第十一話 薬草園の夜祭り
カリナとリュカが村を訪れてから、しばらくが経った。
薬草園は、以前とは見違えるほどの姿を取り戻しつつあった。月灯り草の畝は青白い光を纏い、眠り草や朝露ミント、陽だまり花も、あちこちに小さな群れを作っている。村人たちの往来も、すっかり日常の光景になっていた。
そんなある日、村の集会所でオルト村長を中心に、村人たちが集まっていた。
オルト村長は、白い眉の下に慎重そうな目をした、小柄な老人だった。年季の入った杖を傍らに置き、集まった村人たちをゆっくりと見回す。
「薬草園の再生を祝って、村で夜祭りを開こうと思うんじゃが」
村長の提案に、集まった村人たちから賛同の声が上がる。
「それはいい! せっかくここまで良くなったんだ、みんなで祝おうじゃないか」
「あたしのパンも、屋台に出させておくれ! 新作の香草パンをね」
セルマが真っ先に手を挙げた。エルナも隣で目を輝かせている。
「薬草茶の屋台も出したいです! せっかくだから、村の皆さんに、たくさん飲んでもらいたい」
エルナも、隣で目を輝かせながら続いた。
「私は、救護係として参加します。夜のお祭りだと、怪我人も出やすいでしょうから」
ノエリアが、いつもの落ち着いた調子でそう申し出た。ミルカは、その様子を見つめながら、胸の内に温かいものが広がるのを感じた。
村の人々が、薬草園のためにこんなふうに動いてくれる。それはこの村に初めて訪れたときには、想像もしなかった光景だった。
「ミルカさん、あんたにも、何か目玉を用意してほしいんじゃがな」
村長に問われ、ミルカは少し考えてから答えた。
「月灯り草を使って、薬草園を飾ろうと思います。夜に光る薬草なので、祭りの雰囲気にも、合うんじゃないかと」
「それはいい! ぜひ頼むよ」
村長の言葉に、村人たちの表情が一斉に明るくなった。ミルカは、その様子を見ながら、密かに決意する。この夜祭りで、薬草園への恐れを、少しでも和らげられたら――そう願わずにはいられなかった。
☆
祭りの準備は、瞬く間に進んでいった。
ミルカは、月灯り草の畝を丁寧に手入れし、夜になると光を放つよう、土地の魔力の流れを整えていく。ポフもその作業を手伝いながら時折、しっぽから小さな光の粒をこぼしていた。
「見ておるだけでは味気ない。我も、しっかり手伝ってやろう」
そう言って、ポフは畝の合間を跳ね回り、光の種を撒き散らしていく。それに呼応するように、月灯り草の光がいつもより一段と強く輝いた。
「すごい、こんなに光るんですね」
「当然じゃ。我の力があってこそ、じゃぞ」
得意げに胸を張るポフに、ミルカは思わず笑みをこぼす。
張り切りすぎたのか、ポフは、勢い余って畝から畝へと飛び移ろうとし、着地に失敗して、ぽふん、と土の上に転がった。
「だ、大丈夫ですか」
「だ、大事ない! これは、その、土との親和性を確かめる、高度な技術じゃ」
顔中に土をつけたまま、堂々と言い張るポフに、ミルカは思わず噴き出しそうになるのを堪えた。
薬草園の入り口には、エルナとセルマが手分けして、屋台の準備を進めていた。薬草茶の香りと、香草パンの焼ける匂いが、すでに漂い始めている。
「ミルカ、これ見て! 眠り草の茶葉に、木の実を混ぜた新作。今日のために作ったの」
「わあ、いい香り。きっと、喜ばれると思います」
エルナの明るい声に、ミルカも自然と笑顔になった。ノエリアも、救護のための道具を整えながら、薬箱の中身を確認している。
「ミルカさん、何か急病の際に使えそうな薬草があれば、事前に分けておいてもらえますか」
「はい、朝露ミントと、熱を鎮める薬草を、多めに用意しておきます」
村の皆が、それぞれの持ち場で祭りの準備に励んでいる。薬草園を中心に、村全体が一つになっていくような、そんな温かい空気が漂っていた。
☆
夕暮れが迫り、空が茜色に染まる頃、薬草園の入り口に、次々と村人たちが集まり始めた。
ミルカが整えた月灯り草の畝は、夜の帳が下りるとともに、青白い光を放ち始める。まるで、地面に星が散らばったかのような光景に、集まった村人たちから感嘆の声が上がった。
「すごい……。こんなに綺麗な薬草園、初めて見た」
「あたしが子どもの頃は、こんなに賑やかな場所だったんだろうか」
年配の村人たちが、感慨深げに呟く。荒れ果てていた薬草園が、再びこうして人々を集める場所になったことを、彼らなりに噛み締めているようだった。
メリルも母親に手を引かれて、元気な様子で薬草園に駆け込んでくる。
「ミルカお姉ちゃん! すごい、光ってる!」
「メリルちゃん、体の調子はどう?」
「すっかり元気! もう、咳もほとんど出ないの」
嬉しそうに笑うメリルの姿に、ミルカは胸が温かくなるのを感じた。
エルナの薬草茶の屋台には、次々と村人が列を作り、セルマの香草パンの屋台からは、香ばしい匂いが漂ってくる。ノエリアは救護の場所を設けながら時折、様子を見に来る村人たちと言葉を交わしていた。
「ミルカ様、あなたのおかげで、こんな祭りが開けるとはねえ」
オルト村長が、感慨深げに薬草園を見回しながら、そう言った。
「私一人の力じゃありません。村の皆さんが、力を貸してくれたからです」
「いや、あんたが最初の一歩を踏み出さなければ、こうはならなかった。……ありがとう」
村長の言葉に、ミルカは胸が熱くなるのを感じた。学院では、誰にも認めてもらえなかった自分の魔法が、ここでは確かに誰かの役に立っている。その実感が、ミルカの中に確かな自信として積み重なっていた。
☆
夜が更けるにつれて、祭りはますます賑やかになっていった。
ポフは村の子どもたちに囲まれ、得意げにしっぽを振っている。しっぽから舞う光の種に、子どもたちが歓声を上げていた。
「白いもふもふ、すごーい!」
「我は、ただの毛玉ではないぞ。由緒正しき薬草園の守り精霊じゃ!」
そう言いながらも、まんざらでもなさそうにしっぽを振るポフの様子に、ミルカは思わず微笑んだ。
調子に乗ったポフが、子どもたちの前で、光の種を大盤振る舞いしようとしっぽを思い切り振り回したところ、勢い余って傍らのセルマの屋台に突っ込みそうになった。
「わっとと! ポフちゃん、危ないよ!」
すんでのところで、エルナに抱き上げられ、事なきを得たポフは決まりが悪そうに、こほん、と咳払いをした。
「……我は、今のを、わざとやったのじゃ。子どもらを驚かせぬよう、寸前で止まる、高等な技術」
「今、思いっきり突っ込んでましたよ」
「し、しかとは見ておらぬはずじゃ」
しどろもどろに言い訳するポフに、周りにいた子どもたちが、げらげらと笑い声を上げた。
「ポフちゃん、面白い!」
「な、なにゆえ、笑われねばならぬのじゃ!」
むきになって抗議するポフの姿に、賑やかな笑い声が、いっそう祭りの会場に響き渡った。
薬草園への恐れを抱いていた村人たちも、この夜、少しずつその重い気持ちを手放していくように見えた。荒れた土地から、再び芽吹いた場所へ。その変化を、皆が肌で感じ取っているようだった。
「ミルカさん」
ふと、後ろから声をかけられ、振り返るとノエリアが立っていた。
「今日の祭り、本当に良かったです。あなたの薬草園が、村にとって、こんなに大切な場所になったこと」
「ノエリアさんの協力があったからこそです。診療所と薬草園、二つが繋がったから、村の人たちも、安心して薬草園を頼れるようになったんだと思います」
二人が言葉を交わす傍らで、エルナが薬草茶の屋台から駆け寄ってきた。
「ミルカ! すごい売れ行きだよ! みんな、薬草茶を気に入ってくれてる!」
「良かったです、エルナさん」
三人で顔を見合わせて笑い合う。薬草園が、こんなにも多くの人々に受け入れられている光景に、ミルカはこれまでの苦労が報われるような、深い安堵を感じていた。
☆
しかし、祭りが最も盛り上がりを見せていた、その時だった。
薬草園の最奥――普段は誰も近づかない、鬱蒼とした一角から、突然、黒い霧のようなものが立ちのぼった。
「な、なんだ、あれは!?」
村人たちの間に、動揺が走る。
誰かが短い悲鳴を上げ、それをきっかけに、人々が一斉に門へ向かおうとした。
「押さないで! 子どもたちを先に外へ!」
エルナが声を張り上げ、逃げ惑う人々を広い小道へ誘導する。母親に抱き上げられたメリルは、何が起きたのか分からないまま、怯えた顔で薬草園の奥を見つめていた。
慌てた村人の肩が屋台にぶつかり、薬草茶の器が地面へ落ちて割れた。傾いたランプへセルマが駆け寄り、火が枯れ草へ移る前に厚い布をかぶせる。
「火は消したよ! 足元に気をつけな!」
人波の中では、一人の老人がつまずいて膝をついていた。ノエリアは逃げる人々と逆方向へ進み、その腕を取って立ち上がらせる。
「慌てなくて大丈夫です。門は一つではありません。井戸の横の通路からも外へ出られます」
「皆、落ち着くのじゃ! 走らず、近くの者と一緒に外へ!」
オルト村長の声も響いたが、恐怖に駆られた人々の足音と、泣き出した子どもの声に、たちまち呑み込まれていった。
つい先ほどまで笑い声に満ちていた薬草園が、今は逃げ惑う足音と、倒れた椅子や器の音に覆われている。
ミルカは、その光景に胸を締め付けられた。
せっかく村人たちが、この場所への恐れを手放しかけていたのに。
皆を招いたことで、かえって危険な目に遭わせてしまったのではないか。そんな思いが、冷たい指で胸を掴むように広がっていった。
黒い霧はみるみるうちに広がり、月灯り草の光をじわりと侵食していく。
「ポフ!」
ミルカが叫んだ瞬間、ポフの体が突然、大きく震えた。
「うっ……!」
小さな体を苦しそうに丸め、ポフはその場に崩れ落ちた。しっぽから、いつもの温かな光の種ではなく、暗い色をした煙のようなものが、じわじわとこぼれ落ちている。
「ポフ、しっかりして!」
ミルカは駆け寄り、ポフの小さな体を抱き上げた。その体は、驚くほど冷たく、力なく震えている。
「ミルカ……気をつけよ……あの霧は……」
ポフの声は、かすれ、途切れがちだった。ミルカは震える手でポフを抱きしめながら、黒い霧の方に視線を向ける。
その瞬間――視界が、ぐにゃりと歪んだ。
周囲の喧騒が、遠くに聞こえる。代わりに、ミルカの脳裏に見たこともない光景が鮮明に浮かび上がってきた。
かつての薬草園。今よりもずっと広く、緑に満ち、美しい姿をしている。その中心に、幾人もの王都の魔法師たちが集まり、地面に複雑な魔法陣を描いていた。
彼らの手から放たれる魔力の光が、まるで吸い上げるように、地面から、薬草園そのものから力を奪っていく。土が、みるみるうちに乾き、緑が色を失っていく。
その光景の中に、今よりもずっと大きく、白く輝く狐の姿があった。牙を剥き、必死に何かを守ろうとするように魔法師たちの前に立ちはだかっている。けれど、その姿は、次第に力を失い、小さく萎んでいく――。
「あ……」
ミルカは、思わず声を漏らした。視界が元に戻ると、腕の中で、ポフが苦しげに目を閉じている。
「ポフ、今の……今のは……」
「……薬草園の、過去じゃ」
ポフは、途切れ途切れに、そう呟いた。
「我が、失っていた記憶の、欠片……」
その言葉を最後に、ポフはぐったりと意識を失った。
黒い霧は、しばらくの間、薬草園の空気を重く染めていたが、やがて、渦を巻くようにして最奥の闇の中へと消えていった。祭りの喧騒が、恐る恐る戻ってくる。
「ミルカさん、ポフは……」
駆け寄ってきたノエリアが、心配そうにポフの様子を確かめる。
「息はあります。ただ、意識が……」
ミルカは腕の中の小さな体を、震える手で強く抱きしめた。
先ほどまで、子どもたちと戯れ、屋台に突っ込みかけて笑いを誘っていた、あの温かい姿が嘘のように力を失っている。その落差に、ミルカの胸はこれまでにない不安で締め付けられた。
脳裏に焼き付いた光景――王都の魔法師たちが、薬草園から魔力を吸い上げていた、あの光景。それが、この薬草園が荒れ果てた、本当の理由なのだとしたら。
そして、ポフが力を失い、記憶の多くを失ってしまったのも――。
夜祭りの賑わいの中、ミルカはこれまで知らずにいた薬草園の暗い過去が、ついに動き始めたことを、はっきりと悟っていた。




