表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人間を信じられなくなった薬草園は、落ちこぼれ魔女にだけ声を聞かせる~もふもふ精霊と育てる辺境の小さな奇跡~  作者: 明石竜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/23

第十五話 森の奥の聖獣

「あれは……」

 ミルカが目を凝らすと、そこには、鹿の子どものような姿をした小さな生き物が、力なく横たわっているのが見えた。よく見ると、その角には若葉のようなものが生えている。

「聖獣……!」

 エルナが、思わず声を上げた。ミルカたちが近づくと、その聖獣の体には、黒紫色の蔓――影根草によく似たものが、幾重にも絡みついているのが分かった。

「これは……羊たちを苦しめていた、あの影根草と、同じもの?」

「うむ。この森にも、同じ澱みが広がっておるようじゃ」

 ポフの声に、緊張が滲む。聖獣は荒い息を繰り返しながら、時折、苦しげに身を震わせていた。

「今すぐ、手当てをしないと」

 ノエリアがすぐさま薬箱を開き、聖獣の様子を確かめようとする。けれど、その手が触れた瞬間、聖獣の体がびくりと大きく震えた。

 同時に、それまで力なく垂れていた黒い蔓が、一斉に持ち上がった。

「ノエリアさん、離れて!」

 ミルカが叫ぶ。

 ノエリアが手を引くより早く、蔓は聖獣の体へ幾重にも巻きつき、外からの手を拒むように固く締まった。

 聖獣が恐怖に目を見開く。逃れようと前足を動かすたび、蔓はさらに絡まり、地面へ縫い止めるように広がっていった。

「待って。動いたら、もっと締まっちゃう!」

 エルナが思わず駆け寄ろうとする。

「近づくでない!」

 ポフの鋭い声に、エルナは足を止めた。

 黒い蔓の先端が、聖獣を守る柵のように持ち上がっている。誰かが一歩近づくたび、その方向へ向きを変えていた。

「この蔓、私たちを警戒している……?」

 ノエリアは聖獣との距離を取り、慎重に様子を見つめた。

「蔓だけではありません」

 ミルカはその場にしゃがみ、聖獣へ直接触れないよう、少し離れた土へ指先を置いた。

(来ないで)

(触らないで。また、奪われる)

 聖獣の恐怖が、地面を通して流れ込んでくる。それに呼応するように、黒い蔓が強張った。

「この子が、蔓を拒んでいるんじゃないんです」

「どういうことですか?」

ノエリアが、黒い蔓を見つめながら尋ねた。

「怖いから、この蔓に守ってもらおうとしているんです。自分を苦しめているものだと分かっていても、これがなくなったら、また誰かに傷つけられると思っている」

 ミルカは黒い蔓を見つめた。

「だから、無理に引き剝がしたら駄目です。私たちまで、この子を傷つけようとする相手だと思われてしまいます」

「では、まず、私たちを信じてもらわなければならないのですね」

 ノエリアの言葉に、ミルカはゆっくりと頷いた。

 聖獣は荒い息を繰り返しながら、黒い蔓の隙間から、怯えた目でミルカたちを見つめていた。

「普通の薬草では、効かないかもしれません……。この蔓は、放牧地で見たものより、ずっと濃く絡みついている気がします」

 ノエリアの言葉を聞いて、ミルカも聖獣に近づき、そっと手を伸ばした。

(苦しい。誰も、来ないで。もう、誰も、信じられない……)

 流れ込んでくる感覚は、これまで感じたどの生き物のものよりも、深く、重い絶望に満ちていた。ミルカは思わず息を呑む。

「この子、すごく傷ついています。体の傷だけじゃなくて、心も……」

「心、というのは」

 ノエリアが尋ねると、ミルカは聖獣の様子を見つめながら、答えた。

「誰かに、裏切られたような……そんな痛みを、感じます」

 その言葉に、ポフが、はっとしたように顔を上げた。

「もしや、この聖獣も……薬草園と同じ、王都の魔法師たちに、傷つけられたのやもしれぬ」

「え……?」

「森の魔力と、薬草園の魔力は、繋がっておったはず。あの儀式の被害が、この森の聖獣にも、及んだのやもしれぬ」

 その可能性に、ミルカの胸が痛みで締め付けられた。             

「普通の薬草では効かないなら……どうすればいいんでしょうか」

 エルナが心配そうに尋ねる。ミルカはしばらく考え込んだあと、冷静に口を開いた。

「この子が求めているのは、薬効だけじゃない気がします。誰かに、信じてもらえること。安心できる存在が、傍にいること」

「それなら、私にできることがあるかもしれません」

 ノエリアが、ゆっくりと進み出た。

「治療師として、多くの怪我人を診てきました。体の傷を癒すだけでなく、安心させる声かけも、大切な治療の一つです」

 ノエリアは、聖獣の傍にしゃがみこみ、落ち着いた声で優しく語りかけ始めた。

「大丈夫。私たちは、あなたを傷つけに来たわけじゃない。ゆっくりで良いから、少しずつ、心を開いてほしい」

 その声の穏やかさに、聖獣の荒い息が、わずかに落ち着きを取り戻していく。

「エルナさんも、何か手伝えることは」

 ミルカが尋ねると、エルナは少し考えてから、明るい声で言った。

「あたし、こういう時こそ、明るい雰囲気を作るのが得意だよ! ほら、聖獣さん、怖くないよ、大丈夫だよ!」

 エルナは、物怖じせずに聖獣に近づき、優しく体を撫でる。その屈託のない態度に、聖獣の緊張が、少しずつ緩んでいくのが分かった。

 ふと、エルナが思いついたように、背負っていた荷物から乾燥させた木の実を取り出した。

「これ、あげる。美味しいよ!」

 鼻先に差し出された木の実に、聖獣が、恐る恐る顔を近づける。その様子を、傍らで物欲しそうに見つめていたポフが、たまらず口を挟んだ。

「そ、その木の実、我にも一つ――」

「ポフちゃんの分はないよ。これは聖獣さん専用」

「な、なにゆえじゃ! 我とて、傷ついた身であろうが!」

「ポフちゃんは、さっき、村長さんの家で、お菓子たくさん食べてたじゃないですか」

 ミルカが横から突っ込むと、ポフは、ぐぬぬ、と悔しそうに黙り込んだ。緊迫した場面のはずが、その様子に、みんなは思わず張り詰めていた空気を、少しだけ緩めることになった。

「ノエリアさんの落ち着いた声、エルナさんの明るさ。それに、ポフの力も借りられれば……」

 ミルカが振り返ると、ポフは先ほどの木の実の恨みも忘れたように、真剣な表情で聖獣を見つめていた。

「我にできることは、多くはない。じゃが、この聖獣が、我と同じように、傷ついた存在なら――我の力が、少しは届くやもしれぬ」

 ポフはしっぽから、そっと一本の毛を抜き、聖獣の傍らに置いた。すると、その毛から優しい光の粒が、ふわりと舞い上がる。

 その光が、聖獣の体をそっと包み込んでいった。

             ☆

 ミルカは、ノエリアの声、エルナの温かさ、ポフの光を感じながら、聖獣の傷にそっと手を触れさせた。

(大丈夫。ここには、あなたを傷つける者はいない。ゆっくりでいいから)

 流れ込んでくる痛みと絶望に、ミルカは優しく寄り添うように、自分の魔力を重ねていく。無理に絡みついた蔓を引き剥がすのではなく、その根元に少しずつ、月灯り草の力を染み込ませていった。

 しばらくすると、聖獣の体に絡みついていた黒紫色の蔓が、少しずつ色を薄めていく。聖獣の呼吸も、次第に穏やかなものに変わっていった。

「効いてる……!」

 エルナが、興奮した様子で声を上げた。ノエリアも聖獣の様子を注意深く確認しながら、安堵の表情を浮かべる。

「体温も、正常な範囲に戻ってきています」

 最後の蔓が、ぽろりと地面に落ちると、聖獣は、ゆっくりと目を開けた。澄んだ、鹿のような瞳が、ミルカたちをじっと見つめる。

「良かった……」

 ミルカが思わず息を吐くと、聖獣はゆっくりと体を起こし、そのまま森の奥へと歩き出した。

「あ、待って――」

 エルナが呼び止めようとしたが、ポフがそれを制した。

「追う必要はない。あの聖獣は、我らを、どこかへ導こうとしておる」

             

 聖獣は、時折振り返りながら、森の奥へと進んでいった。みんなは、その後を追うように、慎重に歩を進めていく。

 やがて、聖獣は苔むした大きな岩の前で足を止めた。ミルカが近づいて見ると、その岩の陰に、古びた石の欠片が隠されているのが見えた。

「これは……!」

 ミルカが欠片を拾い上げると、そこには、薬草園の石碑と同じ、古い文字が刻まれていた。

「読めますか、ポフ」

 ポフは、欠片に鼻先を近づけ、じっと文字を見つめた。

「……うむ。『土地は所有されるものではなく、共に息づくもの』」

 その一文に、ミルカの胸が大きく震えた。

「共に、息づくもの……」

 それは、まさにミルカがこれまで薬草園で感じてきたことそのものだった。土地を支配するのではなく、寄り添い、共に生きる。学院で教えられた魔法とは、まったく違う在り方。

「これが、契約の本当の意味……」

 ノエリアも、その文字を冷静に見つめながら、呟いた。

「王都の魔法師たちは、この契約の本質を見誤っていたのかもしれませんね。土地を、利用するものとしか、捉えていなかった」

 その言葉に、みんなは、深く頷いた。

             ☆

 聖獣は石の欠片を見届けたあと、静かに森の奥へと姿を消していった。その背中を見送りながら、ミルカは深く息を吐いた。

「今日、私たちが救った聖獣が、この場所へ導いてくれたんですね」

「うむ。この森と薬草園は、深く繋がっておる。あの聖獣もまた、この土地の一部なのじゃろう」

 ポフの言葉に、ミルカは手の中の石の欠片を大切に見つめた。

「これを、薬草園の石碑と、合わせてみましょう」

「うむ。全容が分かれば、薬草園を完全に再生させる方法も、見えてくるやもしれぬ」

 夕暮れが迫る森の中、みんなは来た道を戻り始めた。帰り道、疲れた様子のポフが、とうとう我慢できなくなったのか、エルナの荷物にじっと視線を送っている。

「エルナ殿、その、非常食とやら……そろそろ、味見をさせてもらえぬか」

「今頃!? まあ、いいけどね。頑張ったご褒美」

 差し出された乾燥果物を、ポフは待ちきれない様子で頬張った。

「……美味い。じつに、美味い」

「良かったですね、ポフ」

 夕焼けに染まる森の中、緊張の続いた一日の締めくくりに、ささやかな笑いが、みんなの間に広がった。

「私の魔法は、間違っていなかったんですね」

 ミルカが呟くと、傍らを歩くポフが、木の実を頬張りながら、小さく笑った。

「当たり前じゃ。おぬしの魔法は、この土地が、本来求めておった在り方、そのものじゃからのう」

 森を抜け、夕焼けに染まる空の下、みんなはそれぞれの胸に、確かな手応えを抱きながら薬草園への帰路についた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ