少年の覚悟2
夜明け前の空はまだ青かった。
交易都市ヴェルタの門が開くころ、ルクスはすでに街道を歩いていた。背中には粗末な革袋、腰には鉄剣。天頂の七星に出された条件――ゴブリン十匹討伐。最終試験だ。
街を出てしばらく歩くと森が見える。灰森ではない。交易路の外れにある小さな狩猟林だ。それでも低位魔物は普通に出る。ゴブリン、狼、鹿たまにオーク。新人冒険者の訓練場のような場所だった。
ルクスは森の入口で足を止める。
深呼吸。
剣の柄を握る。
「……やるぞ」
一歩踏み込んだ。
鳥の声と風の音しか聞こえない。だが冒険者の訓練を受けた耳には別の音も届く。草を踏む軽い足音。枝の擦れる音。小さな呼吸。
ゴブリンだ。
ルクスはゆっくり歩く。走らない。足音を立てない。蒼鷹の団のナディアに教えられた通り、地面を滑るように進む。
視界の端に緑の影が動いた。
ゴブリンが一体。身長は子供ほど。汚れた布を巻き、錆びた短剣を握っている。木の根元を漁っていた。
ルクスは息を止めた。
距離十歩。
ゴブリンが顔を上げる。
目が合った。
「ギッ!」
叫び声。
ゴブリンが飛び込んでくる。短剣が横薙ぎに振られる。ルクスは反射的に剣を上げた。金属がぶつかり、甲高い音が鳴る。
腕が痺れる。
思ったより力が強い。
ゴブリンはすぐ二撃目を出す。ルクスは後ろへ跳び、距離を取る。足がもつれる。転びそうになる。
「落ち着け……!」
自分に言い聞かせる。
呼吸を整える。
相手を見る。
ゴブリンは小さい。だが速い。油断すれば喉を切られる。レグナードが言った言葉が頭をよぎる。
“今のお前じゃゴブリンにも勝てない”
ルクスは剣を構え直す。
ゴブリンが再び突っ込んだ。
今度は逃げない。
剣を振る。
ゴブリンの短剣が弾かれ、体勢が崩れる。その瞬間、ルクスは踏み込んだ。剣を下から振り上げる。
鈍い音。
刃が腹に食い込む。
ゴブリンが息を吐いた。
体が崩れる。
ルクスは剣を引き抜いた。血が飛び散る。手が震えている。
一匹。
最初の一匹だった。
ルクスはその場に座り込んだ。
「……勝った!」
だが休んでいる暇はない。十匹倒さなければ終わらない。
森の奥へ進む。
二匹目は三十分後に見つけた。三匹目はすぐだった。四匹目の時、ルクスはもう転ばなかった。ゴブリンが飛び込んできても短剣を振る前に体が動く。
距離を見る。足を動かす。相手の腕の動きで攻撃を読む。二ヶ月間、毎日続けた訓練が体に残っていた。
五匹目。
六匹目。
七匹目。同時に相手取る。
ゴブリンは弱い。だが油断すれば死ぬ。三匹同時に襲われたとき、ルクスは木を背にして戦った。横から攻撃されないようにする。ミレナに教わったやり方だった。
八匹目。
九匹目。
十匹目。
最後のゴブリンを倒した時、ルクスの体は汗と血で濡れていた。肩で息をする。剣を地面に突き立てる。
「……十匹」
条件達成だった。
ルクスは空を見上げた。朝から始めた討伐は、すでに昼を過ぎていた。体は限界に近い。それでも、胸の奥が少しだけ軽かった。
「帰ろう」
そう呟いた。
だが森が静かすぎた。
鳥の声が消えている。
風も止まっている。
ルクスはゆっくり剣を握る。
視線を森の奥へ向ける。
木々の間に、巨大な影が立っていた。
ゴブリンではない。
二メートルを超える体。灰色の皮膚。牙の生えた口。丸太のような腕に、分厚い斧を握っている。
オーク。
森の奥から出てくるはずのない中位魔物だった。
オークはゆっくりルクスを見た。
鼻を鳴らす。
「ブゥ……」
低い声。
ルクスの背中に冷たい汗が流れる。
十匹のゴブリンを倒したばかりの体は、もう限界に近い。それでも、目の前の魔物は待ってくれない。
オークが一歩前に出る。
地面が重く鳴る。
ルクスは剣を構えた。
逃げれば背中を斧で割られる。
戦うしかない。
森の奥で、巨大な魔物が笑った。
次の瞬間、オークが突進した。
――戦いは、まだ終わっていない。




