第十四話 対になる石碑を求めて
村長の家を訪ねた翌日、ミルカは薬草園にエルナとノエリアを呼び、森行きの相談を持ちかけた。
「森の奥に、石碑の欠片があるかもしれないんです。薬草園の契約の全容が分かるかもしれなくて」
ミルカの説明に、エルナは目を輝かせた。
「面白そう! あたしも行く!」
「危険もあるかもしれません。村長さんは、聖獣が棲むという言い伝えもあると言っていました」
「だからこそ、私も同行します」
ノエリアが、薬箱をぽんと叩きながら言った。
「万が一、怪我人が出た時のために。それに、私自身、この村の過去に関わることなら、見届けたいという気持ちもあります」
その言葉に、ミルカは感謝の気持ちを込めて頷いた。
「ポフも、一緒に来てくれますか」
「当然じゃ。あの森には、我の記憶に繋がる、何かがある気がする」
ポフの声には、これまでにない緊張感が滲んでいた。
☆
翌朝、集合したみんなを見て、ミルカは思わず苦笑した。エルナが、なぜか大きな荷物を背負っている。
「エルナさん、その荷物、何が入ってるんですか」
「もちろん、非常食! 森で迷った時のために、パンとお菓子、たくさん持ってきたよ」
「森歩きなのに、ずいぶん重装備ですね」
「備えあれば憂いなしって言うでしょ!」
得意げに胸を張るエルナの荷物の中身を、ポフが興味津々といった様子で覗き込んでいた。
「ほう、これはなかなか、良い匂いがするな」
「ポフちゃん、これは非常時の食料だから、勝手に食べちゃだめだよ」
「わ、我は、まだ何も――」
「その、涎、垂れてますよ」
「な……!」
慌てて口元を拭うポフの様子に、みんなは出発前から思わず笑いを堪えることになった。
☆
森の入口は、薬草園から北へ伸びる古い小道の先にあった。
村の畑を抜け、背の高い草に埋もれかけた道をしばらく進むと、細い沢が行く手を横切っている。その向こうに、壁のように木々が連なる深い森が広がっていた。
「この沢が、村と森の境目みたいなものなんだって」
エルナが、苔の生えた飛び石を指差した。
「小さい頃、沢の向こうへは勝手に行っちゃ駄目だって、何度も言われたよ」
向こう岸へ渡った瞬間、空気が変わった。
頭上では太い枝が幾重にも重なり、朝の光を遮っている。振り返っても、つい先ほどまで見えていた村の屋根は、もう木々の陰に隠れていた。
鳥の声は聞こえるものの、その姿は見えない。湿った土を踏む音だけが、薄暗い森の奥へ吸い込まれていった。
「思ったより、暗いですね」
ミルカが呟くと、ポフが鼻先を上げ、森の空気を確かめる。
「土地の魔力を辿れば、奥へ進めるはずじゃ。薬草園と、この森の流れは繋がっておる」
「ポフちゃん、本当に道、分かるの?」
「当然じゃ。我を誰だと思うておる」
「薬草園から村までの道を忘れてた、守り精霊」
「そ、それとこれとは別の話じゃ!」
威勢よく答えたポフだったが、二つに分かれた獣道の前に来ると、ぴたりと足を止めた。
右の道は、緩やかな斜面を上っている。左の道は沢沿いに続いていたが、奥は白い霧に覆われ、先が見えない。
「……どちらですか?」
「今、確かめておるところじゃ」
「やっぱり分からないんじゃない」
エルナが疑わしそうに目を細める。
「分からぬのではない。森の魔力が乱れておるのじゃ。流れが、途中で幾つにも分かれておる」
ポフの表情から、いつもの気楽さが消えた。
ミルカも道の脇にしゃがみ、土へ指先を触れる。薬草園で感じるものと似た、かすかな流れが地中に残っていた。
けれど、その感覚には冷たいものが混じっている。奥へ向かうほど、何かが魔力の流れを堰き止めているようだった。
「左です。沢の方から、薬草園と同じ魔力を感じます」
「うむ。我も、そちらだと思う」
「今、ミルカの答えに乗っただけじゃない?」
「細かいことを気にするでない!」
エルナは笑いながらも、荷物から赤い紐を取り出し、分かれ道の枝へ結びつけた。
「帰り道が分からなくなったら困るから、目印をつけておこう。雑貨屋の娘は、こういうものもちゃんと用意してるんだよ」
「非常食だけではなかったんですね」
「当然でしょ!」
一行は沢沿いの道へ進んだ。
道といっても、人が通れる幅が辛うじて残っているだけだった。片側には湿った斜面が迫り、反対側では沢の水が岩にぶつかりながら流れている。
張り出した木の根を跨ぎ、低い枝をくぐる。何度か足を滑らせそうになりながら進んでいくと、前方を倒木が塞いでいた。
「これを越えるしかなさそうですね」
ノエリアが倒木の向こうを確かめる。
幹は大人一人が抱えても腕が回らないほど太く、その表面は雨で濡れていた。下をくぐる隙間もなく、沢側へ回れば水の中へ入らなければならない。
ミルカたちは荷物を先に向こう側へ渡し、一人ずつ慎重に幹を乗り越えた。
最後に残ったポフは、ひらりと格好よく飛び越えようと身構える。
「見ておれ。この程度、我ならば一跳びで――」
踏み切った瞬間、湿った苔に前足を滑らせ、ポフは倒木の上へ、ぽすん、と腹から着地した。
「……計算通りじゃ」
「絶対、失敗しましたよね」
「うるさい。早く下ろしてくれ」
ミルカは苦笑しながらポフを抱き上げ、倒木の向こうへ運んだ。
そこから先は、さらに霧が濃くなっていた。
数歩先を歩くエルナの背中さえ、白く霞んで見える。いつの間にか鳥の声も途絶え、沢の音だけが、妙に遠くから聞こえていた。
「皆さん、離れないでください」
ノエリアの声に、全員が互いの位置を確かめる。
足元の草は、ところどころ黒紫色に変色していた。葉の先には朝露ではない黒い雫がつき、地面には細い蔓が這っている。
「影根草……」
ミルカは足を止めた。
「放牧地にあったものより、ずっと多いです」
「中心が近いのじゃろう」
ポフが低い声で答えた。
「この先に、森の魔力を乱しておる何かがある」
ミルカは再び土へ触れた。
冷たい流れの奥に、ごく微かな鼓動のようなものを感じる。
(苦しい)
言葉ではない感覚が、指先から伝わってきた。
「誰かが、この先にいます」
「聖獣でしょうか」
ノエリアが、霧の奥へ目を凝らした。
「分かりません。でも、弱っています。急ぎましょう」
一行は霧の中を進んだ。
黒い蔓を踏まないよう足元を確かめながら、小さな斜面を上る。やがて木々の隙間から、淡い光が差し込んできた。
霧を抜けた先には、円形に開けた場所があった。
周囲を囲む木々は、すべてその場所から身を引くように外側へ傾いている。その中央には、森のどの木よりも太い古木が一本、枝を大きく広げて立っていた。
そして、その根元に、何か小さなものが横たわっていた。




