少年の覚悟
聖域都市連盟の交易都市ヴェルタでは、灰森の竜巣討伐の話題が連日酒場を埋め尽くしていた。
掲示板の中央には、他の依頼より一回り大きな羊皮紙が貼られている。灰森の竜討伐、金貨五百万。王級頂点種討伐、金貨数百万。国家が出した史上最大級の懸賞は、冒険者達の血を確実に熱くさせていた。
酒場の奥、窓際の席に五人の冒険者が座っている。
リーダーのレグナード・ヴァルディアが依頼書を机に置く。
「決まりだな」
短い言葉だったが、他の四人は反論しない。灰森へ行くかどうかではない。いつ行くかを決める段階だった。
アイリスが静かに言う。
「準備期間は?」
「二ヶ月」
レグナードは答えた。
「灰森は普通のダンジョンじゃない。装備も情報も整える」
グラムが腕を組んで笑う。
「二ヶ月で済めばいいがな!」
その時、酒場の扉が開いた。泥だらけの少年が入ってくる。昨日も来ていた顔だった。
ルクス・アーベル。
天頂の七星の前まで歩き、頭を下げる。
「お願いします」
レグナードは酒を一口飲んだ。
「帰れ」
昨日と同じ返事だった。
だがルクスは動かない。
「俺を灰森に連れていってください」
酒場の奥から笑い声が上がる。
「まだ言ってるのかよ!」
「死にたいのか...?」
周囲の冒険者がからかうが、ルクスは視線を落とさない。
「灰森の竜を殺したい」
その言葉に笑い声が止まった。
レグナードは少年を見つめる。
ルクスは少しだけ黙った。
それから言う。
「俺の村は灰森の近くにあった」
酒場の空気が少し変わる。
「最初は魔物が増えただけだった。狼とか鹿とか、普通のやつ」
ルクスの声は静かだった。
「でもある日、竜蜥が来た」
炎鱗竜蜥。
灰森の竜巣固有種。
外縁森域で発生する竜蜥種は、すでに人類にとって災害級の魔物だった。
ルクスは続ける。
「村は一日でなくなった」
酒場の誰も笑わない。
「父も母も、妹も」
短い沈黙が落ちた。
レグナードは椅子から立つ。
「……そうか」
それだけ言った。
そしてルクスを見下ろす。
「それで竜を殺す?」
ルクスは頷く。
レグナードはため息を吐いた。
「無理だ」
「今のお前じゃゴブリンにも勝てない」
ルクスは何も言い返さない。
その沈黙を見て、レグナードは少しだけ表情を変えた。
「条件がある」
酒場の視線が集まる。
「俺達は二ヶ月後に灰森へ行く」
ルクスの顔が上がる。
「その間、毎日ここに来い」
レグナードは言った。
「そして言われた鍛錬を全部やれ」
グラムがニヤリと笑う。
「さらに」
レグナードは続ける。
「近場の森でいい。ゴブリンを十匹討伐しろ」
酒場の冒険者が吹き出した。
「無理だろ」
「ガキだぞ」
「三匹で逃げる」
笑い声が広がる。
レグナードはルクスを見る。
「出来たら荷物持ちとして連れていく」
ルクスの目が揺れた。
「……本当ですか?」
「出来たらな」
ルクスは深く頭を下げる。
「やります」
少年はすぐに酒場を出ていった。
残された冒険者達が笑う。
「三日も持たねえよ」
「ゴブリン十匹とか本当に死んじまうよ!」
その時、蒼鷹の団のレオルが言った。
「まあ見てみようぜ」
銀狼の牙のガルドも笑う。
「最初の一匹倒せたら奇跡だけどな」
翌日。
ルクスは朝から鍛錬場にいた。
木剣を振り続ける。
昼。
走る。
夜。
また剣を振る。
三日。
五日。
十日。
冒険者達は最初、笑っていた。
だが二週間後、笑う者は減った。
ルクスは毎日同じ時間に来て、同じ訓練を繰り返していた。
蒼鷹の団のナディアが言う。
「足運びが悪いわア!上半身は動かさずゥ!体重をかかとから親指にかけて外に逃がしなさいイ!」
ルクスはすぐ直す。
灰狼隊のドラグが斧を渡す。
「重い武器はお前には合わん...このショートソードでやってみろ」
ルクスは黙って振る。
銀狼の牙のミレナが短剣を渡す。
「ゴブリンは人よりも速い!囲まれたらまずは包囲を抜けることを考えろ!」
ルクスは何度も転ぶ。
それでも、次の日も来る。
一ヶ月後。
レグナードは酒場の窓から訓練場を見ていた。
ルクスが剣を振っている。
グラムが笑う。
「折れないな!」
アイリスが小さく言う。
「……本気なのね。もう連れて行ってあげたら?」
レグナードは答えない。
ただ言う。
「ゴブリン十匹」
その言葉が静かに落ちる。
「倒せなければつれては行かない。これは絶対だ」
酒場の冒険者達は、もう笑っていなかった。




