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血環 ー大阪・西成・ムエタイー  作者: 京田 学
第2部五章 西成無道
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真理

夜がふける。空気がじっとり重い。

テーブルの上のグラスが小さく揺れて、光を濁らせる。けど、酒は減らない。料理も手つかずのまま冷えきって、ただの飾りに変わっている。

三崎は黙って、眼の奥で、こっちの“芯”を見透かそうとする。


視線は三崎を捉えたまま剛田は思考を巡らせる。

「先に与えることで主導権を握る」――ヤクザの交渉術だ。

そう思ってまうのは、俺がひねくれてるからか?

だが、警戒しない奴はアホや。盃を交わす? 

は、笑わせんなや。たとえ地べた這いつくばっても、首輪なんかつけへん。


この頭は、誰のもんでもない。俺の頭は――俺や。


チラ、と視線を横に流す。才はずっと三崎の顔色をうかがっている。無意識だろう。けど、あまりに自然すぎて、それが逆に痛々しい。 

親のために生きる? 俺には考えられへん。俺にとって「親」なんて――


障子の隙間から見える秋の夜の満月があの日を思い出させる。

             

あの夜、俺は親父を刺し殺した。いや――正確には、奴は死なんかった。親父は、運ばれて、一命を取り留めたからや。


俺はただ、母親を守ろうとしただけや。殴られ続ける日々の中で、何もできんまま突っ立っとった自分が、何よりも憎かった。やっと振り絞った力で、倒れ伏した親父の姿を見て、母は呟いた。


「お前……ほんまにやったんか……この化け物が」 


それが、母の最後の言葉やった。その日から、俺には“名前”がついた。


「親殺し」


少年院のガラス越しに、母が姿を見せることは、一度もなかった。面会も、手紙も何もない。記憶の中のぬくもりすら、ただの“幻想”になっていった。


出院してから、俺は母を探した。飛高新地の路地を歩き、西成の裏通りを彷徨った。けど、どこにもおらん。母は存在ごと、この街から消えてた。最初からおらんかったみたいに。


身寄りのない俺は自立支援施設に入れられた。でも、そこに“救い”なんてものはなかった。誰も俺のことを見ようとはせんし、俺も誰にも心を開かへん。信じてた母親にすら捨てられた人間が、他人を信じられるわけがない。


そんな中、天王寺の寺田中に通いだした。西成とは目と鼻の先のくせに、空気はまるで違う。水が合わんかった。俺の居場所やなかった。


俺は静かに過ごした。更生なんて高尚なもんちゃう。ただ、希望がなかっただけや。イキがっていても、何者にもなれない現実を、俺は嫌というほど知っていた。


仮に渡世に身を投じても、搾取されて潰される未来しか見えなかった。

親父を見て、そんな道しか選べないことを悟った。そう思っとった。

 

――そんなときや。

寺田中で出会った東京から来た、北村真澄。

あいつが、俺の人生を変えた。


真澄の兄貴は、関東で名の知れた“半グレ”言われるもんやった。 オレオレ詐欺、投資詐欺、振り込め詐欺――裏稼業で財を築いた、システムの構築者やった。


暴力に意味を見出せなかった俺にとって、「頭」が作るシステムと「金」という現実は衝撃だった。

頭を使えば、仕組みで“生き残れる”。ずっと信じてた「強さ」が、別の形を持って見えた瞬間やった。


真澄とは卒業後もつるみ続けた。“親殺し”という呪いの名は、この世界ではむしろ“ブランド” に変わった。


真澄はよく言った。


「理貴、人間は蟻や。甘い話に列をなす。人が人を呼ぶ。お前は“ 広告塔”になれ。お前の名前が、金を引き寄せるんや」 


そこからは、加速するだけだった。

地下格闘技に出て、暴れて、血を撒いて、名前を刻んだ。暴力に魅せられた連中、金に目が眩んだ奴らが、次々と寄ってきた。


そして「西成無道」が生まれた。

ただ俺という“物語”に群がる獣どもを、集めただけの空っぽな器。

……せやけど、“名前”があれば、それでええ。


即席のチームを一気に売り出すには、事件を起こせばええ。噂と恐怖こそが最大の宣伝や。狙ったのは西成の暴走族、“闇天狗”。火を点けるなら、でかい松明が要る。


冨田――中学時代から悪い噂ばっかの男や。うちの名前もしらんメンバーの妹と付きおうてた。

それを利用した。真偽はどうでもええ。「やったっぽい」ってだけで、世間は燃える。

案の定、抗争に発展した。けど、“勝つ”だけじゃ意味がない。印象を残して、恐怖を植えつけて初めて、“存在”になる。真澄は言うた。


「お前は前に立つな。前に出るのは駒でええ。お前が動いたら終わりや。裏で全体を仕切れ」


俺はそれを守った。椎名――山王中時代に貸しのあった男を、借金と暴力で型に嵌めた。逃げられへんくなった椎名は奴隷や。


「誰でもええ、闇天狗の奴を殺れ」


表に出たのは椎名。パクられたのも椎名。けど、仕掛けたのは俺や。裏で笑っとったのも、俺や。

誤解も、噂も、全部“武器”になる。血の繋がりや絆なんて、何の価値もない。


金と、力と、仕組み。それが、今の“真実”や。


俺らには、最初から“道”なんて無かった。せやから、作るしかなかった。足元の泥を踏み固めて、自分らの進む道を――



――「おい、酒入ってへんぞ」 ――


そのとき、不意に現実に引き戻された。

的場が、笑いながら酒を差し出してきた。剛田は、わずかに口元を歪めた。この夜、初めての笑いやった。胸の奥で、静かに、ひとつだけ思った。


お前らも、俺の駒や。

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