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勇者パーティの離婚調停に同席しています〜異世界家庭裁判所の調停官〜  作者: あゆと


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3/10

悪役令嬢の婚約破棄調停に同席しています 前編

「王太子殿下。真実の愛については記録しました」


 王国中央家庭調停所、第三調停室。


 ユリス・グレンは、羽根ペンを置いた。


「では次に、大聖堂のキャンセル料を確認します」


 王太子レオンハルト・アルディリアの表情が、初めて止まった。


 金の髪。整った横顔。王国の未来そのものだと、宮廷詩人が三百回は褒めたであろう顔立ち。その王太子が、調停室の机の上に置かれた一枚の明細書を見て、魔獣と遭遇した若い騎士のように固まっていた。


「……キャンセル料?」

「中央大聖堂使用契約の解約に伴う費用です」

「待て。私は愛の話をしていた」

「記録しております」


 ユリスは、王太子の前に置かれた発言要旨へ視線を落とした。


「政略婚に愛はなかった。男爵令嬢リリア・ベル嬢こそ、真に心を通わせた相手である。公爵令嬢セシリア・フォン・ラウレンツ様は冷たく、嫉妬深く、王太子妃にふさわしくない。以上が、殿下の主張の要旨です」

「そこまで短くまとめると、私がただの無責任な男のようではないか」

「本日の争点は、そこを含みます」


 王太子の隣で、男爵令嬢リリア・ベルが小さく肩を震わせた。淡い桃色のドレス。柔らかく巻かれた金髪。胸元には、月光石のブローチが輝いている。その支払い記録も、今日の資料に含まれていた。


 対面に座る公爵令嬢セシリア・フォン・ラウレンツは、背筋を伸ばしたまま動かなかった。濃紺のドレス。白い手袋。膝の横には、革の書類箱が置かれている。

 泣き腫らした目ではない。怒りで震える唇でもない。十年間、王太子の隣で表情を崩さないことを覚えた顔だった。


「本日は婚約解消に関する調停です。婚約解消そのものについて、セシリア様は争わないと伺っています」

「争いません」


 セシリアの声は澄んでいた。


「王太子殿下が私との婚約継続を望まれないのであれば、婚約解消には応じます」

「なら話は早い」


 王太子が息を吐いた。


「セシリア、君もようやく分かってくれたのだな。私とリリアは」

「殿下」


 ユリスが、静かに言葉を置いた。


「婚約解消の意思と、婚約解消に伴う責任は別です」


 王太子は眉をひそめた。


 ユリスは一枚目の書類を机の中央へ滑らせる。


「婚約契約書です。十年前、王家アルディリア家と公爵家ラウレンツ家の間で締結されています。婚約者は、王太子レオンハルト殿下と公爵令嬢セシリア様。婚姻予定日は、来月の春月第七日。中央大聖堂での祝婚式、王城での披露式、翌日の祝賀行列まで日程が定められています」

「だからこそ、今やめるしかなかった」


 王太子は、ようやく自分の言葉を取り戻したようだった。


「愛のない婚姻を結ぶことこそ、不誠実だ。私は真実に従った。王族としてではなく、一人の男として」

「一人の男としてのご意見は記録しました」


 ユリスは、次の書類を置いた。


「次に、一人の契約当事者としての責任を確認します」


 調停室の空気が、そこで変わった。


 リリアが王太子の袖をそっと掴む。王太子は彼女を守るように顎を上げたが、机の上の紙は守れない。


「こちらが中央大聖堂予約台帳です。春月第七日から三日間、王太子殿下の祝婚式のために大聖堂が押さえられています。この期間、他の婚礼三件、叙任式一件、巡礼団の祈祷式二件が日程変更されています」

「王家の婚礼なのだから、当然だ」

「当然として進めた準備を、殿下の夜会での一方的な婚約破棄宣言により停止することになります。大聖堂側の解約費、日程変更となった三組への補償、巡礼団への再手配費。まず、この三項目です」

「そんなもの、王家の会計でどうとでもなる」

「王家の会計で処理するには、王家の公務上の理由が必要です」


 ユリスは、王太子の目を見た。


「男爵令嬢との真実の愛は、王家会計上の公務ですか」


 王太子は口を開き、閉じた。


 リリアの指が、袖から離れる。


 セシリアは黙っていた。視線は机の上の契約書に向けられている。そこには十年前の署名があった。王太子の少年らしい大きな字と、セシリアの丁寧な小さな字。その字だけが、まだ幼かった。


「調停官」


 王太子は、声を低くした。


「愛を金で測るつもりか」

「測っているのは愛ではありません。未使用となった会場費です」


 ユリスは次の紙を出した。


「こちらが招待状発送記録。国内諸侯百六十二家、国外貴賓二十九名、神殿関係者四十八名、騎士団代表十二名、魔術院代表七名。すでに封蝋済み、発送済みです」

「再通知すればいい」

「その再通知費も争点です」

「紙代まで私に負担しろと言うのか」

「紙代ではありません」


 ユリスの声は変わらない。


「王太子殿下の婚礼に出席するため、各家が移動日程、宿泊、贈答品、随員、衣装、護衛を手配しています。婚約解消の通知は、単に紙を送り直すことではありません。公爵家側の信用にも、王家側の信用にも関わります」


 セシリアの手袋の指先が、ほんの少しだけ動いた。


 十年間、彼女が見てきたものを、ユリスは机の上に置いていく。

 王太子は、まだ恋の話をしていた。ユリスは、国の行事が止まった音を聞いていた。


「セシリア様。婚礼準備、王太子妃教育、ならびに公務補佐に関する資料をお持ちですね」

「はい」


 セシリアは膝の横に置いていた革の書類箱へ手を伸ばした。


「婚約解消に異議はございません。ただし、十年間の準備がなかったことにはなりませんので」


 金具が、小さく鳴った。


 中から出てきたのは、涙に濡れた手紙ではなかった。


 王太子妃教育の出席簿。

 外交同伴記録。

 王妃代理式典補佐の一覧。

 婚礼衣装の採寸記録。

 各国貴賓の席順案。

 王太子の失言に関する謝罪状控え。

 夜会での婚約破棄宣言に関する証言書。


 紙が一枚ずつ机に並ぶたび、王太子の眉間に皺が寄った。


「ずいぶん用意がいいな」

「十年間、用意する役目でしたので」


 セシリアは静かに答えた。


 その一言に、リリアが目を伏せる。


 王太子は気づいていない。セシリアがいつも書類を持っていた理由に、まだ気づいていない。


「王太子妃教育の出席簿を確認します」


 ユリスは一冊を開いた。


「礼法、外交儀礼、王国史、諸侯家系、神殿儀礼、災害時慰問手順、王妃代理公務、王族会計基礎。十年間、欠席は三回」

「それは、彼女が望んだことだ」

「本当にそうですか」

「公爵令嬢なら、王太子妃になることは名誉だろう」

「名誉だけで十年の拘束を説明するのは困難です」


 ユリスは淡々と次の紙へ移る。


「外交同伴記録。西方大使晩餐会、北辺同盟調印式、神殿慈善夜会、南部水害慰問、王妃代理茶会。セシリア様は王太子殿下の婚約者として、王家側席に同席しています」

「それがどうした。婚約者なら当然だ」

「では、婚約者としての義務を果たした事実は認めますか」


 王太子は一瞬、言葉に詰まった。


「……認める」

「その義務を果たした相手を、殿下は婚礼一か月前の夜会で『嫉妬深い悪女』と呼びました」


 調停室の空気が固まった。


 リリアの顔が、はっきり青ざめる。


 王太子は椅子に背を預けた。


「あれは、彼女がリリアにきつく当たったからだ」

「具体的に、どの行為ですか」

「リリアが王族席へ近づいた時、セシリアは止めた」

「王族席への立ち入り権限は」


 ユリスは、書記官リナ・フェルの方を見た。

 リナが、記録束から該当箇所を抜き出す。


「夜会規定です。王族席周辺への入場は、王族、婚約者、外交使節、許可を得た近衛のみ。男爵令嬢リリア様の名はありません」

「ありがとうございます」


 ユリスは王太子へ視線を戻した。


「セシリア様の制止は、夜会規定に基づくものです」

「だが言い方が冷たかった」

「規定外の入場を制止する際、どのような温度が適切だったかは、必要なら別途確認します」


 ユリスは夜会証言書を置いた。


「ただし、その場でセシリア様を『嫉妬深い悪女』と呼び、婚約破棄を宣言した事実は、出席者三十二名の証言で一致しています」

「私は真実を言った」

「真実であることを確認します。証拠はありますか」


 王太子の顎が止まった。


 嫉妬深い悪女。


 その言葉は、夜会の笑い話では終わらない。


 王太子が公の場でそう呼んだ瞬間、セシリアの席は一つずつ消え始めた。貴族社会では、剣より速く噂が届く。そして噂は、翌朝には文書になる。


 ユリスは、セシリアへ視線を向けた。


「セシリア様。婚約破棄宣言の翌朝に届いた文書を確認します」

「提出いたします」


 セシリアは革の書類箱から、三枚の紙を取り出した。


 白い手袋の指先は、少しも乱れない。

 だが、その三枚を机に置く音だけが、妙に硬かった。


「婚約破棄宣言の翌朝に届いたものです」


 一枚目。慈善夜会の共同主催辞退届。セシリアとの連名開催を取りやめる、という通知。

 二枚目。西方大使夫人からの茶会延期状。来週予定されていた外交茶会を、当面延期するという連絡。

 三枚目。王立孤児院後援会からの役員資格照会状。後援会役員を継続してよいか、評議会で確認したいという文書。


 ユリスは、その三枚を王太子の前へ並べた。


「殿下。これは噂ではありません」


 王太子の眉が動いた。


「あなたの一言で、セシリア様の席が三つ消えかけた記録です」

「たかが、三通の書状だろう」


 王太子は言った。


 ユリスは、三枚の端をそろえた。


「いいえ」


 その声は静かだった。


「三通目までで済んでいるだけです」


 王太子の指が、机の縁にかかった。


「どういう意味だ」


 ユリスは、婚約契約書へ視線を落とした。


 そこにあるのは、王太子とセシリアの名だけではない。王家アルディリア家。公爵家ラウレンツ家。二つの家名が、同じ羊皮紙に並んでいた。


「殿下」


 ユリスは言った。


「ここから先は、セシリア様お一人の名誉ではありません」


 調停室の空気が、一段重くなった。


「家と家の話です」

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