猫と暴れ馬
猫とは我が儘な動物だ。
躾しようと思ってはいけない。
束縛しようとしてはいけない。
勝手に歩き回る存在だ。
新しい場所に来たら、先ずは詮索だ。あちこち見て回り、状況把握する。
彼が探しているのは社交の場だ。
しかし、それは陽光暖かい猫会議ではない。彼はケダモノではないのだ。
彼が向かうのは、貴婦人のカフェテラス。
貴族より、商人の婦人が好みだ。
勿論、TPOはわきまえている。
普段はやらないが、毛並みを整え、宝石付きの首輪を着ける。
「ミャー」
「あらあら、見掛けない猫ちゃんね。立派な首輪をして。貴族の飼い猫かしら?」
数人の貴婦人が、カフェ一階のテラスでお茶をしている所へお邪魔する。
室内では店員に嫌がられるので、屋外テーブルの店が狙い目だ。
手招きに従い、一応は警戒しているそぶりを見せる。
「ほ~らほら。お肉も有るわよ。」
隣の女性も、好意的だ。だが、食べ物に釣られてはいけない。
紳士たるもの、場の空気を読まねばならない。
お茶会の参加者にはランクが存在する。婦人達の視線を監察して、誰がトップか見極める。
「あら、やっぱり奥様は気品が漂ってらっしゃるのね。」
一番豪華な衣装で、中央に座る女性にすり寄る。
女性は笑顔で眺めると、猫を抱き上げ、膝の上に置いた。
「黒・・と言うより青みがかった色ね。艶も良いし。それにしても立派な宝石だこと。」
優しく猫を撫でながら、何か喋っているが、猫は既に聞いていない。
猫は柔らかく、暖かい場所を求めているだけだ。
普通の猫なら匂いに敏感で、化粧や香水を嫌うのだが、彼くらいになると、問題ない。
時おり、撫でる指に喉を鳴らしてみたりする。
しばらく続いた至福の時間も、永遠ではない。
遠目に、土煙と喧騒が伺える。
『気に入らない』と猫は思った。
「暴れ馬だぁ~逃げろ~」
遠くで叫び声がする。
「人間の世界カナンは面白い。軟弱な生き物が、驚き、恐れ、悲鳴をあげている。楽しい!楽しいぞ!」
馬車の馬に取り付いた生き物は、楽しんでいた。
脳に少しの毒薬を入れるだけで、こんなにも騒ぎになる。
周りの人間も面白いが、馬車の中の人間の怯えた声は最高だ。
「誰がぁ~誰が助けて~」
監察していたが、こんな状況を助けられる人間は居ない。
「自分で何とかしようとしないで、他力本願に走る愚かな人間の無様な姿は、見ていて楽しいではないか。」
馬の耳の後ろに取り付いているのは、手の平サイズの虫だが、知性も力もある様だ。
馬は目を血走らせ、全開の口からは泡立った唾液が風に舞っている。
お喋りに夢中な婦人達は、やっと事態に気付いたらしく、慌て出した。
とは言っても、誰かが何とかしてくれると思い、その場から逃げようとはしない。
「まぁ、恐いわ。どうしましょう?」
婦人達は危機管理が出来ていなかった。
馬に取り付いた虫は、前方からの視線に気が付いた。
背筋に電気が走り、六本の脚が震え始める。
「何だ?誰なんだ?」
楽しい興奮は一気に覚め、恐怖で思考が混濁し始める。
自分の意思とは別に、勝手に口元が動き、馬の脊髄に毒薬を流し込み始めた。
すぐさま、馬が転倒し、客車部分も揉んどり打って止まる。
投げ出された虫は、地べたに叩き付けられた。
全身が痛いが、その衝撃ではない。身体の全関節が、体液を撒き散らしなから、千切れていく。
「マリコスが・・コントロールが効かん。上位者命令か?」
空気中の微細な粒子が、虫の肉体の柔らかい所から浸入し、物質的に破壊してゆく。恐ろしい早さで。
崩壊してゆく己の肉体に、何も出来ず、虫は何者かの逆鱗に触れた事だけを理解し、静かに土に帰った。
後には塵の塊が残ったが、それも風に舞い上がり、姿を消した。
馬車転倒に、流石の婦人達も、席を立った。
猫は、転倒音がした段階で、婦人の膝から飛び出していた。
「あらあら、猫ちゃんは?」
取りあえず、身の安全を確認した婦人が猫を探すが、その姿は既に無い。
猫は、建物間の狭い隙間を縫って、人気のない裏路地へと抜ける。
その首には、既に高そうな首輪は無い。
裏路地に面した大通りに、高そうな一台の馬車が止り、高級だが品のある服装の中年男性が、降り立った。
使用人を手で制止すると、一人で先程の裏路地に入ってゆく。
男は、猫の前まで来ると、膝を付き頭を垂れる。
「お久しぶりでございます。ゼータ様。帝都で商会を営んでおりますフィグロ・キーマと申します。御命令を。」
[情報収集は順調か?オーグ。]
「はい。一部の信徒が潜入しておりますが、マーカーを付けております。帝国の侵攻時期も通達済みでございます。」
[ふむ、変更がある。イータとの交渉で、土地の一部を貸し出す代わりに、ワイスとバーンをカナン入りさせる事にした。境界へ向かうので、準備せよ。]
フィグロの顔が、一旦、液状に変化するが、直ぐに元に戻る。
「御心のままに。」
[あと、ガガントに先程の件を注意しておけ。]
フィグロが再度頭を下げるのを確認して、猫は、また、建物の隙間に消えてゆく。
姿が消えたのを確認してフィグロは立ち上り、踵を返して大通りへと戻っていった。




