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私のこれから。 下



「此処が、これからの拠点となる家?」

ラシド達が居る建物の玄関の前に、路地裏特有の湿っぽさや薄暗さに包まれた道へ人混み溢れる大通りから入ってきた二つの人影が立ち止まった。

一人は、幼さの残る少年。

一人は、少年の父親にしては若過ぎ、兄というには年の離れ過ぎているような男。

名のある商人か身分の低い貴族かと思われるような、質素なつくりの、それでいて良く見れば仕立てがいいのだとわかる服を身に纏い、二人が二人とも背中に大きな荷物を背負っていた。

「そう。此処が帝国が用意した拠点だ。予定よりも一日遅れたからな。二人が首を長くして待っているかも知れない。」

「ふふふ。姉上、驚くだろうなぁ。」

侯爵家の跡目という立場を得たキースは、皇帝夫妻への挨拶を済ませると侍女達に整えさせた荷物を持って、西の大陸行きの船に飛び乗った。皇帝が用意しておいてくれた船の中で、あの兄の友人であり有能な『影』である男と、初めて対面した。


キースは全てを知っている立場だった。

兄が面白おかしく、自分の成した事を自慢するように聞かせて来たからだ。

皇帝の表も裏も知っている『影』達でさえも、一部の謀にその力を必要な者、兄が友人と呼ぶ協力者しか知らないそれを簡単に教えたのは、キースが他へと漏らさないという信頼、キースが自分に逆らってまで愚かな事をしないと分かっているからこそだった。その理解の通り、キースには兄に逆らおうなどと爪の先程も考えは浮かばない。そんな自分の気持ちを理解しているからこそ教えられていると分かっていても、信頼されているという事実がキースを大いに喜ばせ、ますます兄の事を敬愛するよう心が誘導された。そんな心理さえも、『強欲』たる皇帝には手に取るように分かっているのだろう。


全てを知らされているキースだからこそ、兄が友人と称する『影』の正体を何とはなくに気づいていた。だが、それを口にすることはなかった。口にしてしまえば、何処かから情報が漏れる可能性がある。彼の正体が、知るべき人々に知らされるのは、全てが片付いた後でなくてはならない、と子供ながらに優秀と褒められるキースは分かっていた。


「僕が此処に居るって事よりも、貴方の姿を見て驚くだろうね。」

「そうですね。でも、僕としては姫のそれよりも、ラースが驚く様の方が楽しみだ。」


「……あれ?ラース…義兄上も知らなかったの、それ?」


教えられていたとは言え、細かなところは省かれることもあった。

自分で考えて補間することも勉強だ、というカルロの方針だった。

満点に近いなというお墨付きを貰った、キースが全ての答えを埋めてみた穴埋め問題。それを持って、全てを知っていると思っていたが、どうやら違ったのだとキースは口先を尖らせた。その様子は、拗ねた時の姉にそっくりだが、姉のそんな姿を見たことのないキースはそれを知らない。知らない内に、姉を同じ仕草をするのだから、確かに姉弟の間には深い繋がりがあるだな、とカルロ達をよく驚かせる。

兄を殺した相手と組む筈がない、と全てを知った上でラシドがカルロの協力者になったのだとばかり、キースは思っていた。それが違ったのだ、と言うキースの副官となった『影』の言葉に、キースは興味を示す。


「あれは、兄の死さえも呑み込んで、姫を手に入れることだけを目に入れて行動したんだよ。今、あれの心の中にあるのは、姫に対する愛だけ。」

若いねぇ、と笑いながら呟く副官は何処か年寄り臭い。

キースの姉よりは四つ年上だが、カルロからは六つも年下だ。なのに、隣に居て、行動を共にして感じるのは、どこか浮世離れしている老成したものだった。

「おじいちゃんって呼ぶよ?」

からかう意味も含めて、キースは口にする。

"呼ぶ"というよりも、油断している時ならばついつい呼んでしまいそうだった。

「カルロにも言われたよ。どうも、昔から色々と視てしまうせいで、考え方が枯れてるみたいだね。」


『偽りを視る』という『祝福』を持っているのだと、キースは説明を受けた。

人が嘘をつけば、その人間の姿や言葉が腐って見えるのだと。私欲のない誰かを思いやっての嘘や、偽りを生み出す者に迷いのない嘘は何故か例外で、ただ色が変わる程度に視えるだけだったが、そんな嘘や偽りは多くはない。嘘をつく時、私欲は僅かにでも交じり合ってしまうものだった。偽りを偽りと分かって吐くものは、どうしても「これでいいのか」「こう言えばよかったか?」という迷いを持つものだった。しかも、嘘が大きければ大きい程、多ければ多い程、肉や魚が放つ腐臭のような匂いまで伴ってくるそれは、彼の精神をどこまでも傷つけた。嘘をつかない人間はいない。それが分かっていても、特に幼い頃には覚悟も心構えも出来ないままに、それらを突きつけられた。それは命あるモノだけではなく、世界そのものにも及ぶ。説明に反した野菜や道具も全て、腐って視えた。


その光景を想像するだけで、キースは表情を歪めた。

真実しか許さない世界に生きていれば、こうなっても仕方ないのかと、子供ながらに思うのだった。

「カルロは本当に清清しいまでに嘘に迷いがなくていいね。ラースは嘘をついたとしても、可愛い弟だってだけで何故か許せてしまう。姫は、『魅了』の効果があるおかげで、嘘をついて腐っても嫌な感じがしない。」

偽りで構成されているような貴族社会の頂点から解放された男は、朗らかに笑う。

あまり、この人の前では嘘をつかないようにしよう、とキースは決意した。

兄が友人とまで言う男だ、敵に回すよりは味方であって欲しいと思うからだ。

「嫌な感じがしないって、どういう事?」

姉は何が他とは違うのか、生まれたその時から庇護者である姉を愛し、『魅了』の影響を受けなかったキースは興味本位に尋ねた。

「腐っては視えるし、腐臭だって感じるんだけど…彼女だと果物が腐ったような感じなんだ。完熟と評される腐り方。その状態の果物は、香りもいいだろ?だから、嫌な感じを受けない。むしろ、好ましいとも思ってしまうんだ。」

「……蟻や蜂には、ならないでよ?」

「分かっているさ。可愛い弟の唯一を奪う真似はしない。命が幾つあっても足りないだろ?それに、口にするのはなんだが、彼女はちょっと…好みではないな。」

偽りを許さない男が好む女性とは?

副官を見上げるキースの目に、口には出さないまでも問い掛ける光が煌いた。

「彼女はちょっと…嵐の中心のような子だからね。まぁ、『魅了』の力があるような子だから仕方無いのだろうが。僕としては、偽りについては我慢したとしても、物静かに家を守ってくれるような子がいいな。」

「あっ、それはちょっと分かるかも。」

大人しい女性など生き残らない場所に育ったキースは、それに同意を示す。

姉のことを好きだが、あぁいった騒動の元を自分の伴侶にしようとは思えない。

かと言って、兄のような趣味はない。"毒"を伴侶に求める皇族ではなくて本当に良かったと、処刑をにこやかに見守っていた姿を目にして思ったくらいだ。


「さて、あまり立ち話をしていると、部屋に入っていけない状況になるかな?」


二階建ての建物の、二階にあたる場所の窓を見上げた彼が呟いた。

キースも釣られて見上げると、細い女性のような影が立ち上がる様が見え、奥に消えるようにしてすぐに消えた。

耳を澄ませてみれば、女性の声で何かを叫んでいるような物音が漏れ出してきた。

「…姉上に子供が生まれたら、どちらの性別にしろ自分の子供の伴侶にするって、兄上が言ってましたね。」

「わぁ。それは皇妃陛下の驚いた顔が目に浮かぶね。」





「ケイス、様?」

「兄…上…?」


「あっはは。すごい顔だね、ラース。」

「姉上、僕に反応はしてくれないのですか?」


すでに持っていた鍵を使って建物の中へと入り、物音がする部屋に踏み入ってみれば、ラシドが部屋の中心でキャロラインを抱き締めて口付けを送っているところだった。

自分達以外誰もいない筈だというのに、ドアを勢いよく開け放って入ってきた二つの人影を警戒と邪魔をするなという思いを露にして、それでも口付けを止めることもせずに横目に睨みつけたラシドがまず、驚きを露にした。そして、驚きに顔を上げて腕の力を緩まった事で解放されたキャロラインが弱弱しく顔を向けて、目を見開いた。

自分達のせいで死んだ人間がにこやかな笑顔を浮かべて立っているのだから、驚くのは当たり前だった。

その表情がおかしくて、『影』の一人ケーニヒという名前となったケイスは、王族であった時には決して許されることのない、驚く弟を指差してお腹を抱えての大笑いをしてのけた。

その横では、ケーニヒにばかり目を向けている姉に、拗ねた様子を見せてキースが言葉を投げ掛ける。


「キース?」

数年、成長期にある弟の姿を直に見ていないキャロラインは首を傾げて、拗ねた少年をジッと見ていたが、その顔に亡き母の面影を見つけたことで確信を持ち、弟の名を口にして呼びかけた。

「はい、姉上。この前、ちょっと侯爵位を兄上から貰ってしまった上に、西の大陸での任務なんてものを押し付けられてしまいました。」

「じゃ、じゃあ、ラシド様が言っていた侯爵って…」

「僕のことです。姉上、ようやく一緒に暮らせますね。」

もちろん、国に帰った後でも僕の屋敷に住んで下さっても構いませんから。

常にキースが浮かべている大人びた様子も、姉との再会を果たした事、これからの生活を思えば、今日ばかりは掻き消える。

純粋な笑顔を浮かべて、毛布に包まっている姉へと駆け寄るとその華奢な体を抱き締める。

キャロラインもまた、自分を抱き締めてくる、まだまだキャロラインの胸よりも下に頭のある弟の背中に腕を回し、しっかりと抱き締めたのだった。


「流石に、弟には嫉妬しないよね?」

目尻に笑いすぎによる涙を滲ませて、ケーニヒは弟に釘を差す。

「しませんよ。あれが俺の物である限り、あれが大切にしている家族を害するつもりはありません。」

横暴な考えを吐き出しながら、自分に釘を差してくる兄に心外だと歪ませた顔をラシドは見せた。

だけど、ともその言葉は続く。

「あの男だけは、一発でもいいから殴る。」

隠さなくてもいい兄のことを、協力者となった後の自分にまで隠していた皇帝の、顔でも腹でもいいから殴りたい、とラシドは拳を握った。

罪に問われるのならば、キャロラインを連れて何処へなりとも逃げればいいだけだ、と呟く弟にケーニヒは再び声を上げて笑いだした。




次から次へと送られてくる皇帝の『強欲』な求めによって、彼らが帝国へ戻ることが出来たのは四年後の事だった。

皇帝が溺愛していると有名な第十五皇女、皇帝が目にかけている若き侯爵の帰還とあって、盛大な宴が催された。これらの二人、皇帝が即位する以前から王宮に仕える有能な者達からも、貴賎関係なく有能なものが集められた国政を担う官吏達、広大な領地に見合った数だけ存在する貴族達の中でも一目置かれた者達からも、とても愛されていた。そのせいか、宴は常にない程に華やかな盛り上がりを見せた。


そんな宴の最中、夫を隣に伴った妹姫がずっと兄である皇帝のことを冷たくあしらってみせ、彼女の事を知らぬ招待された近隣の同盟国の王達や若き貴族達を青褪めさせる、という事があった。普通ならば、それを咎める厳格な老貴族達も暖かな眼差しで、和やかに見つめるだけ。自分に逆らう者には一切の容赦も与えない皇帝でさえも苦笑を浮かべてそれを許すという珍事を、皇妃を始めとする多くの貴族達が目撃することになった。

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