に向かって、深く頭を下げた。
「私は調査官として、あるがままを報告しただけだ」
リュカはそう言いながらも、その表情には確かな安堵が滲んでいた。
「私も、ようやく、自分の目で見たものを、正直に語ることができた気がするわ」
カリナも、穏やかに微笑んだ。
夜の帳が下りる薬草園に、月灯り草の淡い光が静かに揺れていた。




