料亭
障子の向こう、秋の風に乗ってかすかに聞こえる庭の水音。
季節の会席が並ぶ膳には、誰も手をつけていない。静けさだけが場を支配している。
重厚な座卓を囲むのは四人。三崎邦親、的場大聖、神谷才、そして剛田理貴。
鍋の湯気が静かに上がり、空気の揺れを目立たせる。
「まあ、飲んでくれや」
三崎の低い声が、初めて空気を割る。穏やかだが、どこか「試す」ような調子。
的場が手際よく銚子を取り、才と剛田に盃をすすめる。剛田は無言で受け取り、才も続いた。
ただ、それぞれの手は温度が違う。才の盃を持つ指先には、僅かな力が入っていた。
「久々に、こうやって若いもんと座んのも、ええもんやな」
三崎はそう言いながらも、自分の酒には手をつけない。場を和らげるような言葉を放ちながら、その眼はまるで場全体を舐めるようにゆっくりと動く。
口角には、笑みとは言い難い影が見える。才が何か言いかけたその刹那、三崎がふっとその言葉を殺すように話を続ける。
「……けどな。今の街は、ええ顔だけではやってかれへん」
その声には、重さがあった。背後の空気ごと沈めるような圧が宿っている。
「これから南雲一家がどうなるか……誰が見とるか知らんが―― 俺はこの先、全てを手に入れるつもりや」
沈黙の中、才がわずかに表情を曇らせる。
剛田は無表情のまま、鍋の湯気を見ていた。
「せやから、お前らに声をかけた。力のある奴と、頭の切れる奴。この席に呼んだんは、他でもない。お前らは俺に力を証明した」
三崎の眼が、才を通過し、剛田に止まる。
「俺は思うとる。これからの南雲一家に、必要なんは形式やしきたりやのうて、『新しい暴力と知恵』や。ルールも、仁義も、都合よう書き換えられる奴……そういう漢が、上に立つ時代や」
三崎がようやく、自分の盃に酒を注ぐ。手つきは静かで、迷いがない。
「剛田ぁ――盃、かわさんか?」
一言だった。だがその一言までに費やされた空気が、何よりも重かった。
剛田は応えない。あえて黙る。目だけが、鋭く三崎の目を見返している。空気が動く。的場のわずかな咳払い。才の指が再び、器にかかる。
「……俺はヤクザになりたい思たこと、一度たりともあらへん」
剛田の声は低く、落ち着いていた。だが、含んだ熱は一切隠していない。
「上前はねられて、口出されて、義理やら仁義やら、都合よぅ言われて。骨までしゃぶられて終いや。
……せやけど、アンタの力は認めとる。動かせる金、繋がっとる筋。価値はある思とる」
才の肩が僅かに揺れた。剛田のその言葉に、何を感じたのか―― だが、何も言わない。ただ、口元をきつく結び、三崎を見た。
三崎は剛田の返答に、心底愉快そうに笑った
「……ええ返事や」
それだけを言って、酒を煽る。なにか“確信”を得たような納得があった。
そのやりとりを才は噛み締めるようにただ聴いている。瞳の奥に、火が灯る。剛田を横目に、鍋の中の沸騰をじっと見つめるその姿に、明らかな「異物」があった。それは嫉妬ではない。ただ、打ち負かされたときのような静かな怒りだった。




