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血環 ー大阪・西成・ムエタイー  作者: 京田 学
第2部五章 西成無道
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刺客

三カ月後――深夜二時過ぎ。 

黒塗りのレクサスLSが、ミナミから西成へ向かっていた。


ハンドルを握るのは南雲一家本部長・的場大聖。助手席には相談役の柳川将司、後部座席には、総長・方時正が乗っている。


車内にはシートに沈んだタバコの煙と、重苦しい沈黙。


方が、静かに口を開いた。


「義理事もこない重なったら……ほんま、大変やで」


柳川は軽く目を細めて、苦笑混じりに返す。


「そうでんな……若い衆も詰まっとるし、ラウンジの収益もまた、落ちとるらしいですわ」


「ほうか」


方はそれだけ言うと、窓の外を流れる町の灯を無言で見つめる。


柳川が、少し口調を明るくした。


「けど、もうすぐ菊花賞でっせ。あっこで、でかい金が動きますわ」


「ほな若いもんに発破かけとけ。……小遣い、弾んだるいうてな」


「へい」


――そのときだった。太子交差点を曲がった先、車のヘッドライトが一人の男を照らした。道のど真ん中に、若い男が立っている。シャツの下から骨ばった胸が透けて見える。ガリガリに痩せこけ、目は虚ろ。生気がまるでない。首には、くたびれた黒い革のチョーカーが、まるで首輪のように食い込んでいた。


「なんや、あいつ?」


眉をひそめながら前を睨みつけた柳川が、鼻で笑った。


「……シャブ中か」


沈黙を守っていた的場が、静かに言った。


「食ってますね」


「止めんな的場。そのまま行けや」


的場は答えず、ブレーキに足をかけかけて……やめた。タイヤを縁石に軽く乗せて、男をよけるようにハンドルを切る。


そのときだった。


異音と共に、右側の後部座席のドアがいきなり開いた。


「なんやっ」


方の怒声。

そして、包丁の刃が――光を裂いた。


ズブッ。ズブズブズブ――。胸に一突き、二突き、三、四。容赦なく、深く。

方の体が跳ねた。白いシャツが一瞬で赤黒く染まり、喉からくぐもった音が漏れる。


柳川が叫んだ。


「おい!! おいおいおいっ!! なんしてんねん的場ァ!! 止めんな言うたやろがァ!!」


男は、包丁を持ったままフラフラと離れていく。酔ったような足取りで、夜の西成に溶けるように消えていった。

車内は、地獄のような静けさに包まれた。

方の荒い呼吸。血の匂い。柳川の焦った息づかい。

そして――動かない的場。バックミラー越しに、男の消えた方向をじっと見つめたまま。

 

柳川が怒鳴った。


「おい!なんで止めとんねん! ワシ、止めんな言うたやろが!! はよ追いかけんかい!!」


的場はようやく言葉を絞り出す。


「すんません。勝手に、止まってもうて――」


その声は、動揺とも、恐怖ともつかない。妙に落ち着いていた。


柳川はその顔を怒鳴りつけようとして覗き込んだ――が、声が詰まる。胸の奥に、うっすらとした違和感が灯る。一瞬だけ――ほんの一瞬だけ。柳川の背筋を、冷たい風が走った。

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