第十七話 小さな薬草園会議
王都の役人たちが村へ向かっているという知らせを受け、ミルカは村長と相談の上、村人たちを集めて話し合いの場を設けることにした。
村の集会所には、次第に人が集まってきた。エルナとセルマ、ノエリア、羊飼い、メリルの母親、そして、これまで薬草園に関わってきた多くの村人たち。オルト村長も、深刻な表情で、席の中央に座っている。
開始前、緊張した面持ちで資料を整理していたミルカの足元に、ポフが、ちょこんと寄り添った。
「緊張しておるな」
「はい、少し……」
「案ずるな。もし言葉に詰まったら、我が、代わりに吠えてやろう」
「それ、余計に混乱すると思います」
「試す価値はある」
真顔で提案するポフに、ミルカは緊張の中でも思わず小さく笑ってしまった。おかげで、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
「今日、皆さんに集まっていただいたのは、薬草園の今後について、一緒に考えていただきたいからです」
ミルカは緊張しながらも、はっきりとした声で切り出した。
「王都から、薬草園を管理下に置くという命令書が届きました。このままだと、薬草園は、王都の資源として、希少薬草の栽培を優先する場所になってしまうかもしれません」
その言葉に、集会所がざわめいた。
「そんな……せっかく、いい薬草茶やパンができるようになったのに」
「王都に取られちまったら、あたしらの暮らしは、どうなるんだい」
村人たちの不安げな声が、次々と上がる。中には、諦めたような表情を浮かべる者もいた。
「王都に逆らったところで、この村が勝てるわけがない」
「昔だって、そうだったじゃないか。王都の言うことには、逆らえなかった」
その言葉に、村長が深く頷いた。
「うむ。かつて、この村は、王都の支援と引き換えに、薬草園を差し出してしまった。その苦い記憶が、皆の心に、まだ深く残っておるのじゃろう」
重い沈黙が広がる中、メリルの母親がゆっくりと立ち上がった。
「私は……薬草園に、助けられました。メリルの咳が、あの薬草シロップのおかげで、ずいぶん楽になったんです」
その声は震えていたが、はっきりとしていた。
「あの子が、ようやく夜、ぐっすり眠れるようになった時、私は、本当に嬉しかった。薬草園がなければ、今も、あの子の咳に、悩まされ続けていたと思います」
その言葉に続いて、羊飼いも立ち上がった。
「わしも、あの影根草の一件では、ミルカ様に、本当に助けられた。羊たちが、また安心して眠れるようになった時のことは、忘れられねえ」
二人の証言に、村人たちの間に、静かなざわめきが広がった。
「あたしも!」
セルマが、勢いよく立ち上がる。
「薬草園の香草があったから、うちのパンは、新しい名物になった。朝市でも、あんなに評判になったのは、初めてのことだよ」
「私も」
エルナも、続いて立ち上がった。
「薬草茶を作って、村のみんなに届けられたこと。あたしにとって、すごく誇らしいことなの。ミルカと一緒に、この薬草園で、たくさんのものを作ってきた」
「私も、証言できることがあります」
ノエリアが手を挙げた。
「薬草園の薬草は、村の診療所にとって、なくてはならないものになっています。メリルちゃんの咳、急な発熱の子ども、様々な症状に対して、私一人の知識だけでは、対応しきれなかったケースが、何度もありました」
ノエリアは、これまで積み重ねてきた記録帳を、皆に見せた。
「これは、薬草園と診療所が協力してきた記録です。この薬草園が、ただの荒れ地ではなく、村の暮らしに、深く根付いた場所だということが、ここに証明されています」
次々と重なる証言に、村人たちの表情が、少しずつ変わっていった。それぞれが、薬草園に助けられた記憶を、思い出していく。
「そういえば、うちの婆さんも、あの香草石けん、気に入ってたっけ」
「うちの子も、あの薬草茶で、風邪の治りが早くなったって言ってたな」
小さな声の証言が、ひとつ、またひとつと重なっていく。荒れ果てていた薬草園が、いつの間にか村の暮らしの一部になっていたことを、皆が、改めて実感しているようだった。
その空気を和ませるように、集会所の隅に座っていた老人の一人が、ふと、思い出したように笑った。
「そういえば、あの白い毛玉、うちの婆さんの膝の上で、丸一日寝ておったことがあってな」
村人たちの視線が、一斉にポフに向く。
「な、なにゆえ、その話を今する!」
「気持ちよさそうにいびきかいておったぞ」
「い、いびきなど、かいておらぬ! あれは、深い瞑想じゃ!」
むきになって否定するポフの様子に、集会所に、思わず笑い声が広がった。張り詰めていた空気が、ふっと和らぐ。
「まあまあ、精霊様も、それだけ村に馴染んでおるということじゃろう」
村長が、目を細めながら言うと、ポフは、ばつが悪そうに、ぷいと顔を背けた。それでも、その様子に、集まった人々の顔に、自然な笑みが浮かんでいた。
だが、その笑いの輪に加わらない者が一人だけいた。
集会所の後ろに座っていた、畑仕事を営む中年の男だった。腕を組んだまま、厳しい表情で皆を見渡している。
「薬草園に助けられた人たちの気持ちは分かる」
低い声に、集会所の笑いが静まった。
「だが、王都に逆らえば、薬草園だけでは済まないかもしれない。王都の商会は、うちの村の小麦や豆を毎年まとめて買い上げている。その取引を止められたら、どうする」
「それは……」
誰かが言いかけたものの、その先を続けられなかった。
「王都から届く薬や農具だってある。薬草園を守るために王都の機嫌を損ねて、村全体が冬を越せなくなったら、いったい誰が責任を取るんだ」
男の言葉に、何人かの村人が不安そうに顔を見合わせた。
薬草園を守りたいという思いだけでは、消せない心配だった。
「昔、この村が薬草園を差し出したのも、同じような理由だった」
オルト村長が、穏やかに答えた。
「当時の者たちは、村人を飢えさせぬために、それしかないと思うた。おぬしの心配は、決して間違っておらぬ」
「だったら、今度も王都に任せた方がいいんじゃないのか」
「いや」
村長は、ゆっくりと首を振った。
「その選択が、薬草園だけに犠牲を押しつけるものだったからこそ、わしらは三十年以上も苦しんできたのじゃ。じゃが、守るという言葉だけで村人の暮らしを危険にさらしてよいわけでもない」
村長はミルカへ目を向けた。
「ミルカ様。薬草園を守りたいという気持ちだけでは、この者の不安には答えられぬ。王都と話し合うための、具体的な方法が必要じゃ」
集まった人々の視線が、ミルカへ向けられる。
すぐに答えは浮かばなかった。
王都に逆らっても、何も失わないとは約束できない。薬草園を守れば、必ず村が豊かになるとも言い切れない。
「……私には、村の暮らしを絶対に守れるとは言えません」
ミルカは正直に答えた。
男の表情が、さらに険しくなる。
「でも、何も話し合わずに薬草園を渡してしまえば、この村はこれからも、王都の判断に従うしかなくなります」
「それは、理屈だ」
「はい。理屈だけでは、冬は越せません」
ミルカはそれを認めたうえで、続けた。
「だから、薬草園が村の医療や暮らしに必要だという記録を揃えます。王都への供給をすべて拒むのではなく、村で必要な分を先に確保する条件も提案します。エルナさんたちと、王都以外の売り先も少しずつ探します」
ミルカは、ノエリアの記録帳へ目を向けた。
「薬草園だけでなく、村の畑や商売も守れる形を、皆さんと一緒に考えたいです」
「それが、うまくいく保証はあるのか」
「ありません」
ミルカは、迷いながらも首を振った。
「でも、保証がないから最初から諦めるのではなく、何を守るのか、何なら譲れるのかを決めたうえで、王都と話し合いたいんです」
男は納得した様子を見せなかった。
「俺は、そんな危ない賭けに家族を巻き込みたくない」
そう言って腕を組み直す。
その反対意見を否定できる者は、誰もいなかった。
沈黙が流れたあと、村長がゆっくりと立ち上がった。
「かつて、この村は、薬草園を、村を守るための犠牲として、差し出してしまった。……その過ちを、二度と繰り返してはならぬ」
村長の声には、深い後悔と決意が滲んでいた。
「今度こそ、村全体で、この薬草園を守るべきじゃ。ミルカ様一人に、すべてを背負わせるわけにはいかぬ」
その言葉に、集まった村人たちの間から、次々と声が上がり始めた。
「わしも、畑仕事なら手伝える」
「あたしは、薬草の記録をつけるのを、手伝えるよ」
「朝市で、薬草茶やパンを売るのは、任せておくれ」
「森に詳しい者もおる。聖獣の話も含めて、力になれるかもしれん」
一つ、また一つと、村人たちが、それぞれのできることを申し出ていく。ミルカは、その温かい声の重なりに、胸が熱くなるのを感じた。
それでも、先ほどの男だけは立ち上がらなかった。
「俺は、まだ賛成とは言えない」
喜びかけていた人々の間に、再び静けさが戻る。
「王都との取引を失うかもしれない以上、畑を手伝うとも、署名に名を連ねるとも約束できない。家族の暮らしを、先の見えない話に預けることはできん」
男はミルカをまっすぐに見た。
「ただし、皆が薬草園を守ろうとするのを、邪魔するつもりもない。王都との話し合いで、村の畑や取引をどう守るのか。それを見せてもらってから、俺は決める」
「はい」
ミルカは頷いた。
「今すぐ信じてくださいとは言いません。心配なことがあれば、これからも話してください」
オルト村長も、男の言葉を受け止めるように頷いた。
「全員が同じ気持ちにならねば、前へ進めぬわけではない。反対する者の不安も含めて、村の意見として王都へ伝えよう」
村全体が一つになったわけではない。
それでも、違う意見を隠さず、それぞれの立場から薬草園の未来を考え始めたこともまた、以前の村にはなかった変化だった。
「私一人では、できないことが、こんなにたくさんの人の力で、できるようになるんですね」
ミルカが感慨深げに呟くと、隣に座っていたエルナが明るく笑った。
「当たり前じゃない! ここは、もう、あなただけの薬草園じゃないんだから」
「エルナさん……」
「みんなで育ててきた場所は、みんなで守るものだよ」
その言葉に、ミルカは深く頷いた。
村人たちは、それぞれの役割を分担し始めた。畑仕事を担う者、薬草の記録をつける者、朝市で商品を広める者、森の詳しい知識を持つ者。小さな共同体としての新しい形が、少しずつ生まれつつあった。
傍らで、その様子をじっと見つめていたポフが、ぽつりと呟いた。
「これが……本来の契約の形なのかもしれぬ」
「ポフ?」
「かつての契約は、村と精霊が、対等に力を分かち合う約定じゃった。じゃが、それは、本来、村人たち一人一人の力が、支え合って初めて成り立つものじゃったのかもしれぬ」
ポフの声には、深い感慨が滲んでいた。
「王都のように、一方的に力を奪うのではなく……皆が、少しずつ、その手で育てていく。それこそが、この薬草園に、本当に必要だった在り方なのかもしれぬな」
その言葉に、ミルカは深く頷いた。
☆
会議が終わり、村人たちが、それぞれの家路につき始めた頃、ミルカは集会所の外で夜空を見上げていた。
「不安は、まだ消えません。でも、今日、皆さんの気持ちを聞いて、少し勇気が湧いた気がします」
「うむ。おぬし一人が、すべてを背負う必要は、もはやない」
ポフが、そっとミルカの傍らに寄り添った。
「王都の役人たちが来るまで、あと数日じゃろう。その間に、できる限りの準備を、皆で進めねばならぬな」
「はい。村長さんが言っていた、石碑の欠片も、リュカ先輩とカリナさんに見せて、相談してみようと思います」
「うむ、それがいいじゃろう」
夜空に瞬く星々を見上げながら、ミルカはこれまで一人で抱えていた不安が、少しずつ、皆と分かち合えるものに変わっていくのを感じていた。
薬草園を守るための、村全体の意志。それは、これまでの穏やかでのんびりとした日々とは違う、新しい形の絆として、確かに芽生え始めていた。
(この場所は、もう、私一人のものじゃない)
ミルカはそう心の中で呟きながら、確かな希望を胸に、薬草園への帰路についた。
王都の役人たちが訪れる日は、もう、そう遠くはなかった。




