↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者パーティの離婚調停に同席しています〜異世界家庭裁判所の調停官〜  作者: あゆと


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/22

スローライフ村の立ち退き調停に同席しています 前編

「この村は、私たちのです!」


 リナ・ハーゼの声が、調停室に響いた。


 机の上には、古い地券が置かれている。

 羊皮紙は黄ばみ、端は擦り切れていたが、押された紋章だけははっきり残っていた。


 ノルヴァン男爵家所有地。

 北の街道外れ。

 未利用原野。


 その横には、泥のついた古い杭が一本。

 さらに、薄い木札と帳面、それから小さな木箱が並んでいる。


 泉修繕費。

 パン窯使用札。

 薬草畑の畝札。

 旅人宿帳。


 調停官ユリス・グレンは、地券と杭を順に見た。


「本日の争点は、一つです」


 リナが唇を噛む。


 向かいに座る領主家代理人エルド・ノルヴァンは、背筋を伸ばしたまま動かない。

 灰色の上着。磨かれた靴。膝の上には、領主家の印章袋。

 怒鳴るために来た男ではなかった。


 だからこそ、机の上の地券が重く見えた。


「この土地から、リナ様たちは退去しなければならないのか」


 ユリスは、そこで一度言葉を切った。


「そのために、二つ確認します。どう始まったのか。今、何があるのか」


「始まりなら明らかです」

 エルドが言った。

「地券上、この土地はノルヴァン男爵家の所有地です。リナ様たちは、許可なく小屋を建て、畑を作り、旅人から宿代を受け取っています。無断占有である以上、明渡しを求めます」


「無断占有って……!」


「違いますか」


 エルドの声は荒くならなかった。

 だが、リナはすぐに言い返せなかった。


「あなたは、この村は私たちのものだとおっしゃった」

 エルドは地券の端に指を置いた。

「しかし、男爵家の台帳では、ここは未利用原野です。村ではありません。宿でもありません。薬草市でもありません」


「でも、今は違います!」


 リナは机に手を置いた。


「村を作るつもりはありませんでした」


 リナは、泥のついた杭を見た。


「王都では、朝から晩まで薬を作っていました。貴族の肌荒れ、商人の胃痛、冒険者の怪我、夜会前の眠気覚まし。鐘が鳴るたびに次の客が来て、薬草を刻んでいる間にも、早くしろって扉を叩かれて」


 リナは、少しだけ目を伏せた。


「だから、静かな場所で暮らしたかったんです。朝に薬草へ水をやって、昼に黒パンを焼いて、夕方に泉のそばで薄荷茶を飲む。誰にも急かされない暮らしがしたかった」


 リナは、宿帳に手を置いた。


「最初は、本当にそれだけでした」


 ユリスは、泥のついた杭を見た。


「それが、最初の小屋の杭ですか」


「はい」

 リナは頷いた。

「雨がひどい日に、泉のそばに倒れ込むみたいに座って。枝を組んで、布をかけて、この杭を打ちました」


「許可を得て打ちましたか」


 リナの喉が動いた。


「……勝手に打ちました」


 エルドが、わずかに眉を上げた。


 調停室が静かになる。


 ユリスは何も言わなかった。

 リナの言葉を、ただ書き留める。


「でも、そこで終わらなかったんです」

 リナは続けた。

「泉の水がいいから、羊飼いが寄るようになりました。薬草茶が効くから、旅人が泊まるようになりました。パン窯があるから、御者が朝まで馬を休めるようになりました。雨の日に子どもが濡れないように板を敷いたら、その道をみんなが使うようになりました」


 リナは、困ったように笑った。


「気づいたら、原っぱに朝の煙が何本も上がっていました」


「つまり」

 エルドが言った。

「勝手に始めた田舎暮らしが、勝手に集落になった」


 リナは言い返せなかった。


 エルドは、地券を指で押さえた。


「その間、男爵家への届け出も、税の納付も、土地使用の許可もなかった。違いますか」


 リナは、宿帳の端を指で押さえた。


「ありません。ちゃんとした紙は、何も」


 その一言で、机の上の地券がさらに重くなった。


「宿代や薬代を受け取っていたことは、争いませんね」

 ユリスが言った。


「争いません」


 リナの声は小さかった。


 ユリスは宿帳を開いた。


 日付。

 名前。

 支払いの品。

 薬代。

 泊まった人数。


 銀貨一枚。

 麦袋半分。

 干し肉。

 子どもの熱冷まし代。

 馬の脚の薬代。


 丁寧とは言えない字が、何十、何百と続いていた。


「あなた方は、村だと言う。では、村として誰が責任を負うのですか」

 エルドが言った。


 リナは答えられなかった。


「先月、北側の道で荷馬車が横転したそうですね。誰が報告を受けましたか。泉で腹を壊した旅人が出た時、誰が水を止めましたか。火事が出れば、男爵家の兵が呼ばれる。旅人が荷を盗まれれば、男爵家の詰所に訴えが来る」


 エルドは、地券の上に指を置いた。


「けれど男爵家の台帳には、そこに村がない」


 リナは唇を噛んだ。


「気づいたら村になっていました、で領地内に村が増えるなら、領主はいりません。道を整えるのも、治安を保つのも、病が出た時に兵を動かすのも、領主家の責任です。勝手に人を集めておいて、困った時だけ領主に責任を求めるのですか」


「困った時だけじゃありません」


 リナは、小さな木箱に手を置いた。


「見回りの兵にも、払っていました」


 エルドの顔が動いた。


「何をですか」


 リナは木箱を開けた。

 中には、小さな受領札が束になって入っていた。


 泉使用料。

 通行水代。

 旅人泊まり札。

 薬草市場所代。


 粗い字で書かれた木札の端に、ノルヴァン男爵家の小さな焼き印が押されているものがある。


「泉を使うなら水代がいるって言われました」

 リナは言った。

「旅人が泊まるなら、通行札がいるって。薬草を売るなら場所代がいるって。見回りの兵が来るたび、少しずつ払っていました」


 エルドは、すぐには受領札を押し返さなかった。


「それは正規の徴税ではありません」

 やや遅れて、エルドが言った。


「でも、紋が押されています」


「兵が勝手に押した可能性があります。あるいは古い焼き印を使ったのかもしれない。少なくとも、男爵家の帳簿には、この集落からの税収は上がっていません」


 リナは、机の上の地券を見た。


「原っぱなら、誰も見に来なかったはずです。でも見回りの人は来ました。水を飲んで、パンを食べて、薬を持って帰って、札を置いていきました。それでも、知らなかったことになるんですか」


「領主家が正式に許可したわけではありません」


「でも、誰かは見ていました」


 ユリスが、受領札を一枚取った。


「正規かどうかは、確認が必要です」

 ユリスは言った。

「ただし、領主家側の者がこの場所を見て、金品を受け取っていた可能性があります」


 エルドは表情を硬くした。


「仮に末端の不正があったとしても、土地の権利は変わりません。むしろ無許可の集落で金品の授受が行われていたなら、早急に整理すべきです」


「整理って、出ていけってことですか」


「必要ならば」


 リナは、宿帳を抱えるように手を置いた。


「ここには、人が暮らしています」


「その暮らしは、許可なく始まっています」


「それは認めます」


 リナは顔を上げた。


「でも、ここを私の土地だと言いたいんじゃありません」


 エルドがリナを見る。


「では、何を求めているのですか」


「ここで朝を迎える人たちを、原っぱに戻さないでほしいんです」


 リナは、宿帳を開いた。


「この人は、北の峠で足を折って、三日泊まりました。この子は、熱を出して薬を飲みました。この羊飼いは、春になると毎年泉に寄ります。ここに来る人は、地図の空白に泊まっているつもりじゃありません」


 リナの声は大きくなかった。

 それでも、最初の叫びよりも強かった。


「村を作ったんじゃありません。暮らしていたら、村と呼ばれるようになったんです」


「土地の話を避けることはできません」

 エルドが言った。


「避けません」

 リナは答えた。

「だから、ここに来ました」


 ユリスは、そこでペンを置いた。


「整理します」


 ユリスは、泥のついた杭を指した。


「リナ様たちは、勝手に始めました」


 リナは、黙って頷いた。


 次に、ユリスは宿帳と泉修繕費の木札を見た。


「ですが、ここにはもう暮らしがあります。旅人が泊まり、泉が直され、薬草が育てられ、パンが焼かれています」


 エルドは黙っていた。


 ユリスは、最後に焼き印のある受領札を机の中央へ置いた。


「さらに、領主家側の者がこの場所を見て、金品を受け取っていた可能性があります」


「正規のものではありません」

 エルドが言った。


「その点も含めて、整理が必要です」


 ユリスは、地券と杭と受領札を一直線に並べた。


「ここから確認するのは、退去させるかどうかだけではありません」


 リナが顔を上げる。


「勝手に大きくなった村を、どう扱うかです」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。