ダンジョン配信パーティの撮影事故調停に同席しています 後編
「この進行表では、安全誘導担当の撤退判断が、配信演出の下に置かれています」
調停官ユリス・グレンの声は、静かだった。
だが、机の中央に置かれた撮影進行表は、静かではなかった。
スポンサー紹介。魔物誘導。耐久場面。撤退予定地点。配信終了後の商品案内。整った文字の中に、一行だけ、ミラ・セインの喉を焼いた言葉がある。
撤退判断者、配信責任者カイゼル。
安全誘導担当ミラは、撤退路提示のみ。
「配信には責任者が必要です」
リリアナ・フレアが言った。編集担当らしく、声は整っている。
「現場で全員が好き勝手に撤退を叫んだら、配信は成立しません。スポンサー案件なら、見せ場も必要です」
「見せ場の必要性は確認します」
ユリスは、進行表の横にスポンサー台本を置いた。
「次に、その見せ場を誰の危険で作る契約だったのかを確認します」
「ミラは危険を承知でダンジョンに入っていました」
カイゼル・ロンドが言った。
「ダンジョン配信だぞ。危ないに決まってる。安全な部屋でお茶を飲んでるわけじゃない」
「危険な仕事であることと、契約にない危険を増やしてよいことは別です」
ユリスは、同行補助契約書を指で押さえた。
「この契約書にあるのは、ダンジョン同行補助、罠警戒、撤退路確認、荷運び補助です。魔物の正面に三十秒以上立つ広告演出は、ここにはありません」
カイゼルの横に座っていた男が、そこで初めて口を開いた。
ガドル商会の担当者、ネイル・ガドル。灰色の上着の胸に、防護マントの小さな刺繍がある。
「我々は、演出案を出しただけです。強制したわけではありません。現場の判断は《銀灯チャンネル》様にお任せしていました」
「演出案ですか」
ユリスは、スポンサー台本の一文を読み上げた。
「『対象者は魔物の正面に三十秒以上立つこと。攻撃を受ける場面が明確に映ること。成功時、追加報酬金貨十枚』」
ネイルの表情が薄く固まった。
「報酬条件ではあります」
「危険な演出ほど追加報酬が出る条件ですね」
「商品の性能を伝えるためです」
「商品の性能を伝えることと、対象者本人の同意なく危険演出へ立たせることは別です」
ユリスは、台本の署名欄を示した。
「カイゼル様の署名はあります。商会印もあります。ミラ様の署名はありません」
ミラは吊った右腕を見下ろしていた。布の下で、指先が少しだけ動く。まだ痛むのだろう。
「ミラ様」
ユリスが呼ぶ。
「事故の直前、あなたは撤退を求めていますね」
「はい」
「理由は」
「足場の魔力が抜けていました。魔獣が前脚を叩きつけたら、床が沈むと分かったからです」
「その判断は、安全誘導担当としての業務ですか」
「そうです」
「その判断は、採用されましたか」
「されませんでした」
ミラはカイゼルを見た。
「カイゼルが、まだ回せと言った」
「その声は映像に残っていますか」
「編集前には残っています」
ユリスは編集前映像石を再生した。
黒い床。魔獣の息。防護マントの銀色。ミラの叫び。
『撤退! 足場が崩れる!』
その直後、カイゼルの声。
『まだ回せ! ここが見せ場だ!』
魔獣の前脚が落ちた。床が割れ、ミラの身体が飛ぶ。再生が止まる。
調停室の誰も、すぐには喋らなかった。
「公開済み映像では」
ユリスは別の映像石を置いた。
「ミラ様の撤退の声は、魔獣の咆哮音と重なっています。カイゼル様の『まだ回せ』という指示は、入っていません」
「混乱音を整理しただけです」
リリアナは言った。
「視聴者が見やすい映像にしたんです」
「見やすくした結果、安全誘導担当が撤退を求めた事実と、配信責任者が撮影継続を指示した事実が消えています」
「消したわけではありません。編集です」
「編集であることは確認します。次に、その編集後の映像が何に使われたかを確認します」
ユリスは、ガドル商会の広告札を机へ置いた。
防護マントの絵。銀灯チャンネルの徽章。大きな文字。
魔獣の一撃にも耐えた。
銀灯チャンネル実証済み。
命を救う新作防護マント。
ミラの吹き飛ぶ瞬間が、小さな水晶絵として貼られていた。
「これは、ガドル商会の広告ですか」
「はい」
ネイルは渋々答えた。
「事故映像を使用していますね」
「防護マントの効果が最も伝わる場面でした」
「その場面に映っているミラ様から、広告利用の同意は得ていますか」
「パーティ案件として」
「ミラ様個人の同意を確認しています」
ネイルは答えなかった。
ユリスは、ミラの診断札と広告札を並べた。
肋骨のひび。右肩の損傷。魔力神経の一時麻痺。
その横に、命を救う新作防護マント。
「防護マントが命を救った、と広告に使うなら、まず誰の命を、誰が、どの契約で危険に置いたのかを確認します」
カイゼルが舌打ちした。
「まるで俺がミラを殺そうとしたみたいな言い方だな」
「そうは言っていません」
「俺だって危険だった。前に出ていたのは俺だ。視聴者を集めて、スポンサーを取って、チャンネルを食わせていたのも俺だ。ミラだけが危険だったわけじゃない」
「そこは確認します」
ユリスは頷いた。
「カイゼル様は、配信の顔として戦闘し、視聴者対応を行い、スポンサー交渉をしました。その貢献は否定しません」
「なら」
「ただし、その貢献は、ミラ様の撤退判断を演出の下に置く理由にはなりません」
カイゼルの口が止まった。
「リリアナ様の編集も同じです」
ユリスは視線を移す。
「映像を整え、視聴者に届ける役割は確認します。ですが、事故の原因に関わる声を消した映像を広告素材にするなら、別の問題になります」
リリアナは唇を噛んだ。
「伸ばさないと、次の案件が来ないんです」
「伸びることと、負傷者の判断を消すことは別です」
ミラは、ずっと黙っていた。
怒鳴らなかった。泣かなかった。ただ、診断札と広告札の間にある隙間を見ていた。
「ミラ様」
ユリスが言った。
「調停で、何を求めますか。治療費、休業補償、危険手当、事故映像の広告利用停止。申立書にはそうあります」
「それは必要です」
ミラは答えた。
「右腕が戻るまで、ダンジョンには入れない。薬代もいる。休んだ分の金もいる」
「それ以外に、確認したいことはありますか」
「あります」
ミラは顔を上げた。
「次の子に、撤退するなって言わせない条件を残してください」
カイゼルが眉を動かした。
「次の子?」
「私の後に、誰かを立たせるんだろ。マントを着せて、笑わせて、見せ場だって言って」
「決めつけるな」
「じゃあ、契約書に書けるはずだ。安全誘導担当が撤退と言ったら、配信より先に止まるって」
調停室の空気が少し変わった。
金の話から、次の事故の話へ移った。
「確認しました」
ユリスは新しい用紙を出した。
「本件の調停案を整理します」
「一、《銀灯チャンネル》は、ミラ・セイン様に対し、未払いの同行日当を支払う」
「二、ガドル商会協賛案件における危険演出について、危険手当を支払う」
「三、事故により発生した回復薬代、肩固定符、神経鎮静薬、再診料を支払う」
「四、同行不可期間三十二日分について、休業補償を支払う」
「五、事故映像の広告利用は、ミラ様の個別同意があるまで停止する」
「六、公開済みの事故映像には、スポンサー案件であること、事故が発生したこと、ミラ様が撤退判断を出していたことを追記する」
「七、降板告知文案『恐怖により活動継続困難』は使用しない。『撮影事故による負傷と契約条件の見直しにより離脱』とする」
「八、今後のダンジョン配信では、安全誘導担当の撤退判断を配信演出より優先する」
「九、スポンサー台本に危険演出を含める場合、対象者本人の個別署名を必要とする」
「十、事故時の治療費、休業補償、映像利用範囲を契約書に明記する」
「十一、ミラ様が他の配信パーティと安全監督として契約することを妨害しない」
「十二、ガドル商会は本件事故映像を使った防護マント広告を停止し、再利用する場合は別途契約する」
「重すぎる」
カイゼルが低く言った。
「これじゃ、ダンジョン配信ができない。見せ場がなくなる」
「見せ場を作ることはできます」
ユリスは答えた。
「ただし、危険演出に立つ者の同意と、撤退判断の優先順位を契約に入れてください」
「視聴者は危ない場面を見に来る」
「危険な場面を見せることと、危険を増やすことは別です」
ネイルが、広告札を見ながら言った。
「商会としては、映像利用の停止は痛い」
「再契約は可能です」
「ミラ嬢が同意するとは思えませんが」
「同意がないなら、使えません」
ユリスの声は変わらない。
「負傷した本人の映像です」
リリアナが、公開済み映像石を見た。
「追記を入れたら、カイゼルの判断が悪く見えます」
「実際に、撤退判断は出ていました」
「でも、あの時は止めたら案件が失敗して」
「案件の成功と、事故原因の表示は別です」
カイゼルは黙った。
配信者としての顔が、少しずつ剥がれていく。残ったのは、次の案件も、その次の配信も考えていた男の顔だった。
「ミラ」
彼はようやく名前を呼んだ。
「俺は、お前を使い捨てにするつもりはなかった」
「知ってる」
ミラは言った。
「だから余計に嫌なんだ。あんたは、悪いことをしてる顔じゃなかった」
カイゼルの喉が動いた。
「ただ、数字を見てた。反応札を見てた。追加報酬を見てた。私が撤退って言った時も、画面の方を見てた」
カイゼルは何も言えなかった。
ユリスは署名欄を示した。
「内容を確認の上、署名をお願いします」
最初に署名したのはミラだった。
吊った右腕は使えない。左手でゆっくり書いたため、文字は少し震えていた。
次にカイゼルが署名した。筆圧が強く、最後の線がやや乱れた。リリアナは編集訂正の欄に署名し、ネイルは広告利用停止の欄に商会名を書いた。
ユリスは内容を確認し、押印した。
「調停成立です」
その後、机の上には、事故映像石、診断札、回復薬の領収書、スポンサー台本、撮影進行表、広告札が残った。
どれも派手な宝ではない。
けれど、一つずつが、事故をただの神回にしないための重しだった。
数日後、ミラのもとへ別の配信パーティから契約書が届いた。
表題は、ダンジョン配信同行契約。
以前のものと似ている。けれど、役割欄だけは違っていた。
ダンジョン配信安全監督。
撤退判断権あり。
危険演出は個別同意。
事故映像の広告利用不可。
ミラは、まだ少し動きにくい左手で署名した。右腕は治っていない。ダンジョンに戻るには、まだ時間がかかる。
それでも、今度の契約書には、最初から書かれていた。
逃げろと言う権利が。




