必殺の一撃
最深層守核域。
地下水脈から流れ込んだ海水が、巨大空洞の床をゆっくりと覆っていた。
波はほとんど立たない。だが、その静かな水面の下では、地脈と魔力が激しくぶつかり合っている。
洞窟の天井には無数の棘が突き刺さり、岩壁はすでに半ば崩壊していた。
重力の歪みで宙に浮く岩塊がゆっくりと回転し、床には棘翼の破片が散乱している。
その中央に立つのは、灰色の竜。
背骨から展開する棘翼は半ば砕け、胸殻は深く裂けている。
だがアメジストの瞳だけは、まだ一切の曇りを見せていなかった。
対するのは二人。
王国将軍グラシア。
将軍候補カイ。
両者とも満身創痍だが、戦闘の気配はまったく衰えていない。
そしてその後方。
水面の上に立つ少女。
ダンジョン核。
魔人の姿。
空間が、わずかに揺れた。
ほんの一瞬。
しかし戦場にいる全員が同時に気付くほどの歪みだった。
竜の瞳が細くなる。
魔人の視線が天井へ向く。
グラシアもまた、その違和感に気付いていた。
「……来たか」
カイが低く息を吐く。
「王だ」
転移魔力。
しかも桁違いの密度。
この魔力は、間違えようがない。
ヴァウデオウス五世。
王。
グラシアの握る剣が、わずかに震えた。
それは恐怖ではない。
「……不甲斐ない」
王は本来、ここへ来る存在ではない。
将軍二人と将軍候補一人。
この三人で終わらせるはずだった戦場に、王が出てきたという事実は、すなわち敗北に近い状況を意味している。
だが。
グラシアはゆっくりと息を吐いた。
そして小さく笑う。
「だが」
カイが言葉を続ける。
「終わったな」
王が来た。
それだけで、この戦いは終わる。
その確信が二人の身体から、ほんのわずかに緊張を奪った。
その瞬間だった。
竜が理解する。
転移の位置。
魔力の流れ。
地面の歪み。
地蟲界主。
転移座標が、ずれている。
王は最深層ではない。
界主層に落ちた。
つまり。
竜の視線が魔人へ向く。
少女はすでに理解していた。
「主」
静かな声。
「あと...三分でいける」
竜は答えない。
だが棘翼がゆっくりと広がる。
それは攻撃の構えではない。
時間を稼ぐ姿勢だった。
魔人は目を閉じる。
その身体の周囲で、魔力が静かに収束し始める。
空間律。
世界のルール。
それを書き換える魔法。
界律改写。
空気が重くなる。
空間がわずかに歪む。
その変化に最初に気付いたのはカイだった。
「……何かしている」
グラシアは首を振る。
「構うな」
その視線は竜から離れない。
「王が来る」
それで終わる。
だから今は、無理に攻める必要はない。
二人は守りに入った。
逃がさない。
ただそれだけでいい。
だがその判断こそが。
三分を与えた。
魔人の周囲の空間が、静かに歪み始める。
床の水面が波打つ。
重力の方向がわずかにずれる。
地脈が振動する。
一分。
二分。
何もなく時間が進む。
最深層の魔力が膨れ上がっていく。
少女の身体が淡く発光し始めた。
空間律が書き換わる。
この空洞そのものが。
ダンジョンの一部へと変質していく。
そして。
三分。
その瞬間。
天井が砕けた。
巨大な影が落ちてくる。
ヴァウデオウス五世。
王。
その巨体が岩盤を突き破り、最深層へ叩き込まれた。
その衝撃と同時に。
魔人が目を開く。
「界律改写」
空間が歪む。
洞窟の壁。
床。
水。
空気。
すべての魔力の流れが変わる。
そして。
「主座」
界律改写・主座。
竜の周囲の空間が完全に固定される。
魔力が一点に収束する。
グラシアの顔色が変わる。
「……まずい」
だが遅い。
竜の棘翼が、ゆっくりと全展開した。
その瞬間。
地脈が唸る。
菌糸網が震える。
界主の魔力が一斉に流れ込む。
「樹海継承」
竜の身体が、森と繋がる。
灰森の竜巣。
その全体が一瞬、呼吸した。
棘翼の一本一本が巨大化する。
地面の下。
菌糸が膨張する。
根が伸びる。
大地が裂ける。
そして。
竜が翼を振り下ろした。
「天穿棘」
地面が爆発した。
巨大な樹晶の棘が、地中から一斉に突き上がる。
それは単なる棘ではない。
地脈。
菌糸。
界主魔力。
すべてが融合した巨大構造体だった。
数十本。
いや。
百を超える棘が地面から噴き上がり、戦場そのものを貫く。
岩盤が砕ける。
水が蒸発する。
衝撃波が洞窟を満たす。
グラシアの剣が弾き飛ばされる。
カイの身体が空中へ叩き上げられる。
そして。
王すら巻き込まれた。
巨大な棘が王を押し上げ、岩盤へ叩きつける。
洞窟が崩れる。
衝撃が収まった時。
グラシアは動かなかった。
カイも動かなかった。
二人とも。
完全に戦闘不能だった。
ただ一人。
瓦礫の中から、ゆっくりと立ち上がる影があった。
ヴァウデオウス五世。
王。
その顔には。
笑みが浮かんでいた。
「見事だ」
王は海砕大剣アビスラグナを拾い上げる。
そして静かに構えた。
「だが」
その瞳が竜を見据える。
「まだ終わらん」
竜が翼を広げる。
魔人がその横に立つ。




