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勇者パーティの離婚調停に同席しています〜異世界家庭裁判所の調停官〜  作者: あゆと


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14/22

魔女の異臭騒動調停に同席しています 前編

「臭いんです!」


調停室の机に、洗濯布が置かれた。

白かったはずの布は、薄く黄ばんでいる。乾いているのに、湿った薬草の匂いが立った。苦い。青い。焦げた草と古い煙と、少しだけ甘い花の腐ったような匂い。

見習い書記官リナ・フェルは、羽根ペンを持つ指を一瞬だけ止めた。すぐに姿勢を戻す。調停室では、匂いの感想を書くより先に、机の上の現物を見る。

「これが、三日前に干した子どもの下着です」

申立人のヘルガ・ロウは、声を震わせて言った。三十代半ばの母親で、両手は洗濯で荒れていた。爪の端に白い石鹸かすが残っている。

「洗い直しても落ちません。娘が学校で、魔女臭いって言われたんです」

机の向こうで、黒い外套の女が黙って座っていた。

魔女メルヴィナ・クロウ。村外れの小屋に住む薬草師で、香炉師で、治療薬の調合師。黒髪を後ろで束ね、指先は薬草の汁で薄く染まっている。怒っているようにも、怯えているようにも見えない。ただ、疲れていた。

「魔女の小屋から煙が流れてくるんです。夜に窓を開けられません。洗濯物は臭くなる。子どもはからかわれる。朝になると井戸の方まで変な匂いがします。村で暮らせません」

「村全体の問題です」

ヘルガの隣に座る男が、重々しく頷いた。村長バルム。丸い顔に、手入れの行き届いた髭。胸には村長印の入った銀の留め具。困っている村人を代表している、という顔をしていた。

「魔女殿には、小屋を移していただきたい。できれば薬草畑も、村から離れた東の荒れ地へ。住民の生活を守るためです」

メルヴィナは、まだ何も言わない。

代わりに、焦げた小さな香炉を机へ置いた。銅製の香炉。底は黒く焼け、縁には緑色の薬草がこびりついている。

「では、確認します」

調停官ユリス・グレンは、洗濯布、子どもの上着、香炉を順に見た。

「本件は、魔女メルヴィナ様の小屋および薬草調合作業に伴う異臭について、小屋移転、作業停止、損害補填を求める調停です。まず、匂いによる生活被害の有無を確認します」

「あります! その布が証拠です。娘は泣きました。私も何度も洗いました。夜も臭くて、窓を閉めて寝ています」

「ヘルガ様の生活被害は、否定しません」

ユリスが静かに言うと、ヘルガの肩が少しだけ落ちた。責められると思っていた顔だった。

「次に、匂いの発生源を確認します。メルヴィナ様。香炉から煙を出していることは認めますか」

「認めます。薬草を煮る匂いも、香を焚く匂いも、あります」

「それは私的な調合ですか。それとも村からの依頼作業ですか」

村長バルムが、横から口を挟んだ。

「どちらでも同じでしょう。臭いものは臭い」

「同じではありません」

ユリスは、机の端に置かれた紙束から一枚を取り上げた。

「私的な作業による匂いなのか、村が依頼した作業による匂いなのかで、責任と費用負担が変わります」

メルヴィナは、外套の内側から木札を出した。

古い札だった。角は丸くなり、紐は薬草の匂いを吸っている。だが、押された印ははっきり残っていた。村長印。

「これは?」

「祭り前の虫除け香です」

メルヴィナは言った。

「通常量の三倍。村長からの依頼です」

村長バルムの髭が、ぴくりと動いた。

「祭りを守るためです。屋台に虫が寄れば、村の評判に関わります」

「依頼は認めるのですね」

「必要な仕事でした」

「では、その必要な仕事から出た匂いを、メルヴィナ様の私的な嫌がらせとして扱うことはできません」

ヘルガが、戸惑った顔で村長を見た。

「村長さんが、頼んだんですか」

「一部はな。だが、すべてではない。魔女は夜も煙を出している。あれは村の依頼ではない」

「夜の煙についても確認します」

ユリスは、次に風向きの描かれた村地図を広げた。村の中央、井戸、洗濯場、ヘルガの家、魔女の小屋。矢印が三本、風の通り道を示している。

「ヘルガ様。匂いが強いのは、いつですか」

「夕方から夜です。特に雨の前の日。風が低く流れると、洗濯場の方へ来ます」

「メルヴィナ様。夕方から夜に行っている作業は」

「咳止め薬と、井戸用の浄化香です」

「井戸用?」

ヘルガの声が変わった。

メルヴィナは別の小札を出した。今度は小さな丸い受領札。井戸番エミルの印が押されている。

「井戸の腐り臭を抑える香です。梅雨前から頼まれています」

「その香を焚かないと?」

「水が濁る日があります。飲めないほどではありません。でも、子どもは腹を壊しやすくなる」

「大げさだ」

村長が咳払いした。

「井戸番が勝手に頼んだのでしょう。村全体の合意ではありません」

「村長印のある依頼札と、井戸番の受領札は別に扱います。ただし、どちらも村の生活に関わる作業です」

次に置かれたのは、薬袋だった。

家畜小屋の疫病除け薬袋。牧場組合の焼印。袋の端には、牛の毛が絡んでいた。

「これは?」

「家畜小屋用の防疫香です」

メルヴィナが答える。

「去年、牛の咳が広がった時から」

ヘルガの顔が固まった。

「うちも、牛乳を買っています」

「はい」

メルヴィナは短く答えた。

「牛が死ねば、村の子どもに回る乳が減ります」

調停室が少し静かになった。

ヘルガは洗濯布を握りしめている。被害は本物だ。娘が泣いたのも本物だ。けれど、机の上には、村の生活を支えていた臭いも並び始めている。

「ですから」

村長が急いで口を開いた。

「だからこそ、移転が必要なのです。魔女殿の薬が必要なら、もっと遠くで作ればいい。東の荒れ地なら人家も少ない。村のためにも、魔女殿のためにも、それがよい」

ユリスは、村長の顔を見た。

「東の荒れ地には、水場がありますか」

「井戸を掘ればよい」

「薬草畑は移せますか」

「時間をかければ」

メルヴィナが初めて、村長を見た。

「湿地草は移せません」

その声は、今までよりわずかに硬かった。

「熱冷ましに使う青湿草は、今の畑の北側でしか育たない。井戸の浄化香に使う白根草も、あの土でないと枯れます」

「魔女殿の都合でしょう。村人の生活には代えられない」

「では」

ユリスは、もう一枚の紙を机へ置いた。

「こちらは何でしょうか」

羊皮紙には、商会の名があった。西門商会。日付は、今回の苦情木札が集められた二日後。内容は、薬草畑の隣地を倉庫用地として借り受けたい、という下書きだった。

村長の顔から、笑みが消えた。

「それは、まだ決まっていない話です」

「異臭調停とは別件ですか」

「当然です」

「では、なぜ小屋移転案の地図に、同じ商会の倉庫予定地が赤線で入っていますか」

ユリスは、風向き地図の下に隠れていた別紙を引き出した。村の地図。魔女の小屋。薬草畑。隣地。そこに、赤い線で囲われた倉庫予定地。小屋が残っていれば、荷馬車の通路が作れない位置だった。

ヘルガが息を呑んだ。

「村長さん」

「違う」

村長の声が低くなる。

「違うのです。村の発展の話と、異臭の苦情は別です。住民は本当に困っている」

「そこは否定していません」

ユリスは言った。

「ヘルガ様の洗濯被害は、本物です。子どもの上着の匂いも、本物です。夜間煙の苦情も確認します」

そして、村長印の虫除け依頼札を、洗濯布の横へ置いた。

「同時に、村長印で通常量三倍の虫除け香を依頼したことも、本物です」

紙と布が並ぶ。

臭い洗濯布。子どもの上着。村長印の虫除け依頼札。井戸番の浄化香受領札。家畜小屋の疫病除け薬袋。魔女に近づくなと書かれた回覧板。薬草畑隣地の商会賃貸案。

メルヴィナは、回覧板を見ていた。

魔女の小屋に近づくな。異臭あり。子どもを近づけないこと。

その文字の端が、少しだけ濡れていた。雨か。薬草の汁か。それとも、誰かが濡れた手で握ったのか。

「メルヴィナ様」

ユリスが呼ぶ。

「あなたは、この回覧板をいつ見ましたか」

「三日前です」

「そのあと、村から依頼は来ましたか」

「翌朝」

「何の依頼ですか」

「祭り前の虫除け香を、三倍に」

村長が目をそらした。

メルヴィナは、回覧板から目を離さなかった。

「臭いと言われるのは、慣れています。子どもに避けられるのも、慣れています。魔女だから仕方ないと、何度も思いました」

ヘルガが、少しだけ唇を結んだ。

メルヴィナの指が、村長印の木札の上で止まる。


「でも、頼まれた煙まで、私の悪意にしないでください」


調停室の空気が沈んだ。

村長は反論しようとした。だが、その前にユリスが別の現物を置いた。

焦げた板だった。

黒く煤けている。片側に釘穴が二つ。外側には、村番詰所で使われる焼印が薄く残っていた。

「これは、メルヴィナ様の小屋の換気穴を塞いでいた板です」

村長の顔色が変わった。

「何の話です」

「異臭が強くなった時期と、この板が打ち付けられた時期が重なっています」

「魔女が自分で塞いだのでしょう」

「確認します」

ユリスは、板を裏返した。

釘の頭は、外側に残っていた。


「この板は、小屋の外側から打ち付けられています」

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