追放パーティの報酬分配調停に同席しています 前編
「役立たずを追放しただけだろうが」
冒険者パーティ《紅牙の槍》のリーダー、ガルド・レインは、調停室の椅子にふんぞり返って言った。三十二歳。槍使い。頬には古い傷があり、革鎧の肩には魔物の爪痕が残っている。王都の冒険者酒場で名を呼ばれれば、若い冒険者が振り向く程度には知られた男だった。
「戦えねえ荷物持ちを切った。取り分が一割も軽くなる。何が悪い」
机を挟んだ向こう側で、ノル・フェインは古い背負い袋を膝に置いていた。二十九歳。元《紅牙の槍》支援職。剣士には見えない男だった。肩幅は広くなく、手も厚くない。だが三年間、保存食を数え、毒消しを分け、素材袋に封蝋をし、荷紐を締め直し、撤退路の目印を置いてきた。
魔物を倒す槍は持たない。けれど、倒した証明部位を腐らせず、割らず、失くさず、王都まで持ち帰っていた。
討伐が報酬になるまでの帰り道を、ノルは背負っていた。
「戻る気はない」
ノルの声は低かった。
「けど、あの追放を正当な手続きだったことにはさせない」
ガルドが鼻で笑った。
「なら金か。役立たずで切られた腹いせに、最後の小銭でもむしりに来たってわけだ」
「金も払ってもらう。偽の署名も取り消してもらう」
ノルは背負い袋の留め具に指をかけた。古い革が、小さく鳴った。
「あんたらが俺の背負って帰した素材でA級に上がるのは、止めに来た」
見習い書記官リナ・フェルは、羽根ペンを握り直した。申立書の表題は、追放パーティの報酬分配調停。よくある報酬トラブルのはずだった。だが、机の下に置かれた背負い袋は、ただの荷物にしては重すぎる音を立てた。
調停官ユリス・グレンは、机の中央に一枚の羊皮紙を置いた。冒険者ギルドの受付印。《紅牙の槍》の名。末尾には、ノル・フェインの署名がある。
報酬分配放棄書。
「まず、この署名から確認します」
ガルドの顎が、わずかに引いた。
「それはノルが自分で出した。俺たちは手続きを踏んでる」
「手続きの有無を確認しています。分配放棄書の日付は、紅月十四日です」
ユリスは次の控えを重ねた。毒沼地帯、魔蜥蜴討伐依頼。帰還控え、紅月十六日。帰還者名簿、ノル・フェイン。紅月十四日と紅月十六日。リナは日付を写しながら、羽根ペンの先を一度止めた。
「紅月十四日に、ノル様は王都にいません。毒沼の野営地にいたことが、ギルドの帰還控えで確認できます」
「遠征前に署名させたんだ」
ガルドはすぐに返した。
「ノルは前から抜ける気だった。報酬はいらねえって本人が言った」
「ノル様。この分配放棄書に署名した覚えはありますか」
「ありません。見たのも今日が初めてです」
「今さら見てねえだの署名してねえだの、細けえことで騒ぎやがって。こいつは昔から、荷札と日付だけはうるさかった」
ノルが、ゆっくり顔を上げた。
「細けえことで済ませたかったんだろ」
大きな声ではない。だが、ガルドの笑いが止まった。
「俺が日付を見るから、その紙の日付を前にずらした」
ユリスは表情を変えず、四枚目の紙を置いた。ギルド書類鑑定係の印。分配放棄書の署名。過去のパーティ契約書の署名。納品控えに残るノルの署名。並べられると、分配放棄書の署名だけ線が太い。ノルの字はもっと細く、右肩がわずかに下がる。
「鑑定結果。分配放棄書の署名は、ノル・フェイン本人の筆跡とは認めがたい」
ガルドの口元が、初めて動かなくなった。
ガルドの隣に座っている女が、視線だけを横へ向けた。リーシャ・バルク。二十三歳。《紅牙の槍》の新メンバーで、斥候兼軽戦士。銀色の短髪を耳の下で切り揃えた、目つきの鋭い女だった。革鎧は新しく、胸元には《紅牙の槍》の赤い徽章がある。
「本人が書いていない署名は、手続きにはなりません」
ユリスの声は静かだった。ガルドの眉間に皺が寄る。
「言い方に気をつけろ」
「事実関係の確認です」
「俺たちが偽造したって言いたいのか」
「まだ言っていません。今は、本人が王都にいない日に、本人名義の分配放棄書が作成されていることを確認しています」
ガルドは机の端を指で叩いた。苛立ちを隠すには、音が大きすぎた。
「今回の申立ては、報酬分配と立替経費の清算、追放手続きの不備確認、A級昇格申請書の実績欄の訂正ですね」
「はい」
ノルは、ユリスにだけ短く丁寧に答えた。
ガルドが低く笑う。
「実績? お前に実績なんてあったか」
ノルの指が、膝の上で少しだけ曲がった。怒鳴らない。歯向かわない。だが、逃げもしない。
「ガルド様。評価は承りました。次に、現物を確認します」
ノルが、足元の背負い袋へ手を伸ばした。留め具が外れ、机の上に布袋が置かれる。中から出てきたのは、小さな金属札だった。素材札。魔物の部位、回収者、保存状態、納品番号を示すための札である。数が多い。一つや二つではない。
「三十二点あります」
ノルは言った。
「毒沼の魔蜥蜴討伐依頼で回収した討伐証明部位の管理札です」
「こちらの納品控えと照合します」
ユリスは、ギルド依頼完了控えを開いた。
「毒沼の魔蜥蜴討伐依頼。依頼完了日、紅月十五日。素材納品日、紅月十六日。納品管理者、ノル・フェイン」
ガルドが舌打ちした。
「荷物を担いで後ろを歩いてただけだろうが」
「荷物を担いでいたことは確認します。では、その荷物がどの報酬に対応するかを確認します」
次に置かれたのは、素材売却明細だった。魔蜥蜴の毒腺、硬皮、尾骨、黒魔石。売却日は、紅月十八日。追放後だ。ガルドの顔に、少しだけ余裕が戻る。
「ほら見ろ。売ったのは追放後だ」
「売却日は追放後です。しかし、回収日と納品日は追放前です」
「売った時にいた仲間で分けるのが普通だ」
「パーティ契約書を確認します」
ユリスは、もう一枚の羊皮紙を出した。冒険者パーティ契約書。三年前の日付。署名欄には、ガルド・レイン、ノル・フェイン、ほか二名の名がある。
「第八条。討伐報酬および素材売却益は、依頼完了時点の参加構成員を分配対象とする。売却日が後日となる場合も、依頼完了時点の分配率に従う」
ガルドの表情が、また止まった。
ノルは目を伏せた。最初にパーティを組んだ時、ガルドは「細けえことは任せる」と言った。ノルは嬉しかった。剣では役に立てない。なら、せめて荷物の数と分け前だけは間違えないようにしようと思った。その羊皮紙が今、机の上でガルドの指先を止めている。
「支援職の分配率は一割。加えて、保存食、解毒薬、素材保存塩、予備ロープ等の立替経費は、領収書に基づき共有経費から精算するとあります」
「ノルは戦ってねえ」
ガルドの声が荒くなった。
「魔蜥蜴を倒したのは俺たちだ。毒の中で槍を振ったのは俺だ。リーンとバストも前に出た。こいつは後ろで袋を抱えてただけだ」
「戦闘貢献の大小は、分配率で調整されています」
「だから」
「支援職一割です」
ユリスは、契約書の該当箇所を示した。
「主力戦闘職と同額ではありません。契約上の一割です」
ガルドは黙った。
「また、立替経費は報酬とは別です」
ユリスが、領収書の束を出す。保存食、解毒薬、素材保存塩、防水布、予備ロープ、封蝋袋、荷紐。どれも、ノルの名義で支払われていた。
「毒沼用解毒薬、十二本。素材袋、六枚。封蝋袋、三束。保存塩、二袋。使用者欄および搬出担当欄には、ノル様の名があります」
リナは領収書を受け取り、写しの端を確認した。紙の端が泥で汚れている。毒沼の湿気を吸った紙だ。英雄譚には載らない。だが、毒腺を腐らせず、黒魔石を割らず、王都まで持ち帰るために必要だったものだ。
「こんなもんまで取ってたのか」
ガルドが吐き捨てた。
その時、ノルが初めて、少しだけ笑った。笑いと言うには、苦すぎた。
「俺は弱いので」
調停室の全員が、彼を見た。
「剣では勝てません。だから、誰が何を背負って、何を持ち帰ったかだけは間違えませんでした」
その声には、泣き声が混じっていなかった。悔しさはある。憎しみもある。それ以上に、冷えた準備の時間があった。
ユリスは領収書の束を揃え、次の紙束へ手を伸ばした。
「依頼控えの原本が提出されていません。ガルド様、原本の所在を説明できますか」
ガルドの口端が上がった。
「残ってねえ紙の話をされても困るな。古い控えなんざ、荷物の整理でいくらでも消える」
「消える、ですか」
「濡れて読めねえ紙を取っとく方がおかしいだろ。どうせ、こいつが燃やしたとか言い出すんだろうが」
ノルは、ガルドを見た。
「原本はな」
背負い袋の底から、薄い紙束が出てきた。
「写しは、毎月ギルドの保管箱に預けてた」
紙束が机に置かれる。依頼控えの写し。年月ごとに束ねられている。素材数。納品番号。立替金。撤退路。負傷者。保存処理。三年間ぶんの薄い紙が、背負い袋の底から出てきた。
リナは、羽根ペンを持つ手に力を入れた。背負い袋は、ただの袋ではなかった。《紅牙の槍》が持ち帰った報酬の、底だった。
「役立たずに荷物を預けたのは、そっちだ」
ノルは静かに言った。
「割れたら報酬が消えるものを、毎回な」
ガルドが立ち上がりかけた。
「座ってください」
ユリスの声が、ガルドの膝を止めた。荒くはない。ただ、動けば不利になると分からせる声だった。ガルドは歯を食いしばりながら座り直した。
「ここまでは、追放手続き、報酬分配、経費精算の確認です。次に、A級昇格申請書を確認します」
リーシャの肩が、ぴくりと動いた。ユリスはそれを見逃さなかった。彼女の革手袋の指先には、まだ新しい擦り傷が残っている。素材袋の口を締め直した時にできた傷だった。
「リーシャ様。《紅牙の槍》への加入日は、紅月十八日ですね」
「……はい」
「毒沼の魔蜥蜴討伐依頼の素材回収日は、紅月十五日です」
「……はい」
「あなたは、その依頼に参加していませんね」
リーシャの唇が薄く開いた。すぐには答えない。ガルドが横から口を挟む。
「リーシャは今の正式メンバーだ。昇格申請には現メンバーの実績として」
「質問は、参加の有無です」
ユリスは言った。
「リーシャ様。あなたは毒沼の魔蜥蜴討伐依頼に参加しましたか」
リーシャは、申請書の実績欄へ視線を落とした。
「……参加してません」
小さな声だった。
ユリスは、最後の羊皮紙を机に置いた。A級昇格申請書。《紅牙の槍》。申請実績欄には、毒沼の魔蜥蜴討伐依頼が記載されている。実績管理者名、リーシャ・バルク。
ノルの目が、初めて鋭くなった。彼は、この紙を見に来たのだ。報酬だけではない。謝罪だけでもない。この紙を止めに来た。
「ガルド様」
ユリスは、A級昇格申請書を机の中央へ置いた。
「これは報酬分配だけの問題ではありません」
その上に、別の控えを二枚重ねる。
「昇格申請書には、雪山の氷角鹿素材回収、廃鉱山の黒魔石搬出も記載されています」
ユリスは、古びた鉛札と黒い粉のついた留め具を机に置いた。
「氷角鹿の鉛札。黒魔石箱の留め具。どちらも、ノル様の背負い袋から提出されています」
ガルドの顔から、余裕が消えた。
「毒沼の一件だけではありません。昇格申請に使われた主要三件の素材搬出に、ノル様の荷が含まれています」
ユリスの声は、最後まで変わらなかった。
「報酬分配の次に、A級昇格申請の実績欄を確認します」




