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勇者パーティの離婚調停に同席しています〜異世界家庭裁判所の調停官〜  作者: あゆと


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19/22

ドワーフ鍛冶工房の跡目争い調停に同席しています 後編

「ここからが、跡目争いです」


 ユリス・グレンがそう言うと、調停室の空気がさらに重くなった。


 机の上には、金賞剣《黒炉の黎明》がある。

 伏せられた広告札がある。

 予約台帳がある。

 火傷だらけの手袋がある。

 古い槌がある。


 兄ボルガは、台帳の角に指を置いたまま黙っていた。

 ミーシャは、柄の内側に刻まれた小さなMを見ている。

 ロッカは古い槌を膝に戻し、老親方グンデルは剣から目を離さなかった。


「候補ごとに確認します」

 ユリスは言った。

「まず、ボルガ様」


「俺からか」


「はい。ボルガ様が跡目になった場合、打った者の名前をどう扱いますか」


 ボルガは、すぐには答えなかった。

 商談の席なら、笑って言葉を選んだはずだった。

 だが、ここには客はいない。

 値切る貴族も、紹介状をちらつかせる商会主もいない。

 いるのは、妹と、弟子頭と、父親だった。


「段階を踏む」

 ボルガは言った。

「いきなり全部を変えれば、客が混乱する。王弟殿下の儀礼剣も、侯爵家の婚礼短剣も、北方騎士団長の退任記念剣も、グンデル工房の名前で受けている。明日から全部ミーシャ作です、と言えば、保証はどうなる、値は下がるのか、親方はもう打っていないのか、と騒がれる」


「段階って何年だ!」


 ミーシャが声を荒げた。


「今度は何年待てばいい。次の武具展までか。王弟殿下の剣が終わるまでか。侯爵家の短剣が終わるまでか。兄さんはいつも段階って言う。だけど、その段階の間に、私の名前だけが消えるんだ!」


「だから、消すとは言っていない」

 ボルガの声も荒くなった。

「俺が跡目になれば、注文は守れる。客も逃がさない。値も落とさない。ミーシャ、お前の名前は出す。だが、出し方は俺が決める。客に叩かれる出し方をすれば、お前の剣は最初から値切られる」


「私の名前を、兄さんの商談の道具にするな!」


「お前の剣を、安売りの餌にさせないと言ってるんだ!」


 ロッカが、低く笑った。


「結局、打ち手の名前は後回しってことだろ」


 ボルガが睨む。


「現場だけ見てるやつには分からない。名前を出せば終わりじゃない。出した後に、その名前をどう守るかが商売だ」


「分かるさ」

 ロッカは古い槌を親指で撫でた。

「ただ、あんたが守ると言うものは、いつも客と値段が先に来る。打ったやつの名前は、その後だ」


 ユリスは短く頷いた。


「ボルガ様を跡目にした場合、客と予約は守れます」

 ユリスは、予約台帳に手を置いた。

「ただし、打った者の名前が後回しになるおそれがあります」


 ボルガは唇を結んだ。

 反論しなかった。


「次に、ミーシャ様」


 ミーシャは顔を上げた。


「ミーシャ様が跡目になった場合、この予約台帳をどう扱いますか」


「私の名前で売る」

 ミーシャは即答した。

「親方直打ちはやめる。父さんが最後に見たなら、グンデル監修でいい。私が打った剣には、私の銘を入れる」


「王弟殿下の儀礼剣もか」

 ボルガが言った。

「明日、王都に使いを出して、今後はミーシャ作です、値段は同じです、保証も同じですと言うのか。問い合わせは誰が受ける。値下げ交渉は誰が止める。納期を守れと言われた時、炉の前から離れてお前が頭を下げに行くのか」


「行く!」


「その間、誰が打つ」


 ミーシャの口が止まった。


 ボルガは続けた。


「客は黙って待たない。王都の貴族は優しくない。名を出した瞬間、実力を測りに来る。一本でも納期を落とせば、グンデルの娘は口だけだと言われる。一本でも値を下げれば、次から全部その値になる。お前は剣を打てる。だが、客を相手に毎回同じ強さでいられるのか」


「兄さんがそれを教えなかったんだろ!」


「教える前に、お前は炉へ戻る」


 ミーシャが黙った。


 ロッカが、そこへ言葉を入れた。


「ミーシャは打てる。そこは誰も疑ってねえ」

 ロッカは机の上の剣を見た。

「だが、打てるやつほど寝ねえ。気に入らなければ、飯も食わずに炉へ戻る。親方になってもそれをやったら、弟子は真似する。三日寝ないのが当たり前になる。失敗を自分の手で全部直すのが当たり前になる。そうなったら、現場はもたねえ」


「私がそんな親方になるって言うのか」


「なれるから怖いんだよ」

 ロッカは言った。

「自分でできるやつは、できないやつの遅さを忘れる」


 ミーシャは古い槌を見た。

 ロッカの手には、古い火傷の跡がいくつもあった。


 ユリスは、火傷だらけの手袋を見た。


「ミーシャ様を跡目にした場合、剣の名前は立ちます」

 ユリスは言った。

「ただし、客と現場を一人で背負うことはできません」


 ミーシャは奥歯を噛んだ。

 それでも、否定はしなかった。


「ロッカ様」


「俺はならねえぞ」


 ロッカは先に言った。


「聞きます」

 ユリスは表情を変えない。

「ロッカ様が跡目になる意思はありますか」


「ねえ」

 ロッカははっきり言った。

「俺は現場を見る。弟子の手を見る。実用剣の数を見る。修理の山を見る。だが、王都の客に頭を下げるのも、金賞剣の顔になるのも向いてねえ。そこは俺の仕事じゃねえ」


「では、何を求めますか」


「誰が跡目でも、現場の条件を入れろ」

 ロッカは言った。

「弟子の仕事を消さない。無理な納期を現場に押し込まない。打ったやつの銘を消さない。失敗した刃を、なかったことにしない。それだけだ」


 ボルガが鼻を鳴らした。


「条件ばかり出すな」


「条件なしでやってきた結果が、これだろ」

 ロッカは机の上の《黒炉の黎明》を顎で示した。

「打ったやつの名前は柄の内側。売ったやつの都合は広告札。弟子の仕事はどこにも出ねえ。親方の名前だけが外に出る。もう一回それをやるなら、俺は弟子を連れて出る」


 グンデルの眉が動いた。


「脅すのか」


「報告だ、親方」

 ロッカは老親方を見た。

「若いのはもう見てる。誰が打っても、最後に名前が消える工房だって分かったら、残らねえ」


 調停室が静まった。


 ユリスは、グンデルへ向いた。


「グンデル様。三人とも、正しい部分があります」


「だから決められんかったんじゃ」


 グンデルは低く言った。


「ボルガは客を守った。ミーシャは剣を打った。ロッカは現場を支えた。誰か一人を選べば、ほかが離れる。わしは、それが嫌だった」


「選ばなかった結果、全員が離れる準備をしています」


 グンデルは黙った。


 ミーシャも、ボルガも、ロッカも、老親方を見た。


「わしは」

 グンデルは、ようやく口を開いた。

「わしは、まだ工房が同じ形で残ると思っておったのかもしれん」


 白い髭の下で、声が少しだけ揺れた。


「ボルガが客を取り、ミーシャが剣を打ち、ロッカが弟子を見る。わしの名でまとまるなら、それでいいと」


「まとまっていません」

 ユリスが言った。


「見れば分かる」

 ミーシャが低く言った。

「柄の内側に名前を隠した娘がいるんだから」


 グンデルは目を閉じた。


 長い沈黙のあと、ユリスは机の上の広告札をもう一度見た。

 赤い文字は伏せられたままだった。


「一つの案を出します」


 全員が、ユリスを見た。


「命令ではありません」

 ユリスは言った。

「受けるかどうかは、皆さんで決めてください」


 ボルガが腕を組んだ。

 ミーシャは手袋を握った。

 ロッカは槌を膝に戻した。

 グンデルは黙っていた。


「跡目候補の第一案は、ミーシャ様です」


 ミーシャの肩が揺れた。

 ボルガの顔が険しくなる。


「理由は」

 ボルガが言った。


「次の看板になる剣を打てるからです」

 ユリスは短く答えた。

「跡目は、過去の名前を守るだけでは務まりません。次の剣を作れなければ、工房は過去の看板になります」


「俺が守ってきた客はどうなる」


「残します」

 ユリスは言った。

「三か月の移行期間を置きます。その間、ボルガ様は営業、予約、価格、保証の責任を持つ。ミーシャ様は、すべての大口商談に同席してください」


「私が?」


「はい」

 ユリスはミーシャを見た。

「客を失えば、剣を打つ場所も失います」


 ミーシャは不満そうに唇を結んだが、何も言い返さなかった。


「広告表示は変更します」

 ユリスは伏せた札を指で押さえた。

「今後、親方直打ちという札は使わない。作った者、最後に確認した者、売る者を分けて示します」


「そんなことをしたら、客が混乱する」

 ボルガが言った。


「混乱します」

 ユリスは認めた。


 ボルガは一瞬、言葉を失った。


「注文は減るかもしれません。値下げを求められるかもしれません。今までの札は何だったのかと聞かれるでしょう」


「なら、なぜやる」


「今の札では、誰が何をしたのか分からないからです」


 ユリスは《黒炉の黎明》に視線を落とした。


「揉めない案ではありません。揉める場所が見える案です」


 ミーシャが、ゆっくり息を吐いた。


「私の銘は」


「打った剣には入れます」

 ユリスは言った。

「ただし、入れる以上、保証も背負います。名を出すとは、褒められるためだけではありません」


 ミーシャは頷いた。

 小さくだが、確かに頷いた。


「ロッカ様」


「何だ」


「ロッカ様は現場長として、弟子の工程、無理な納期、危険な作業を止める権限を持つ案です」


 ロッカの目が細くなった。


「止めたら、ボルガが怒鳴るぞ」


「止める理由を記録してください」

 ユリスは言った。

「感情ではなく、工程で」


 ロッカは少し笑った。


「工程でなら、いくらでも書ける」


「ただし、ロッカ様も条件があります」

 ユリスは続けた。

「現場を守るという名目で、商談や納期をすべて拒むことはできません。現場長は、止めるためだけの役ではありません」


「分かってる」

 ロッカは槌を握った。

「止めるためじゃねえ。渡せる剣にするためだ」


 ユリスは最後にグンデルを見た。


「グンデル様」


「なんじゃ」


「三か月の間、監修名義は残せます。ただし、直打ちとは書けません」

 ユリスは言った。

「そして、正式な跡目合意を作るまでに、グンデル様ご自身が、跡目候補を一人に絞る意思を示してください」


 グンデルの顔が険しくなった。


「まだ決めろと言うのか」


「はい」


「調停官が決めればよかろう」


「決めません」

 ユリスは即座に答えた。

「これは提案です。工房を継ぐのは、私ではありません」


 グンデルは黙った。


 その沈黙の中で、ボルガが台帳を閉じた。


「つまり、俺は負けか」


「違います」

 ユリスは言った。

「ボルガ様の仕事は残ります。むしろ、今までよりはっきり残ります」


「跡目ではないのにか」


「跡目にならなければ無価値、という話ではありません」

 ユリスは台帳を見た。

「客を繋ぐ仕事は、剣を打つ仕事とは別に必要です。ですが、それだけでは跡目には足りません」


 ボルガは奥歯を噛んだ。

 だが、その言葉は否定できなかった。


 ミーシャが、低く言った。


「兄さんの同席が必要なのか」


「必要です」

 ユリスは答えた。

「ミーシャ様は剣を打てます。ですが、客との約束を知らなければ、工房は続きません」


「私が親方になっても、兄さんに頭を下げろってことか」


「頭を下げる相手を間違えないためです」


 ミーシャはむっとした顔をした。


 ロッカが笑った。


「いいじゃねえか。兄妹で頭を下げ合え」


「笑うな!」


「笑うさ。少しは笑わねえと、この工房は重すぎる」


 グンデルが、伏せられた広告札を見た。


「親方直打ち、か」


 誰も答えなかった。


「わしは」

 グンデルは、ゆっくり言った。

「その札を見た時、止められた」


 ボルガが顔を上げた。


「親父」


「止められたんじゃ」

 グンデルは繰り返した。

「これは違う、と言えた。じゃが、言わんかった。グンデルの名がまだ売れると知って、少し安心した」


 ミーシャの手が止まった。


 ボルガも何も言わなかった。


「わしは、打てん」

 グンデルは右手を見た。

「だが、名はまだ売れる。そう思った。だから、黙った」


 調停室が静まり返った。


 ユリスは何も言わなかった。

 その沈黙は、責めるより重かった。


「最低だな」

 ミーシャが言った。


「そうじゃな」


 グンデルは否定しなかった。


「今さら謝るなよ」


「謝らん」


「なんでだ!」


「謝って済むことではないからじゃ」


 ミーシャは、言葉を失った。


 グンデルは《黒炉の黎明》を見た。

 それから、柄の内側に刻まれた小さなMを見た。


「ミーシャ」


「何」


「次からは、刃に刻め」


 ミーシャの目が細くなる。


「許したつもり?」


「違う」


 グンデルは、短く息を吐いた。


「もう、隠すなと言っとる」


 ミーシャは答えなかった。

 ただ、火傷だらけの手袋を握りしめた。


 ボルガが、低く言った。


「刃に刻んだら、客は聞いてくるぞ」


「聞かせればいい」

 ミーシャは言った。


「値を下げろと言われる」


「下げさせるなよ、営業だろ」


 ボルガは一瞬、妹を睨んだ。

 それから、ほんの少しだけ口元を歪めた。


「言うようになったな」


「ずっと言ってた。聞かなかったのは兄さんだ」


 ロッカが槌を肩に担いだ。


「で、弟子の納期は俺が止める」


「止めすぎるなよ」

 ボルガが言った。


「詰めすぎるなよ」

 ロッカが返した。


「二人とも」

 ミーシャが低く言った。

「私の剣の前で喧嘩するな」


「お前が一番怒鳴ってたろうが」

 ロッカが言うと、ミーシャは睨んだ。


 ユリスは、机の上の書面を一枚引き寄せた。


「仮の合意案を読みます」


 全員が、再びユリスを見る。


「一つ。グンデル工房の正式な跡目は、本日決定しない。ただし、第一候補をミーシャ様とする」

 ユリスは淡々と読んだ。

「二つ。三か月の移行期間を置き、ボルガ様は営業、予約、価格、保証の責任を持つ。ミーシャ様は大口商談に同席する」

「三つ。今後の広告では、製作者、監修者、販売責任者を分けて表示する。親方直打ちという表現は、本人が実際に打った場合に限る」

「四つ。ロッカ様を現場長とし、弟子の工程、無理な納期、危険な作業について意見を出す権限を認める。ただし、理由は工程で示す」

「五つ。三か月後、ミーシャ様が営業と現場条件を守れるかを確認し、正式な跡目合意を作る」


 ボルガが言った。


「これでも揉めるぞ」


「揉めます」

 ユリスは言った。


 ミーシャが眉を寄せる。


「そこは否定しないのか」


「しません」

 ユリスは書面を置いた。

「客は迷います。注文は減るかもしれません。ボルガ様とミーシャ様の意見が割れれば、納期は止まります。ロッカ様が現場を止めるたびに、誰かが怒ります。グンデル様が黙れば、また同じことになります」


「じゃあ、何が変わる」


 グンデルが聞いた。


「誰の仕事かが見えるようになります」


 ユリスは答えた。


「それだけか」


「はい」

 ユリスは言った。

「ですが、今はそれが見えないから、全員が傷ついています」


 誰も、すぐには返せなかった。


 ボルガは台帳を見た。

 ミーシャは自分の手袋を見た。

 ロッカは古い槌を見た。

 グンデルは、伏せられた広告札を見た。


 しばらくして、ボルガが言った。


「三か月だ」


「はい」


「三か月で、王都の客に通らなければ」


「再調停です」


「ミーシャが商談で怒鳴ったら」


「記録します」


「記録するだけか」


「必要なら条件を変えます」


 ミーシャが言った。


「兄さんが私の名前を後ろに回したら」


「記録します」


「ロッカが納期を止めすぎたら」

 ボルガが言った。


「記録します」


「何でも記録かよ」

 ロッカがぼやいた。


「記録がなければ、また声の大きい人の言い分だけが残ります」


 ユリスが言うと、ロッカは黙った。


 グンデルが、ゆっくり書面を見た。


「わしは、何をすればよい」


「黙らないでください」


 ユリスは言った。


 老親方の眉が動く。


「名を貸すなら、どういう意味で貸すのかを言ってください。監修なのか、保証なのか、実作なのか。曖昧にしたまま頷かないでください」


 グンデルは長く黙った。

 それから、小さく頷いた。


「……分かった」


 ミーシャが、少しだけ驚いた顔をした。


 ユリスは書面を四人の前に置いた。


「この案を、持ち帰る必要はありますか」


 ボルガがミーシャを見た。

 ミーシャがロッカを見た。

 ロッカがグンデルを見た。

 グンデルは、誰も見ずに広告札を見ていた。


「持ち帰ったら」

 ロッカが言った。

「また親方が黙る」


「黙らん」

 グンデルが言った。


「今、黙りかけたろ」


「黙っとらん」


「黙ってた」


「うるさいわ」


 ボルガが深く息を吐いた。


「俺は、この案を全部飲むとは言っていない」


「はい」

 ユリスは頷いた。


「だが、親方直打ちの札は下げる」


 ミーシャが顔を上げた。


「本当に?」


「その代わり、ミーシャ作と出すなら、商談には出ろ。値を下げろと言われても、炉に逃げるな」


「逃げない」


「怒鳴るな」


「それは相手による」


「そこを直せと言ってるんだ」


 ロッカが笑いかけたが、ミーシャに睨まれて口を閉じた。


「弟子の納期は」

 ロッカが言った。


「工程表を出せ」

 ボルガが返した。

「止めるなら、理由を書け。俺が客に説明できる形にしろ」


「書く」

 ロッカは言った。

「その代わり、勝手に詰めるな」


「詰める時は相談する」


「相談だけで押し切るな」


「お前も止めるだけで終わるな」


 二人はしばらく睨み合った。


 ミーシャが、小さく息を吐いた。


「面倒くさいな」


「工房を継ぐとは、そういうことです」

 ユリスが言った。


 ミーシャは、言い返せなかった。


 グンデルが、机の上の《黒炉の黎明》を指で押した。


「これは」

 老親方は言った。

「銘を入れ直せ」


 ミーシャが顔を上げた。


「今さら?」


「柄の内側ではなく、見えるところにじゃ」


「客に出た剣だぞ」


「戻ってきたら、入れ直せ」


「命令?」


「違う」


 グンデルは、少しだけ目を伏せた。


「わしの名ではない」


 その言葉に、ミーシャは黙った。


 ボルガも、ロッカも何も言わなかった。


 ユリスは、書面の端を揃えた。


「では、この内容を仮合意案として作成します」

 ユリスは言った。

「正式な跡目は、三か月後の確認を経て決めます」


 グンデルが低く言った。


「また、決める日が来るのか」


「来ます」


「逃げられんか」


「逃げれば、また誰かの名前が消えます」


 老親方は、ゆっくり頷いた。


 その日、グンデル工房の跡目は、まだ決まらなかった。


 けれど、次に打たれる剣の銘を、柄の内側に隠すことだけは、もう許されなかった。

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