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勇者パーティの離婚調停に同席しています〜異世界家庭裁判所の調停官〜  作者: あゆと


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4/10

悪役令嬢の婚約破棄調停に同席しています 後編

「家と家の話、だと」


 王太子レオンハルト殿下の声から、先ほどまでの甘さが消えていた。


「私は、セシリアとの婚約を解消したいと言っている。ラウレンツ公爵家を敵に回したいなどとは言っていない」

「言っていなくても、そう動き始めています」


 ユリスは、婚約契約書の下に添えられていた黒い封蝋の書状を机の中央へ置いた。ラウレンツ公爵家の紋章。銀狼と月桂樹。王国建国から続く、古い公爵家の印だった。


「婚約破棄宣言の翌朝、ラウレンツ公爵家が王家へ提出する予定だった抗議書です」


 王太子殿下の喉が動いた。


「抗議書……」

「正式には、婚約契約の一方的毀損に関する照会および損害確認申入書です」

「……長いな」

「長い文書ほど、怒りを抑えて書かれています」


 ユリスは、抗議書の写しを開いた。


「内容を要約します」


「一、王太子殿下の夜会での発言により、セシリア様個人の名誉が損なわれたこと」

「二、王家とラウレンツ公爵家の婚約契約が、事前協議なく公衆の面前で破棄されたこと」

「三、ラウレンツ公爵家が十年間負担してきた教育費、随員費、儀礼衣装管理費、外交補佐の人件費が無視されたこと」

「四、諸侯および国外貴賓へ説明する責任が、王家側にあること」


 読み上げるたび、王太子殿下の顔から、恋の熱が一枚ずつ剥がれていった。


 ユリスは、抗議書を閉じなかった。


「以上です。これは恋文ではありません。家同士の契約が壊れた時に出る文書です」


 リリア嬢の顔から、血の気が引いた。


 王太子殿下は、ようやく机の上の婚約契約書を見た。そこには、二人の名だけではない。王家アルディリア家。公爵家ラウレンツ家。二つの家名が、同じ羊皮紙に並んでいた。


「私は、悪意で婚約を壊したわけではない」


 王太子殿下は、抗議書から目を逸らさずに言った。


「十年前に決められた婚約だった。王家の都合で、私とセシリアは並べられた。私も、自由に恋を選べなかった。愛のない婚姻を結ぶ前に止めたことまで、責められるのか」


 リリア嬢が、すがるように王太子殿下を見た。


「私は、誰も不幸にしたくなかった」


 ユリスは、しばらく黙っていた。それから、婚約契約書の端を指で押さえた。


「殿下。婚約を解消したいと申し出ること自体は、責めていません」

「では何だ」

「責任です」


 調停室の空気が止まった。


「婚約を解消したいと申し出ることはできます。協議もできます。条件も話し合えます。ですが殿下は、婚礼一か月前の夜会で、相手を『嫉妬深い悪女』と呼び、公衆の面前で一方的に破棄を宣言しました」


 ユリスは、三枚の文書を指で押さえた。


「殿下が苦しかったことは記録します。ですが、苦しかったことは、他人の名誉を傷つける免責事由ではありません」

「そんなつもりはなかった」

「つもりの有無ではありません。貴族社会は、発言の結果で動きます」


 ユリスは、三枚の文書をあらためて机の中央に並べた。


「慈善夜会は連名開催を取りやめた。西方大使夫人は茶会を延期した。王立孤児院後援会は役員資格を照会した。これはセシリア様個人だけでなく、ラウレンツ家の令嬢教育と婚約管理への疑義です」


 王太子殿下は黙った。


 その沈黙を待ってから、ユリスはセシリアへ視線を向けた。


「セシリア様。ラウレンツ公爵家の令嬢として、十年間、何を担ってきたか確認します」

「承知しております」


 セシリアは、背筋を伸ばしたまま答えた。白い手袋の指先が、膝の上で静かに重なる。


「ラウレンツ公爵家側の負担記録です」


 ユリスは次の紙束を開いた。


「王太子妃教育に必要な家庭教師費用。外交儀礼教師の費用。王家行事に同席するための随員、侍女、護衛の人件費。儀礼衣装の管理費。各国貴賓への贈答品準備費。婚礼準備に関わった公爵家側事務費」


 王太子殿下は、書面を見つめたまま動かない。


「これらは、セシリア様個人の趣味ではありません。王家とラウレンツ公爵家の婚約契約を前提に、公爵家が負担してきた費用です」

「セシリアは、そんなことを一度も」

「申し上げる立場ではなかったので」


 セシリアが静かに言った。


 王太子殿下は彼女を見た。


「私は、殿下の婚約者でした。費用や手間を殿下へ誇ることは、王家への協力を恩着せがましく見せる行為になります」

「だから、黙っていたのか」

「黙っていたのではありません」


 セシリアの声は揺れなかった。


「役目として、処理していました」


 リリア嬢の肩が、小さく震えた。


「次に、セシリア様が十年間担ってきた公務補佐を確認します」


 ユリスは、別の書類束を取り出した。


「殿下が西方大使の爵位名を誤られた際の謝罪状控えです。作成者はセシリア様」


 王太子殿下の目が動いた。


「北辺同盟調印式で、殿下が相手国王妹の名を誤って呼ばれた際の訂正文。作成者はセシリア様」

「それは」

「神殿慈善夜会で、寄付先名を誤って読み上げられた際の補足文。作成者はセシリア様」

「私は、そこまで」

「記憶にありませんか」


 ユリスは、一拍置いた。


「書類を見ていたから、殿下の婚礼は今日まで破綻せずに進んでいました」


 王太子殿下の口が閉じる。


 セシリアは、ほんの少し目を伏せた。泣いてはいない。勝ち誇ってもいない。十年間、自分のしてきたことを、初めて他人の口から正しく呼ばれた顔だった。


「次に、リリア嬢への贈答品について確認します」


 ユリスは、月光石のブローチの領収書を置いた。


 リリア嬢の手が、自分の胸元に触れかけて止まる。


「月光石のブローチ、王都宝飾商会発行。支払元は王家儀礼費。用途欄は『夜会装飾補助』となっています」

「彼女は夜会に出るための装いが必要だった」


 王太子殿下は即座に言った。


「王太子殿下の婚約者ではない男爵令嬢の装飾費を、王家儀礼費から支出した理由を確認しています」

「リリアは、いずれ私の隣に立つ」

「婚約解消前です」


 ユリスは、別の紙を出した。


「観劇席の貸切費。支払元は王太子府交際費。王宮護衛の私的派遣記録。用途は『要人警護』。リリア嬢の実家ベル男爵家への馬車便、王太子府負担」


 リリア嬢の唇が震えた。


「わ、私は、殿下が用意してくださったものだと」

「リリア嬢」


 ユリスの声は、彼女を責めるものではなかった。


「本日確認しているのは、王太子殿下の会計処理です。あなたが費用項目を承知していたかは、後ほど別に確認します」

「彼女を巻き込むな」


 王太子殿下が声を荒げた。


「彼女は純粋な人だ。王家の会計など知らない。私が守るべき女性だ」

「守る、という言葉を使われるのですね」


 ユリスは領収書を揃えた。


「では、十年間、殿下の失言処理、外交補佐、婚礼準備、王太子妃教育、各国貴賓対応を担っていたセシリア様は、誰が守る予定でしたか」


 王太子殿下は何も言わなかった。


 リリア嬢も、もう袖を掴まなかった。


 セシリアが、初めて息を吸う音が聞こえた。


「私は、愛されなかったことを争っているのではありません」


 調停室の視線が、セシリアへ集まった。


「殿下が私を愛していなかったことは、ずいぶん前から分かっておりました。私も、夢見る娘のように殿下をお慕いしていたかと問われれば、今はもう分かりません」


 彼女は、婚約契約書ではなく、王太子殿下を見た。


「十年間、私は殿下の隣で、殿下の席を守ってきました。謝罪状を書き、席順を直し、失言を補い、笑わない女だと言われながら、王太子妃になる者として座ってきました」


 白い手袋の指先が、ほんの少し折れた。


「殿下は、私を愛していなかったのではありません」


 王太子殿下の喉が動いた。


「私が何をしていたか、見ていなかったのです」


 リリア嬢の胸元で、月光石のブローチが小さく揺れた。


「その見ていなかったものを、夜会で悪女と呼ばれました」


 セシリアは、初めて息を震わせた。


「知らないまま、私を悪女にしたのですね」


 王太子殿下の顔が、そこでようやく歪んだ。


 怒りではなかった。弁解でもなかった。自分の言葉がどこに刺さったのか、今さら見えた人間の顔だった。


「セシリア」

「殿下」


 セシリアは、彼をまっすぐ見た。


「終わらせるなら、終わらせる責任があります」


 その言葉は、怒鳴り声より重かった。


 ユリスは調停案の紙を取り出した。ここから先は、言葉ではなく条件だ。


「婚約解消そのものは、双方合意とします。ただし、以下の条件を整理します」


 王太子殿下は項目を見た瞬間、表情を変えた。


「これは、多いな」

「一つずつ確認します」


 ユリスは読み上げた。


「一、セシリア様個人への慰謝料」

「二、夜会発言に関する名誉回復文書」

「三、ラウレンツ公爵家への婚約契約解消に伴う解決金」

「四、公爵家の社交的信用回復に必要な公告費、および諸侯、国外貴賓への説明使者費」

「五、王太子妃教育および公務補佐に対する清算金」

「六、大聖堂解約費、招待状再通知費、貴賓宿泊取消費等の婚礼準備費」

「七、リリア嬢への贈答品および私的便宜供与の個人精算」

「八、セシリア様側からの婚約宝飾品等の返還」


 王太子殿下は唇を結んだ。


「セシリア本人が婚約解消に応じても、これだけ残るのか」

「残ります」


 ユリスは、婚約契約書を指で押さえた。


「恋が終わっても、契約の後始末は消えません」


 沈黙が落ちた。


 外は夜だった。調停室の窓の向こうに、王都の灯りが見える。その灯りのどこかで、すでに噂は広がっている。真実の愛。嫉妬深い悪女。王太子の新しい恋。

 人は華やかな言葉が好きだ。けれど、その華やかな言葉の後始末をする者の名前は、あまり覚えない。


「名誉回復文書の文案を確認します」


 ユリスは、最後の紙を置いた。


 王太子殿下の顔色が変わる。


「文案まで用意しているのか」

「夜会での発言は公の場で行われました。訂正も公の形が必要です」

「私は、彼女に謝罪すれば」

「セシリア様個人への謝罪と、社交上の名誉回復は別です」


 ユリスは文案を読み上げる。


「王太子レオンハルト殿下は、春月第二日の夜会において、セシリア・フォン・ラウレンツ公爵令嬢に対し、事実確認を経ず『嫉妬深い悪女』との発言を行った。当該発言は婚約解消協議前の一方的発言であり、同令嬢およびラウレンツ公爵家の社交的信用を損なうものであったため、これを撤回する」

「そんなものを掲示すれば、私の名が」

「殿下が夜会で発言した時点で、セシリア様の名とラウレンツ公爵家の名は傷ついています」


 ユリスは王太子殿下を見た。


「片方の名だけを守る調停案は作れません」


 王太子殿下は、机の上の紙を見た。


 慰謝料。

 名誉回復文書。

 ラウレンツ公爵家への解決金。

 公告費。

 説明使者費。

 婚礼準備費。

 男爵令嬢への贈答品個人精算書。


 真実の愛という言葉が、一枚ずつ紙になって並んでいた。


「王太子殿下。内容を確認の上、署名をお願いします」


「私は」


 王太子殿下の声がかすれた。


「私は、愛に正直であろうとしただけだ」

「愛に正直であることと、他者に生じさせた損害を放置することは別です」

「セシリアを傷つけるつもりはなかった」

「つもりの有無は、名誉回復文書の必要性を消しません」

「リリアを守りたかった」

「守るための費用は、殿下個人で負担してください」


 王太子殿下は羽根ペンを取った。


 その指先は震えていなかった。まだ、彼は王太子だった。

 だが、署名の最後の線だけが、わずかに歪んだ。


 レオンハルト・アルディリア。

 十年前の婚約契約書にある少年の字より、ずっと整っている。それなのに、今日の字の方が幼く見えた。


「セシリア様」


 ユリスは、書類を回す。


 セシリアは一つずつ項目を確認した。急がなかった。王太子の顔色も、リリアの震えも、もう彼女を急かさなかった。


 彼女は最後に、婚約宝飾品返還の欄を見た。


 左手の指から、青い宝石の指輪を外す。それは、十年前に王家から贈られた婚約指輪だった。大きな音はしなかった。ただ、布の上にそっと置かれた。


 その小さな音が、調停室には一番重かった。


「返還いたします」


 セシリアは署名した。


 字は乱れなかった。乱れなかったことが、十年の長さを物語っていた。


 ユリスは双方の署名を確認し、押印した。


「調停成立です」


 リリアが、ようやく小さく息を吐いた。


 王太子殿下は、セシリアの外した指輪を見ていた。何かを言いたそうだった。けれど、調停室で言葉はもう足りていた。


 セシリアは書類箱を閉じた。


「セシリア」


 王太子殿下が呼んだ。


 彼女は立ち止まった。


「私は、君がそこまで背負っていたとは知らなかった」

「存じております」


 その返事は冷たくなかった。ただ、終わっていた。


「殿下は、ご存じありませんでした。だからこそ、本日ここで確認したのです」


 セシリアは一礼した。


「今後は、リリア様のことを、どうぞご自身で守ってください。私の謝罪状は、もう使えませんので」


 リリア嬢の顔が、はっきりと青くなった。


 王太子殿下は何も返せなかった。


 セシリアは調停室を出ていく。


 背筋はまっすぐだった。勝者の背中ではない。十年間、王太子妃になるために作られた姿勢を、今日ようやく自分のものとして持ち帰る背中だった。


 扉が閉まる。


 机の上には、指輪が残った。


 それから、調停案の写し。大聖堂のキャンセル料、招待状の再通知費、各国貴賓への謝罪文、名誉回復文書、ラウレンツ公爵家への解決金、男爵令嬢への贈答品の個人精算書。


 王太子殿下は、真実の愛のために署名した。その横に並んでいたのは、愛の証明ではなかった。


 真実の愛は、ようやく請求書の形になった。

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結婚式の1ヶ月前に勝手に婚約破棄ね。招待状も送った後でね。 死ねばいいのに。 人様の作品にこのような言葉申し訳ないけど。 公式な謝罪がいらないわけないでしょう。ユリア、いい仕事した。自分がバカだった…
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