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灰森の巣竜  作者: AI太郎
動乱の世界
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毒沼の王

灰森北部。


森の空気は重く、湿っていた。


地面は黒く濁り、所々が沈み込むように柔らかい。

足を踏み入れるたびに、水と泥がゆっくりと泡を吐き出す。


沼だった。


だが、ただの沼ではない。


水面は不自然なほど静かで、腐臭と共にわずかな魔力の揺らぎが漂っている。

木々は途中で枯れ、枝は黒く腐食し、葉は毒に焼かれたように縮れていた。


生き物の気配がない。


森の中で、ここだけが完全に死んでいる。


その中央に、影がいた。


十数人。


黒装束の集団が、沼地の縁に静かに立っている。


影潮衆。


東方群島国家が誇る暗殺者集団であり、正面戦闘ではなく「殺すこと」だけに特化した戦闘者達である。


その先頭に立つ女が、ゆっくりと沼を見渡した。


ミカゲ。


影潮衆の首領であり、人類最強の暗殺者と呼ばれる者だった。


彼女はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐く。


「……間違いない」


その声は低く、だが確信に満ちていた。


「ここが巣だ」


沼の奥。


黒い水面の下に、巨大な魔力の塊が存在している。


普通の魔物ではない。


王種ですらない。


ミカゲは静かに言った。


「王級頂点種」


部下達がわずかに身構える。


だが恐怖はない。


彼らは暗殺者だ。


巨大な魔物であろうと関係ない。


殺せるなら殺す。


殺せないなら逃げる。


それだけだ。


ミカゲは沼を見ながら続ける。


「毒系統だな」


空気が重い。


水が死んでいる。


そして、沼の奥から感じる魔力。


「おそらく蛇種」


その言葉に、部下の一人が小さく頷いた。


「複頭型の可能性があります」


「あり得る」


ミカゲは短く答える。


巨大蛇型の魔物は珍しくない。


だが、八首となれば話は別だ。


それは単なる蛇ではなく、ほぼ別種の魔物になる。


「いいだろう」


ミカゲは刀を抜いた。


刃は黒く、光を吸い込むように鈍い。


「始める」


その瞬間だった。


沼が、揺れた。


水面が膨らむ。


まるで水の下で巨大な生物が身を起こしたように、黒い水がゆっくりと持ち上がる。


そして。


沼の中央から。


巨大な影が浮かび上がった。


最初に見えたのは、頭だった。


蛇。


巨大な蛇の頭部。


人間の家ほどの大きさの顎が、泥水を滴らせながらゆっくりと持ち上がる。


次の瞬間。


その横から、もう一つの頭が現れた。


さらに、もう一つ。


そして、また一つ。


八つ。


八つの巨大な蛇頭が、沼の中からゆっくりと立ち上がる。


巨体が完全に姿を現す頃には、沼の水位が明らかに下がっていた。


それほどまでに巨大だった。


蛇種 王級頂点種。


八つの首を持つ魔蛇。


その瞳が、影潮衆を見下ろす。


ミカゲは小さく呟く。


「当たりだ」


その瞬間。


蛇の一つの頭が、突然動いた。


空気が裂ける。


凄まじい速度で蛇頭が突き出され、地面を抉り取った。


だが、そこには誰もいない。


影潮衆はすでに消えていた。


影移動。


次の瞬間。


蛇の背後に、数人の影が出現した。


短剣が閃く。


鱗に刃が叩き込まれる。


金属音。


鱗が硬い。


だが、止まらない。


次々と刃が振り下ろされ、同じ一点を何度も斬る。


やがて。


鱗が割れた。


その瞬間。


ミカゲが動いた。


影が地面を滑る。


彼女の姿が一瞬で蛇の首の上に現れる。


「——影界断殺」


影が分裂した。


ミカゲの影が、三つ、四つと分かれる。


本体と影が同時に刃を振るう。


四方向。


完全同時。


蛇の首が、斬られた。


巨大な肉が裂ける音が、沼に響く。


そして。


蛇の首が、落ちた。


沼へと沈み、黒い水が跳ね上がる。


影潮衆の数人が小さく息を吐く。


「……落ちた」


だが。


ミカゲは動かなかった。


彼女は切り落とした首を見ていた。


その断面を。


肉が、動いていた。


最初はわずかだった。


だが、すぐに明確になる。


肉が蠢く。


骨が伸びる。


鱗が形成される。


そして。


新しい頭が、生えた。


完全な形で。


影潮衆の空気が、一瞬止まった。


蛇の八つの首が、ゆっくりと揺れる。


その瞳が、ミカゲを見た。


次の瞬間。


八つの口が、同時に開く。


毒霧が噴き出した。


空気が一瞬で濁る。


毒だった。


それもただの毒ではない。


魔力を腐食する毒。


影潮衆の一人が遅れた。


一瞬。


それだけだった。


蛇の尾が振り抜かれる。


人間の体が、まるで紙のように吹き飛んだ。


骨が砕ける音が響く。


もう一人。


毒霧の中で動きが鈍った影に、別の首が噛みついた。


血が沼に落ちる。


ミカゲの目が細くなる。


「……なるほど」


完全に理解した。


この魔物は。


自分では殺せない。


暗殺者の戦いは短期決戦だ。


急所を突き、終わらせる。


だが、この魔物には急所がない。


首を落としても、再生する。


毒霧は広がり続け、長く戦うほどこちらが削られる。


ミカゲは一瞬だけ考えた。


そして。


決断した。


「撤退」


その声は迷いがなかった。


影潮衆は一瞬で動いた。


全員が同時に影へ沈む。


その直前。


ミカゲは落ちた蛇の首を掴んだ。


再生が始まる前の、切断された首。


それを影の中へ引き込む。


次の瞬間。


影潮衆の姿は、沼から完全に消えていた。


静寂が戻る。


蛇の八つの首が、ゆっくりと揺れる。


逃げた。


だが。


魔蛇は追わない。


その巨大な体は、再び沼へ沈み始める。


毒の霧だけが、森に残った。


その日。


影潮衆は灰森を離れた。


損害。


死者二名。


だが。


ミカゲは言った。


「完全な敗北だな...鍛え直しだ」

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