05 体内
「ちょっと草薙さん!?」
性格の悪いクソ女が、トイレから戻ってきたわたしに気付くなり、ニコニコお喋りモードから一転、戦闘モードに移行した。直前まで一緒に喋っていた営業の男性社員は笑顔を引き攣らせ、気まずそうにそそくさと自分の席へ帰っていった。
「お客様に送る書類! 変な所に置きっぱなしにしないでよ!」
「え?」
クソ女こと町田が指差す先は、普段は物置と化している古いデスク。確かにその上には、顧客に郵送する大切な書類一式が、クリアファイルにも入らずそのまま置いてある。でも、わたしがやったんじゃない。
「まったく! 失くしたり汚したらどーするわけ?」
「いや、それわたしじゃないです……」
「ええ? だって草薙さん、さっき見てたじゃない。それに送るのもあなたの仕事でしょ?」
「見てましたけど午前中ですし、ちゃんといつもの棚に戻しましたよ」
「言い訳しないでいいから!」
「本当です」
室内の温度が二度くらい下がっちゃった気がするけど、これもわたしのせいじゃない。
町田は片眉だけ器用にピクピクと動かすと、
「へえ……そう。じゃあいいよ、草薙さんがそういう人間だって、本社の人事課に言い付けるからね!」
「わかりました。ご自由にどうぞ」
わたしがショックで黙り込むとでも思ったのだろうか、町田は面喰らった様子を見せた。こっちはもう慣れてるんだよ、そういう仕打ちに。
「町田さーん!」
何も知らない総務の新卒女子社員が、遅めの昼休憩から戻ってきた。
「朝教えてくれた動画、さっき観ましたよーっ」
町田は、一瞬で仁王像から恵比寿様に大変身。
「あ~ミズキちゃんお帰りぃ~! ほんとぉー? どうだったぁー?」
……あんた、この一箇月後くらいにわたしの事を多重人格者呼ばわりするけど、あんたの方がよっぽどだよ……?
ああ、嫌だ嫌だ。
「お、やっほーなぎさん」
図書室で面白そうな推理小説を探していたら、雪美が声を掛けてきた。同じクラスの子たち── 同じくらいの高学力の──と三人でやって来たらしい。
「ああ、雪美ちゃん」
「何探してるの?」
「まだ読んだ事ないやつで、面白そうなのはないかなって」
「どれどれー?」
雪美がわたしの横から本棚を覗き、その様子を他の二人が後ろから見やる。
「何か聞いた事ないタイトルばっかり……お、これどうだろ」
雪美が引っ張り出した一冊は、前に読んだ事がある海外の作品だった。近所に住んでいる私立探偵に憧れ、身近なちょっとした謎を解いていた少年が、ある日殺人事件を目撃してしまうのだ。
「へえ……? 聞いた事ないな」
「それ結構面白いよ」
「そうなんだ……あ、ごめんミナっちとエリちゃん」
雪美が振り返って連れの二人に声を掛けると、大丈夫だよと返ってきた。
「雪美ちゃんは何を読みに来たの?」
「ああ、私らは今度の期末試験に役立ちそうな本を探しにきたんだ。新刊の小説も気になるけど、試験前なのに読んでる場合じゃないからね。今回は五教科満点を狙ってるから、しばらく我慢するんだ~」
はいはい、また始まった。
試験前だというのに推理小説を探しているわたしなんかと貴女様では、格が全然違いますものね!
そういえば結局、五教科満点取ったって自慢してくる事はなかったな。こっちから聞いてやりゃあ良かったかも。へっ。
ああ、嫌だ嫌だ。
「麻希奈、ほら、何か配ってるぞ」
わたしの隣を歩く父親が、前方を見ながらガキのように言った。
ああ、これは小学五年だか六年だかの夏に、家族で東京のテレビ局まで遊びに行った時だ。世間の学生は夏休み中だから、大規模なイベントをやっていたんだよね。わたしは全然興味なかったのに、気付いたらクソジジイが勝手に日程を組んでいたのだ。
「麻希奈、貰ってこいよ」
「え? ……ううん、いいよ」
女性が配っているのは何かのチラシだ。今だけ、ご家族で、とか何とかって言ってるけど、わざわざ取りに行く程興味は湧かない。
「何で。行ってこいよ」
いや何でって、それはこっちのセリフだ。自分で行けばいいじゃんか。
「いい」
「ほら」
「いい」
「まだ配ってるじゃんか、ほら」
「いいって」
「ああそうかよ!!」
クソジジイはブチ切れた。まるで瞬間湯沸かし器だ。
「せっかく楽しくやっていたのに、何でお前はいつもそうなんだ?」
それはこっちのセリフだよ、ふざけんな! ……そう言ってやりたいけど、言えるのなら苦労していない。
「俺はもう帰る。後はお前ら二人で楽しんできな」
返事を待たず、クソジジイは去っていった。
「……だってさ」
わたしが振り返って言うと、数歩分後ろを歩いていた母親は、ゆっくり溜め息を吐いた。
「ねえ、今のってわたしが悪かったの?」
「お父さんが短気なの知ってるでしょ。ああいう時は、面倒臭くても言われた通りにするのよ」
全然納得いかない。ていうか母親なら普通、自分の子供を庇って、味方をするもんじゃないの?
ああ、嫌だ嫌だ。
どいつもこいつも、全員纏めて消してやりたい。
「──い」
過去のクソッタレな経験を、なかった事にしたい。
「──キナ」
そうするには……わたし自身が消えてしまうのがてっとり早いのかな、ははは。
うん、何かその方がいい気がしてきた。
「──しろ──」
……ん? 何か声が聞こえて──……
「麻希奈!! しっかりしろ!!」
視界が明るくなってきたかと思えば、すぐ目の前に、どアップのカズキの顔。
「……はっ!?」
「ああ、良かった……」
安堵の溜め息を吐きながら、ゆっくり顔を上げて離れてゆくカズキ。
「えーと……?」
「俺が来た時、あんたがここで仰向けで倒れていた。何度声を掛けても目を覚さないから、死んだかと思って焦ったぞ」
「あ、そうなの? ごめんごめん」
カズキに助けられながら、わたしはゆっくりと起き上がった。
「……え、てかここ、何処よ!?」
辺り一面、かなり暗い。完全な真っ暗闇じゃないのは、ぼんやり光る謎の小さな球体が、所々に浮いているから。空気は何となくジメジメして、足元は柔らかい。
「あの化け物の体内……かな」
「体内……」
ああ、そうだった。学芸会よりも酷いお芝居をしながら〝時空の管理者〟を痛め付けていたけど……あいつの顔がパカッと開いて……うえええっ。
「カズ君も食べられちゃったのか……」
「あんたを何とか引っ張り出してやりたかったんだが、失敗した。すまない」
「謝らなきゃいけないのはこっちだよ……ああ……」
何やってるんだろ、わたし。足引っ張っただけじゃん。
「落ち込んでいる暇はないぞ。まだ俺たちは死んではいないようだ。何としてでもここから抜け出す」
「う、うん……」
「口から入ったのなら、同じく口から出られるはずだ。俺が呑まれて落ちた後、すぐ近くを探したんだが見付からなかった。こいつの体内の構造がどうなっているのかわからないが、片っ端から探すぞ」
「もしも見付からなかったら……?」
駄目だ、弱気になってしまう。次も上手くいかないんじゃないかって。ここから出るよりも先に。死ぬんじゃないかって。
さっきまで、そうなる事を願いつつあったのにね。いざとなったら、やっぱり手放すのが惜しくなるんだ……こんな人生でも。
「口がなければ尻があるだろ」
「うわぁぁぁぁぁ嫌だ! 絶対嫌だ!!」
無邪気に笑い声を上げるカズキ。何か随分と余裕があるじゃない? 怖くないのかな、この子は。
「俺だって嫌だね。だからマシな方を探すんだ。さあ行くぞ」
……無事に出られたとして、その後どうしようか?
喉まで出掛かった言葉を無理矢理呑み込むと、わたしは無言で頷いたのだった。




