番外編 第1話:左手の「戦闘服」
月曜日の朝。
あたしは、鏡の前でいつも以上に念入りにブラウスの襟を整えていた。
首元には、お気に入りのネックレス。そして、左手の薬指には……。
「……よし。今日も戦ってこようじゃない」
婚約指輪は、特別な時につけるもの。そう言う人もいるけれど、あたしにとってはこれが新しい「戦闘服」の一部だ。行人がくれた「お前は、仕事をしている姿が一番可愛い」という全肯定の証。
オフィスに到着すると、相変わらずの賑やかさが待っていた。
行人は既に大阪へ戻っているけれど、あたしたちの関係は今や社内の公認だ。
「おはよー、なっつー! ……あ、やっぱり何度見てもキラッキラね、その指輪」
美佳さんが、あたしの手元を覗き込んでニヤリと笑う。
「仕事の邪魔にならない程度のデザインを選んだんです。……って、美佳さん、見すぎです!」
「いいじゃない。地味だった隣の席が、主がいなくなっても華やかだわ。で、三浦くんとは順調? 遠距離だと寂しくて死にそうになっちゃうでしょ?」
「まさか。毎日ビデオ通話で仕事の進捗報告をしてますから」
「……あんたたち、本当に色気がないわねぇ」
美佳さんは呆れたように肩をすくめて去っていった。
実際、あたしたちの連絡内容は、7割が仕事、2割が夕飯の献立、残りの1割が「早く会いたい」という、実用的なものだ。でも、それが心地いい。
そんな昼下がり、あたしは来客スペースで、思わぬ人物とすれ違った。
……冬弥だ。
彼は以前のような自信に満ちた顔ではなく、どこかひどくやつれた様子で、取引先の担当者の後ろを歩いていた。プロジェクトの件で完全に立場を失った彼は、どうやら左遷に近い扱いを受けたらしい。
冬弥はあたしの姿を認めると、一瞬だけ足を止めた。
彼の視線が、あたしの左手で輝く指輪に固定される。
「……夏美」
shadow。掠れた声。かつてあたしを「可愛くない」と切り捨てた男が、今は何かに縋るような目でこちらを見ている。
「その指輪、三浦にもらったのか」
「ええ。最高の婚約者からもらった、最高のご褒美よ」
あたしは逃げることも避けることもせず、堂々と胸を張って彼を見据えた。
冬弥は、何かを言おうとして口を震わせたが、結局何も言えずに目を逸らした。
「……そうか。お前、本当に……変わったな」
「いいえ、あたしは変わってないわ。自分の価値をわかってくれる人が隣にいるって気づいただけ」
冬弥が去っていく背中を見ても、もう怒りも悲しみも湧かなかった。
ただ、早く夜にならないかな、と思う。
スマホを取り出し、ビデオ通話の準備をする。
「今日、冬弥に会ったわよ。指輪、見せつけてやったから」
そう報告した時の、行人の「よくやった、なっつー」という誇らしげな笑い顔が、今から楽しみで仕方なかった。
番外編第1話をお読みいただきありがとうございました!
本編に続き、二人のその後を描く番外編をお届けしていきます。楽しんでいただけたら嬉しいです!
【次回予告】
番外編 第2話「新妻修行はパスタ屋で」
結婚準備を進める二人。 shadow。でも、「家庭的な女」への道は遠くて……? 夏美が挑む、まさかの料理特訓!




