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人間を信じられなくなった薬草園は、落ちこぼれ魔女にだけ声を聞かせる~もふもふ精霊と育てる辺境の小さな奇跡~  作者: 明石竜


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第十三話 村長の告白と古い契約

 夜祭りの騒動から数日が経った、静かな朝のことだった。

 ポフはまだ本調子とは言えないものの、以前のように軽口を叩けるくらいには、体力を取り戻していた。薬草園の畝を見回りながら、ミルカは村長を訪ねようと決意していた。

「ポフ、村長さんに、薬草園の過去を直接尋ねてみようと思います」

「オルト村長に、か」

 ポフは、しばらく考え込むように黙っていたが、やがて頷いた。

「あの老爺なら、当時のことをよく知っておるはずじゃ。……我の記憶だけでは、まだ足りぬところも多い」

「一緒に、行きますか」

「うむ。我も、確かめたいことがある」

 支度をしながら、ポフは、鏡代わりの水盆を覗き込み、しきりに毛並みを整えていた。

「ポフ、何をそんなに気にしてるんですか」

「村長に会うのじゃ。だらしない姿を見せるわけにはいかぬ。我は、由緒正しき守り精霊なのじゃからな」

 もっともらしいことを言いながら、あちこち舐めて毛を整えるポフの姿は、威厳とはほど遠い、ほとんど猫のような仕草だった。

「その毛づくろい、村長さんに会う前に、もう少し落ち着いてやった方がいいと思います」

「うるさい。細部にこだわるのが、一流の証じゃ」

 結局、身支度に思いのほか時間がかかり、二人が出発したのは、予定よりも少し遅れてのことだった。

             ☆

 オルト村長の家は、村の中でも古株らしい、どっしりとした造りの家だった。訪ねると、村長自らが扉を開け、少し驚いた様子でミルカとポフを迎え入れる。

「ミルカ様、それに、ポフ様も。こんな朝早くに、何用じゃな」

「村長さん、お伺いしたいことがあって来ました。……薬草園の、過去についてです」

 ミルカがそう切り出すと、村長の表情が、目に見えて強張った。しばらく、重い沈黙が流れる。

「……夜祭りの、あの黒い霧のことか」

「はい。ポフが、少しずつ、当時の記憶を思い出し始めています。王都の魔法師たちが薬草園へ来て、土地の許容量を超える魔力を奪ったことも。ただ、どうして王都の魔法師たちが来たのか、村が何を知っていたのかまでは、まだ分かっていません」

 村長は深く息を吐き、椅子に力なく腰を下ろした。

「そこまで、思い出されたか……ポフ様の記憶が戻り始めておるのなら、わしが黙っておる意味も、もはやないじゃろうな」

 村長は、しばらく目を閉じていたが、やがて、穏やかに語り始めた。

             

「あれは、わしがまだ若かった頃の話じゃ。今から、三十年以上前のことになる」

 村長の声は、過去を辿るように、ゆっくりとしたものだった。

「当時のこの村は、今よりもずっと貧しかった。作物の不作が続き、多くの家が、冬を越すことすら難しい有様じゃった」

「そんな時に、王都から使者が来たんですね」

「そうじゃ。王都の魔法師たちが、大きな儀式を行うために、この薬草園の魔力を借りたいと申し出た。見返りとして、村にはじゅうぶんな支援金と、当面の食糧が約束された」

 村長は、膝の上で、拳を固く握りしめた。

「当時の村長は、わしの父じゃった。悩んだ末に、その申し出を受け入れた。村の民の暮らしを守るためには、それしかないと思うたのじゃろう」

「それが、あの石碑に刻まれた契約……」

「うむ。土地の力を、一時的に、儀式のために貸し与える。ただし、限度を超えぬこと、という約定じゃった。じゃが……」

 村長の声が、苦渋に満ちたものになった。

「王都の魔法師たちは、その約定を、破った。儀式の途中で、必要な力が予定よりずっと多いと分かったのじゃろう。彼らは、村の反対を押し切り、土地の許容量を、大きく超える魔力を吸い上げた」

 その場面を、ミルカはあの夜見た光景として、鮮明に思い出すことができた。乾いていく大地。必死に立ちはだかる白い狐の姿。

「薬草園は、みるみるうちに枯れていった。当時、薬草園を守っていた精霊様――ポフ様が、身を挺して、それ以上の被害を食い止めようとしてくださったが……」

 村長は、ポフに向かって深く頭を下げた。

「ポフ様。あの時、村は、あなた様の犠牲に、何も報いることができませんでした。それどころか……」

「それどころか?」

 ミルカが問うと、村長はさらに苦しげな表情を浮かべた。

「王都の魔法師たちが去ったあと、村は、この件を、公にすることをせなんだ。王都との関係が悪化することを恐れ、そして――自分たちが、王都の支援と引き換えに、薬草園を差し出したという、その罪の意識から、逃げたかったのじゃ」

 その告白に、ミルカは、胸を締め付けられる思いがした。

「村人たちは、薬草園を避けるようになった。誰も、あの場所に何が起きたのか、深く語ろうとはしなんだ。見て見ぬふりをすることで、自分たちの罪から、目を背けようとしたのじゃ」

「……それで、あの老人が、『あまり目立たせるな』と……」

「うむ。王都に再びこの薬草園の存在を知られれば、また同じことが起きるかもしれぬ。そういう恐れが、村人たちの中にずっと燻っておったのじゃろう」

 村長の話が途切れる。

 部屋の中に、重い沈黙が落ちた。

 ミルカは膝の上で、両手を強く握りしめていた。薬草園が荒れた理由も、ポフが力を失った理由も、村人たちがあの場所を避けていた理由も、ようやく分かった。

 けれど、胸の中に広がったのは、納得や安堵だけではなかった。

「では……どうして、私には何も教えてくださらなかったんですか」

 自分でも驚くほど、硬い声が出た。

 村長がゆっくりと顔を上げる。

「私が村に来た時、村長さんは、薬草園が荒れていることを知っていましたよね。王都の魔法師たちに何をされた場所なのかも、ポフがどんな目に遭ったのかも」

「……知っておった」

「それなのに、何も知らない私を、そのまま薬草園へ行かせたんですか」

 村長は答えなかった。

 その沈黙が、何よりもはっきりとした答えに思えた。

「薬草園には、黒い蔓が生えていました。夜祭りでは黒い霧が出て、ポフは倒れたんです」

 声が震えた。

 悲しいのか、腹が立っているのか、ミルカ自身にも分からなかった。これまで、人に対してこんな感情をぶつけたことは、ほとんどなかった。

「もし私が、何も知らないまま、あの霧に一人で触れていたら。もしポフの記憶が戻らなかったら。私は今も、何が起きているのか分からないままだったかもしれません」

「……その通りじゃ」

 村長は、膝の上で組んだ手を見つめていた。節くれ立った指が、かすかに震えている。

「すまなかった」

 か細い声だった。

「王都を恐れておった。それだけではない。真実を話せば、わしらの村が、支援と引き換えに薬草園を差し出した村だと、あんたにも知られてしまう」

 村長は苦しげに息を吐いた。

「そうすれば、あんたも村を見限り、王都へ帰ってしまうのではないかと思うた。せっかく戻り始めた薬草園を、また失うのが怖かったのじゃ」

「だから、黙っていたんですか」

「……うむ」

「それは、私やポフを信じていなかったということですよね」

 村長の肩が、わずかに揺れた。

「否定はできぬ。わしは、あんたに薬草園を救ってもらいたいと思いながら、その過去を背負わせることからは逃げておった」

 その言葉に、ミルカは胸を締め付けられた。

 自分は少しずつ、この村に受け入れられていると思っていた。薬草茶を飲んでくれる人が増え、朝市や夜祭りにも多くの人が来てくれた。

 けれど、その笑顔の裏で、村人たちは自分の知らない大きな秘密を共有していたのだ。

「ポフは……どう思いますか?」

 ミルカが尋ねると、ポフはしばらく黙ったまま村長を見つめていた。

「我は、王都の魔法師を止められなんだことを、ずっと己の罪だと思うておった」

 いつもの古めかしく威勢のよい声ではなかった。

「じゃが、本当は、それだけではなかったのかもしれぬ。皆が薬草園から去り、誰も戻ってこなくなったことが、我は悲しかったのじゃ」

「ポフ様……」

「村が苦しかったことは分かる。恐れたことも、責めるつもりはない。じゃが、何もなかったことにはできぬ」

 ポフははっきりと言った。

「許すかどうかを、今ここで決めることもできぬ。失われた年月は、謝罪一つで戻るものではないからのう」

 村長は俯いたまま、深く頷いた。

「……もっともじゃ」

 再び、沈黙が流れた。

 ミルカはすぐに「責めません」と言うことができなかった。今ここでそう答えれば、村長は少し楽になれるのかもしれない。

 けれど、それではポフが一人で守り続けた年月も、何も知らされなかった自分の怖さも、簡単な言葉で覆い隠してしまう気がした。

「私は、まだ納得できていません」

 ミルカは正直に告げた。

「村長さんたちを、すぐに信じ直せるとも言えません」

「……うむ」

「でも、過去のことを責め続けるだけでは、薬草園は元気にならない。それも分かっています」

 ミルカは、傍らのポフを見た。

「だから、これからどうするかを、一緒に考えたいです。ただし、もう隠し事はしないでください。都合の悪いことでも、私たちに話してください」

「約束する」

 村長は顔を上げた。

「この件を、村の年寄りたちだけの秘密には、もうせぬ。村人たちにも、起きたことをわしの口から話そう。王都から問われた時にも、隠さず証言する」

「それを聞いてから、村の皆さんがどうするのかも、皆さん自身で決めてもらいましょう」

「うむ。今度こそ、薬草園にだけ犠牲を押しつけるようなことはせぬ」

 村長は椅子から立ち上がり、ミルカとポフに向かって深く頭を下げた。

「すぐに許してくれとは言わぬ。これからの行いで、少しずつ信じてもらえるよう努める」

 ミルカは、その謝罪にすぐ頷くことはしなかった。

 ただ、目を逸らさずに受け止めた。

「分かりました。では、今できることから始めましょう」

「うむ。村として、この薬草園の過去と、今度こそ正面から向き合おう」

 失われた信頼が、これだけで戻ったわけではない。

 それでも、隠されてきた過去を言葉にしたことは、新しく信頼を育て直すための、最初の一歩になるはずだった。

             ☆

 重い話が一区切りついたところで、村長の妻らしき年配の女性が、お茶と焼き菓子を運んできた。張り詰めていた空気が、少しだけ和らぐ。

 ポフはさっそく、焼き菓子の匂いに釣られて、そわそわと鼻を動かしていた。

「ポフ様も、お一つどうぞ」

「か、かたじけない」

 澄まし顔で受け取ったポフだったが、一口食べた瞬間、目を輝かせた。

「これは……! なんと美味な菓子じゃ! 村長、おぬしの妻は、なかなかの腕前をしておるな」

「そっ、それはどうも」 

 村長は突然の褒め言葉に戸惑いながら、妻と顔を見合わせた。ミルカも先ほどまでの重苦しい空気が、少しだけ軽くなったように感じた。

「ポフ様、そんなに気に入られたなら、もう一つどうぞ」

「よいのか!? では、遠慮なく」

 あっという間に、皿の上の菓子は半分近くがポフの腹に収まっていった。その様子を見た村長が、思わずくつくつと笑い出す。

「精霊様が、こんなに親しみやすいとは、思わなんだわい」

「なっ、なにゆえ笑う! 我は、菓子の味を、正当に評価しておるだけじゃ!」

 むきになるポフの様子に、重かった空気が、すっかり和んでいった。

             

「ところで、村長さん。あの石碑に刻まれていた契約文、まだ続きがあるようなんです」

 ミルカは、リュカが視察の際に指摘していたことを思い出し、村長に尋ねた。

「石碑の、続き……?」

「はい。今ある部分は、一部が欠けているようで。もし、契約の全容が分かれば、薬草園を完全に再生させる方法が、記されている可能性があると、リュカ先輩は言っていました」

 村長は、記憶を辿るように、しばらく目を閉じた。

「……そういえば、若い頃、父から聞いたことがある。あの石碑は、元々、村の外れの森にも、対になる碑があったという話じゃ」

「森に……?」

「うむ。この薬草園の石碑と、森の奥にある石碑。二つが揃って初めて、契約の全文が読めるようになっておったと、そう聞いた覚えがある」

 その情報に、ミルカとポフは思わず顔を見合わせた。

「森の奥、ですか」

「じゃが、あの森は、長らく人の手が入っておらぬ。獣道すら定かではない、危険な場所じゃ。それに……」

 村長は、少し声を落とした。

「森の奥には、昔から、聖獣が棲むという言い伝えがある。むやみに踏み入れば、その怒りを買うとも言われておってな」

 その言葉に、ポフが何かを思い出そうとするように、目を細めた。

「聖獣……。そういえば、我の記憶の中にも、森の奥に住まう者の気配がある。あれも、この薬草園と、無関係ではないやもしれぬ」

「じゃあ、森に行けば、契約の続きが分かるかもしれないんですね」

 ミルカの声に、期待と緊張が入り混じった。荒れた薬草園の再生。それだけでなく、この土地の真実を、完全に明らかにすることができるかもしれない。

「危険は伴うじゃろう。じゃが、行く価値はある」

 ポフの言葉に、ミルカは大きく頷いた。

             ☆

 村長の家を辞したあと、ミルカとポフは、夕暮れの道を薬草園へと戻っていった。

「村長さんの話を聞いて、少し、胸が軽くなった気がします」

「軽く、なった?」

「はい。誰にも語られなかった過去が、こうして少しずつ明らかになっていくことで……この薬草園が、ようやく、本当の意味で前を向けるような気がして」

 ミルカの言葉に、ポフは深く頷いた。

「うむ。隠された過去は、いつまでも、土地に重くのしかかる。じゃが、皆で向き合うことができれば、その重さも、少しずつ軽くなっていくのやもしれぬ」


 薬草園に戻ると、月灯り草の畝が夕暮れの薄闇の中で静かに光を放ち始めていた。

「ポフ、明日にでも、エルナさんとノエリアさんに、森行きのことを相談してみましょう」

「うむ。一人で行くには危険が大きすぎる。皆の力を借りるのが良かろう」


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