亡霊
庭の虫の音が、深まった夜を一層際立たせている。
「――そろそろ、終いにしとこか」
三崎が呟く。酒にほとんど口をつけることなく、手元の灼を女中に差し出す仕草が、無言の命令にすら見えた。
的場が、重ねるように口を開く。
「剛田。今日の話……よう考えとけ。オレらは、悪いようにはせぇへん。
スピンの件も――お前に任せたからな」
剛田は無言。それが了承なのか、拒絶なのか。わからない。場に沈黙が走る。
三崎が、ゆるやかに口角を上げた。
「ところでや――西成、まとめたんか?」
たった一言で、空気が変わった。
「結局な、喧嘩もシノギも、人数や。金でも、女でも、薬でも、権力でも……理由は、なんでもええ。人数をまとめれるかどうかや」
視線を、横に座る才へ投げる。才の肩が、微かに跳ねた。三崎の眼光は、どんな罵倒よりも深く才の矜持を切り裂く。
「ちと、甘いんちゃうか?」
声は柔らかい。だが、心臓に刃を当てられたような圧がある。
「なぁ、剛田――どないや」
的場がここからが本題といわんばかりに、椅子に深く腰を沈めた。
「西成無道やて? 大きい名前ぶら下げてても、結局、西成ひとつ、掌握できてへんのとちゃうか」
剛田の目が細くなる。睨むというより、射抜く。
だが三崎は目を逸らさない。
「威勢がええのはええ。けどな―大人の暴力の怖さは知っとかなあかんかもなぁ」
低い、静かな脅し。声を張る必要すらない。剛田が鼻で笑う。
「別に。西成なんて場所に――執着はないですわ」
的場が、語気を強める。
「ならやってみぃ。口動かす前に。それだけのことやろが。ほれ、やってみせんかい」
じわじわと、言質を取ろうとする圧が強まる。三崎も追い打ちをかける。
「お前がその気になったら一発や。ん? 剛田理貴が本気出したら、こんな街、一夜で飲み込めるやろ? ちゃうか?」
剛田なら一夜で獲れる? その言葉が、才の限界だっ
た。才が割って入るように震える声で言った。
「……親父。……そう簡単にはいかへん」
三人の視線が才に向く。
「西成には、“京絆連合”が――おる」
三崎が目を細める。
「……京絆連合? なんやそれ。ガキの集まりちゃうんか?」
呆れたように鼻で笑う。
才は唇を噛む。
「――あいつらが、おる限り……西成での商売は無理や。特に、“ 加賀谷京志”は……厄介や」
ピン、と。まるで糸が切れる音が、空間を裂いたようだった。
三崎の目が――確実に、変わった。
「加賀谷……京志……」
小さな声だった。だが、明確に何かが崩れる音がした。
「いま……なんて言うた?」
明らかに様子の違う三崎に的場が怪訝そうに声をかける。
「オヤジ? ……どないしましたんや」
だが三崎は答えない。じっと虚空を見据えたまま、拳を握っていた。
その目に映っていたのは、いまここにいない、“亡霊”のような名前だった。




