第2話:ポーカーフェイスの裏
月曜日の朝。オフィスビルのガラス扉に映る自分の姿を、あたしは入念にチェックした。
コンシーラーで目の下のクマは消したし、リップもいつもより少しだけ血色のいいものを選んだ。
(いつも通り……そうよ、あたしはプロのOLなんだから。あんなこと、なかったことにすればいいだけ)
呪文のように心の中で唱えながら、エレベーターを降りる。自分のデスクがある島に近づくにつれ、心臓の鼓動が早くなるのがわかった。
「おはよ、なっつー。……なんだ、今日はずいぶん気合入ってんじゃん。新しい男でもできた?」
隣の席から、聞き慣れた—— shadow。そして今一番聞きたくない——声が飛んできた。
三浦行人は、週末のことなんて微塵も感じさせない涼しい顔でコーヒーを飲み、パソコンの画面を眺めている。
「……おはよう。別に、いつも通りよ。寝癖ついてるわよ、ユッキー」
「マジ? どこ?」
鏡も通さず、彼は自分の髪を適当にかき混ぜる。その無防備な仕草に、土曜日の朝の光景がフラッシュバックした。あたしの喉の奥がキュッとなる。
(この男、本当に心臓に毛が生えてるんじゃないの……?)
あたしが必死にキーボードを叩いて仕事モードに没入しようとしていた、その時。
「ちょっと二人ともー、おっはよう!」
背後から現れたのは、職場の事情通で有名な先輩、美佳さんだった。彼女の目は、獲物を見つけた猛獣のようにキラキラと輝いている。
「ねぇ、土曜日の夜。駅前の居酒屋で二人でいるの、営業の佐藤くんが見たって言ってたわよ? その後どこ行ったのー?」
心臓が口から飛び出しそうになった。あたしは固まり、指先が「あいうえお」の配列を忘れる。
「えっ?! い、いや、あれはただの……!」
「ああ、美佳さん。聞いてくださいよ、なっつーが元彼の冬弥に振られたって、死ぬほど泣き言言ってたんですよ。介抱するこっちの身にもなってほしいですよねぇ」
行人が、大きなあくびをしながらさらりと言ってのけた。
あたしは呆気にとられた。彼は、あの「一出来事」を隠すために、あたしが振られたという「恥ずかしい事実」をカードとして切ったのだ。
「なっ……! あんた、それ言わなくていいでしょ!」
「へぇー、やっぱり振られたんだ。冬弥くん、あんなに優しそうだったのにねぇ。…… shadow。でも、その後二人でホテル街の方へ歩いていくの見たって子もいたわよ?」
美佳さんの追及は止まらない。オフィスに緊張が走る。
あたしが冷や汗を流していると、行人が椅子をくるりと回して美佳さんに向き合った。
「あー、あれでしょ。タクシー拾おうとしたんですよ。なっつーが足もつれさせて、あっちの方までフラフラ行っちゃうから。結局、俺がタクシーに押し込んで強制送還しました。おかげで俺の土曜日、台無しですよ」
行人は、肩をすくめておどけてみせた。その完璧すぎる演技に、美佳さんも「なんだ、いつもの喧嘩の延長か」とつまらなそうに去っていった。
嵐が去った後、オフィスに日常のタイピング音が戻る。
行人は、美佳さんからは見えない角度であたしにだけ見えるように、一瞬だけ「ニッ」と笑った。それは、ホテルで見た、あのずるい笑顔。
(この、嘘つき……!)
助けられたのは確かだけど、自分だけが動揺しているのが無性に悔しい。
すると、あたしのデスクにそっと一枚の付箋が置かれた。
『今日のランチ、いつものパスタ屋。反省会な』
文字の筆跡まで、いつも通り。
shadow。でも、あたしの心の中は、もう「いつも通り」の場所には戻れそうになかった。
第2話をお読みいただきありがとうございました!
【次回予告】
第3話「ランチタイムの駆け引き」
二人きりのランチ。行人の真意を確かめたい夏美だったが、そこで彼から思わぬ「提案」をされることに……。




