冒険者たち
聖域都市連盟の交易都市ヴェルタでは、昼を過ぎても冒険者組合の喧騒が途切れなかった。
扉の外には荷車が並び、掲示板の前では依頼を奪い合う声が飛ぶ。酒場と取引所と兵站庫を一つに押し込めたような建物の中で、冒険者たちは地図を広げ、報酬を値踏みし、明日どこへ向かうかを決めていた。
冒険者は兵士ではない。国家に属さず、討伐だけでなく、素材採取、隊商護衛、遺跡探索、農村の手伝いまで引き受ける。
何でも屋に近いが、魔物が跋扈するこの世界では、何でも屋であること自体が一つの才能だった。単独で動く者もいるものの、多くは生き残るために仲間を集める。前衛、斥候、魔術師、治癒役。役割を分け、欠けた部分を埋める。それが冒険者の基本だった。
掲示板の中央には、いま世界で最も重い依頼書が貼られている。
断牙の王討伐。
翠角の賢王討伐。
灰森の翼王討伐。
毒海の八首討伐。
蒼湖の王討伐。
そして、灰森の竜討伐。
金額だけなら一生遊べるほどだったが、前に立つ冒険者たちの顔は明るくない。誰もが分かっている。これは夢のある依頼ではなく、国が自力で処理し切れなかった災害を、報酬で外へ流しているだけだと。
「銀狼の牙は受けるらしいぞ」
誰かが言う。
別の男が鼻を鳴らした。
「ガルド・フェンリスのところか。あいつらは中堅じゃ頭一つ抜けてるが、相手が悪すぎる」
銀狼の牙。連携戦闘で名を上げた討伐専門のチームだ。長剣のガルド・フェンリス、二刀流のミレナ・クロウ、戦斧のボルグ・ダンハル、補助魔法のエルシア・ルミナ。中堅と呼ばれながらも、地方の王種程度なら現実的に狩れる。だからこそ、今回の依頼に最初に食いついた。自分たちなら届くかもしれない、その錯覚を抱けるだけの実力がある。
「灰狼隊も動くらしい」
今度は別の声が上がる。
灰狼隊は傭兵上がりの荒っぽい四人組だった。隊長ドラグ・ハーゼンは大剣で押し潰す戦いを好み、元兵士のカイン・レイドが槍で支え、リズ・スカーレットが毒矢を飛ばし、ドンガルが鉄槌で陣形を割る。討伐依頼なら無茶も辞さない連中で、危険な仕事ほど血が騒ぐ。今回のような大規模懸賞は、むしろ彼らのためにあるようなものだった。
「蒼鷹の団は?」
「護衛と偵察だろ。あいつらは正面から王級に突っ込む連中じゃない」
蒼鷹の団はレオル・ヴァイスを中心とした機動型のチームで、ナディア・フェルの風魔法、ジーク・バルトの狙撃、トルクの双斧を活かし、探索と護衛で名を売ってきた。灰森のような未知の領域では、むしろこういう連中の方が長く生き残るかもしれない。戦場は強者だけで決まらない。地図を読み、撤退路を見つけ、危険を一歩早く察する者もまた、戦争では価値を持つ。
「岩砕き団は北の鉱山から呼び戻されたって話だ」
岩砕き団。重装備の前衛を揃えたゴーレム討伐専門の冒険者チームで、ガルム・ドレイクの戦鎚を中心に、バルト・アイゼンの防御、クレア・リリスの攻撃魔法、ドルグの大斧で押し切る。魔物というより地形を相手にすることが多かった連中だが、甲殻や岩殻を砕くのは得意だった。灰森の奥で何が出ようと、行く理由は十分すぎるほどある。
そんな喧騒から少し離れた酒場の奥では、五人の冒険者が円卓を囲んでいた。周囲の席だけが、目に見えて空いている。誰も近寄らないのではない。近寄れないのだ。
天頂の七星。
聖域都市連盟の中でも、最上位の冒険者パーティーとして知られる存在だった。
噂では「七星」と呼ばれているが、現在動いているのは五人。
それでもなお、最強の名を失っていない。
レグナード・ヴァルディア。聖剣を振るう天剣と呼ばれる男。
アイリス・ルミナリア。極光魔法と聖域結界を操る大魔導士。
グラム・バルド。魔鋼戦斧で岩山すら砕くドワーフの豪傑。
カイン・ヴァルスト。黒槍を一閃させる寡黙な槍手。
セリス・ナイトレイ。影を渡り歩く斥候兼暗殺者。
誰か一人でも地方の伝説になれる実力者ばかりだった。
レグナードは掲示板から剥がしてきた依頼書を机に置く。
「灰森の竜、か」
それだけで場の空気が少し沈んだ。
アイリスが細い指で報酬欄をなぞる。
「随分な額ね。討ってほしいというより、誰でもいいからぶつけたいのが見え見えだわ」
グラムが鼻で笑う。
「国が逃げた相手に冒険者を投げ込む。いつもの話だ」
セリスは椅子の背にもたれながら、軽い口調で言う。
「でも今回は、本当に国が一つ潰れてる。笑えないやつだよ」
誰も否定しなかった。
天頂の七星は強い。だが、今回の相手はただの王種でも、ただの災害でもない。国家を呑み込み、王級頂点種を複数抱えたダンジョン。全員が生きて帰れる保証はどこにもない。
その時だった。
酒場の扉が勢いよく開く。
周囲の視線が一斉に向いた先で、泥だらけの少年が立っていた。年はまだ若い。背に差した鉄剣も、装備と呼ぶにはあまりに貧しい。だが、目だけは妙に強かった。何かを失い、もう引き返せなくなった人間の目だ。
少年は迷わず奥の円卓へ向かう。
天頂の七星の前で止まり、深く頭を下げた。
「お願いします」
レグナードが視線だけを向ける。
「何だ」
「俺を、灰森に連れていってください」
酒場の空気が止まる。
グラムが呆れたように笑う。
「お前、自分が何を言ってるか分かってるのか」
少年は顔を上げた。
「分かってる」
「俺はルクス・アーベルです」
その名に、レグナードの目が細くなる。
「灰森の竜を殺したいんです」
今度こそ、周囲の冒険者たちがざわめいた。
レグナードはしばらく無言だった。
やがて、短く言う。
「断る」
ルクスの肩が強ばる。
「今のままのお前を連れていけば、灰森に入る前に死ぬ。中に入れたとしても、誰かの足を引っ張って終わる」
残酷だが、正しい言葉だった。
カイン・ヴァルストも無言のまま頷く。セリスはルクスを値踏みするように見つめ、アイリスは少しだけ困った顔をした。グラムだけが腕を組み、黙って少年の目を見ている。
それでもルクスは退かない。
「それでも行きます」
「一人でも」
レグナードは小さく息を吐いた。
「なら好きにしろ」
ルクスは唇を噛む。だが食い下がる代わりに、もう一度だけ深く頭を下げた。
「……分かりました」
そのまま踵を返す。
酒場を出ていく背中を見ながら、セリスがぽつりと呟いた。
「あの子...生き残れたら、面白いかもね」
グラムが笑う。
「死に急いでるだけにも見えるがな」
アイリスはレグナードを見た。
「本当にあれでいいの?」
レグナードは依頼書を折りたたむ。
「今はな」
そこで言葉を切る。
「灰森に向かう奴は増える。冒険者も、傭兵も、国の犬も。あの森は、強いだけじゃ越えられない」
酒場の喧騒が戻る。
誰かが笑い、誰かが怒鳴り、誰かが夢を見て依頼書を剥がしていく。国家を呑み込んだダンジョンは、今や冒険者たちにとって最大の獲物であり、最大の墓場になろうとしていた。
その夜、ヴェルタの冒険者組合からは、幾つものチームが灰森方面へ出立した。銀狼の牙。灰狼隊。蒼鷹の団。岩砕き団。
そして、まだ動きは見せないまま静かに準備を進める天頂の七星。
国家が戦争を決めたその裏で、冒険者たちもまた、自分たちの流儀で灰森へ向かい始めていた。




