翼をもつ蜥蜴
灰森の森が騒がしくなる。
蒼天探索団が巨大な灰色の狼と対峙してから、まだ数分しか経っていない。しかし森の空気はすでに戦場のそれへと変わっていた。枝の上に潜んでいた小型魔物が姿を消し、風に揺れていた葉の音はざわめく。まるで森そのものが、これから起きる戦いを見守ろうとしているようだった。
アルヴァレクは大剣を肩に担ぎ直し、目の前の狼から視線を外さないまま静かに息を吐いた。
この巨大狼は間違いなく強い。王種などという枠では収まらない存在だ。だがそれでも、まだ戦える範囲だと彼は感じていた。
その時だった。
森の上空で、空気が裂ける音が響いた。
最初は風だと思った。だが次の瞬間、森全体に影が落ちる。太陽を遮るほど巨大な何かが、雲の上から降りてきている。
リディアが顔を上げる。
「……空」
その声には、初めてわずかな緊張が混ざっていた。
次の瞬間、雲が裂けた。
巨大な影が降りてくる。
翼。
巨大な翼だった。
灰色の鱗に覆われた巨大な身体が空を滑る。体長は二十メートルを軽く超え、広げられた翼は森の上空を完全に覆っていた。その姿は人類の伝承にある竜ではない。だが、それに最も近い存在だった。
ワイバーン。
いや、もっと古く、もっと強い何か。
巨大な竜蜥が森の上空を旋回していた。
翼が一度羽ばたくだけで、森の木々が大きく揺れる。空気が押し潰され、地面の落ち葉が巻き上がる。
アルヴァレクはその姿を見上げ、思わず口元を歪めた。
「……なるほど」
狼だけではなかった。
灰森は、本気で侵入者を殺しに来ている。
その巨大竜蜥はゆっくりと旋回しながら、蒼天探索団を見下ろしていた。黄金色の瞳が人間達を観察する。そこには怒りも興奮もない。ただ、冷静な捕食者の視線だけがあった。
リディアが低く呟く。
「団長……あれ」
アルヴァレクは頷く。
「わかってる」
あれは王種ではない。
王種という存在は、すでに何度も見てきた。しかし空を支配するこの存在は、そのどれとも違う。魔力の密度が桁違いだった。体の表面を流れる魔力が、空気そのものを歪ませている。
王級頂点種。
そう呼ぶしかない存在だった。
その時、空の魔物が翼を大きく広げた。
次の瞬間。
落ちてきた。
空から一直線に急降下する。
その速度は異常だった。落下ではない。弾丸だった。巨大な身体が音速に近い速度で森へ突っ込んでくる。
アルヴァレクの目が鋭くなる。
「散れ!」
叫びと同時に蒼天探索団の隊列が崩れる。
次の瞬間、空が爆発した。
翼王の身体が地面へ激突する。衝撃は爆発のように広がり、半径数十メートルの地面が一瞬で陥没する。巨大な衝撃波が森を吹き飛ばし、周囲の木々が折れて倒れた。
その中心で、翼王が翼を広げた。
衝撃で巻き上がった土煙が、巨大な翼の一振りで消し飛ぶ。
アルヴァレクはその光景を見て、心の底から笑った。
「最高だ」
星鋼大剣をゆっくりと構える。
「お前がこの森の空の王か」
翼王が低く唸る。
その瞬間、翼が再び動いた。
巨大な翼が空気を裂く。
風が刃になった。
数十本の風圧刃が森を切り裂きながら襲いかかる。木々が真っ二つに裂け、地面が抉れる。
アルヴァレクが踏み込む。
重力魔法が発動する。
大剣が振り上げられる。
「蒼天断界」
剣が振り下ろされた瞬間、空間が歪む。
剣の軌道に沿って重力の断層が発生し、空気そのものが切断される。風圧刃と重力断層が衝突し、空中で爆発する。
衝撃が森を揺らす。
翼王の瞳がわずかに細くなる。
その反応は、怒りではなかった。
興味だった。
この戦いはまだ始まったばかりだった。
空の王と人類の探索者。
灰森の空が、戦場へ変わる。




