第5話 対価(たいか)
(ギルド長室、か。緊張はしていない……はず、だけど)
ミオに手を引かれ、リナムーアはギルド長室の扉をくぐった。手を引かれるほど足元は危うくなかったが、廊下を進む間、隣を歩くミオの手の温もりは思いのほか心強かった。孤児院では、誰かに手を引かれた覚えがない。
飾り気のない部屋だった。壁際には周辺一帯の地図が広げられ、その脇には使い込まれた様子のハルバードが立てかけられている。机の脇には、先に来ていたサリナが立っていた。机の向こうに座る男——ギルド長のオグマが、リナムーアの姿を認めると椅子から立ち上がった。
「よく来たな。……随分と見違えたじゃないか」
濃い灰色の瞳がリナムーアの姿を上から下まで見渡す。値踏みする目ではなかった。驚きと、わずかな安堵がにじんでいた。
「回復、できました。ミオと、サリナの、おかげです」
リナムーアははっきりとした声でそう答えた。舌足らずな幼い声ではあったが、その受け答えの明瞭さにオグマは僅かに眉を上げた。脇に立つサリナと、後ろについてきたミオが、誇らしげに頷くのが視界の端に映る。
「そうか。……まずは、無事に元気になったことを祝おう。この短期間での回復力は大したものだ」
オグマはそう言って机の引き出しから小さな包みを取り出した。中身は干し果実を固めて作られた菓子だ。差し出された包みを、リナムーアはじっと見つめた。
(回復の祝い、か。律儀な人だ)
「ありがとう、ございます」
礼を述べ、リナムーアはそれを両手で受け取った。干した果実の甘い匂いがした。前世でもこういう小さな気遣いには弱かった。今世でも、それは変わらないらしい。
「まずは座れ」
オグマは目で部屋の隅の応接の卓を示し、そちらへ移った。
リナムーアもオグマの向かいへ回ったが、応接の低い椅子でさえ、この背丈では座面が腰より高い。
(高い……仕方ない、よじ登るか)
椅子の縁に手を掛けたところで、脇の下に手が入った。ミオに持ち上げられ、そのまま座面へ下ろされる。中身が大人の身としては、少々気恥ずかしかった。サリナとミオが、リナムーアを左右から挟むように腰を下ろした。オグマの眉が、少し上がった。
「さて——」
オグマの声色が僅かに変わった。世間話は終わり、本題に入る合図だ。リナムーアは菓子を受け取った手をそのまま前に下ろし、姿勢を正した。
「お前がどんな場所で、どんな扱いを受けてきたのか。まずは、それを聞かせてもらいたい。孤児院での話だ」
オグマの問いにリナムーアは僅かに視線を落とした。迷ったのではなく、話す順を決めるための間だった。
「はい。……じゅんばんに、話します」
そう前置きすると、リナムーアは淡々と語り始めた。孤児院での三年間。与えられる食事の量が他の子供たちより明らかに少なかったこと。冷たい言葉を日常的に投げつけられていたこと。そして、その理由が自分の白い髪と赤い瞳にあるらしいということ。
「白い髪と、赤い目は、けがれ、だって。名前も、そうぞうしんの名を、よごしてるって。ずっと、言われてました」
サリナとミオが、息を呑んだ。リナムーアの声は、最後まで同じ調子のままだった。他人の身に起きたことを読み上げるような話し方だった。
サリナが、オグマのほうを見た。
「序理創神教の教えです。孤児院長は、あそこの信者ですから」
オグマは黙って頷き、視線をリナムーアへ戻した。
「洗礼式の日、『己識』が、発現しました。それで、自分の身体が、どれくらい悪い状態か、わかりました。栄養失調、筋力の低下、骨密度の低下……色々、悪かった、です」
「……待て」
オグマが鋭い声で遮った。卓の上へ、わずかに身を乗り出している。
「お前の魔力量も、タレントも測定不可だったはずだ。測定の紙に何も記されていなかったのは、この目で見ている。それなのに、スキルだと? どういうことだ」
サリナとミオも思わず顔を見合わせた。測定結果を知る二人にとっても、それは初耳だった。
「たぶん、魔力が、少なすぎるから。道具じゃ、見つからないだけ、だと思います。でも、わたしには、わかります。……たぶん、これ、タレントの、力です」
隠すつもりはなかった。ここで信用を得るには、話しておいたほうがいいと判断していた。
「測定できないほど、微量の魔力……そんな話、聞いたこともないわ」
サリナが呟いた。ミオも確かめるようにリナムーアの顔をじっと見つめている。
オグマは暫し黙り込んだ後、深く息を吐いた。
「……にわかには信じ難いが、この短期間での回復ぶり、その受け答えを見れば、何かしらの力があると考える方が自然か。……いいだろう。その話、他言はするなよ。無用な詮索を招く」
「はい。……わかり、ました」
リナムーアは、そこで一度言葉を切った。
「孤児院長は、多分わたしを、厄介者だと、思っていました。だから、ギルドに、あっせんした。わたしにとっては、それは、良かったことだと、思います。孤児院にいたら、多分もっと悪くなっていました。さいあくの場合、もういなかった、かもしれません」
オグマは腕を組んだ。三つの子供が、自分の身に起きたことを損得で並べている。しかも、その並べ方に狂いが無かった。
「……なるほど、な」
オグマはリナムーアの隣に控えるサリナとミオへ視線を向けた。二人は揃って小さく頷いた。
「サリナからも、ミオからも聞いてはいたが……ここまでとはな。お前は普通の三歳児とは話が違うようだ」
「子供扱い、しなくて、大丈夫です。話も、分かります」
リナムーアがはっきりとそう告げると、オグマは僅かに口の端を上げた。それは面白がるような、それでいて感心したような笑みだった。
(子供扱いされるよりは、対等に扱ってもらう方がずっと楽だ)
オグマの目が、子供を見るものから、話の通じる相手を見るものへ変わっていくのが分かった。
▽ ▽ ▽
リナムーアが一通りの説明を終えたところで、オグマは机の上に一枚の書類を置いた。サリナが以前作成した斡旋契約の控えだった。
「これを見ろ。孤児院長に支払った斡旋手数料だ。本来なら五万ムーアのところを、サリナが二割まで値切った。一万ムーア……小金貨一枚分だ」
オグマの指が書類の数字を叩く。リナムーアはその数字をじっと見つめた。療養中にミオから聞いた様々な情報の中に、通貨の話も入っていた。通貨の単位はムーアだ。これは創造神の名から来ているらしい。硬貨は、一番価値の小さい小銅貨が一ムーアで、そこから銅貨、小銀貨、銀貨、小金貨と、十倍ずつ上がっていくと聞いた。色々と物の値段を尋ねた結果、一ムーアは五十円相当だと推算した。
つまり——、一万ムーアは五十万円ということだ。
「それだけじゃない。お前の療養には、ミオが数週間付きっきりで世話をした。栄養状態の管理、身体機能の回復訓練、言葉の指導……。その時間と労力を金額に換算すれば、この一万ムーアなど簡単に上回る」
そこでオグマは一度、書類から指を離した。
「先に言っておく。この金をお前に払わせる話ではない。斡旋の手数料は、孤児院とうちの間で終わった取引だ。お前に請求が回ることはない。お前の稼ぎから引くこともしない」
その一言に、リナムーアは僅かに顔を上げた。
「だが、うちはこれを出した理由を、いずれ本部に説明する立場にある。金を出して人を一人抱えた。それが正しい判断だったのかどうかをな」
オグマの指が、もう一度だけ数字の上に戻った。
「出して正しかったと、後から言えるだけのものを出してくれ。俺が求めているのはそれだけだ」
責める声ではなかった。事実を並べただけである。それでも、サリナとミオの顔が曇った。
「ギルド長。言い方が——」
サリナが思わず口を挟もうとする。相手はまだ三歳の子供だ。いくら理知的だとはいえ、成果を示せと正面から突きつけるのは酷ではないか。ミオも同じ思いなのだろう。眉根を寄せ、リナムーアの様子を窺っている。
「いい。……大丈夫、です」
だが、リナムーアはそう言って二人を制した。責められている、とは思わない。むしろ、それは当然の話だった。
(タダで面倒を見てもらえるほど、世の中は甘くない。まして、払えと言われたわけでもない。働いて見せろというだけの話だ)
「ギルド長の、言うこと、正しいと思います。わたしは、まだ、何も、返せていません」
リナムーアの言葉にオグマは僅かに目を細めた。予想していた反応とは少し違ったのかもしれない。
「分かっているなら、話は早い。……で、お前は、これから、何ができる? 何か、考えはあるか」
その問いにリナムーアは正直に首を横に振った。
「今すぐ、できることは、あまり、無いと、思います。身体は、小さいし、力も、弱いです。でも——」
リナムーアはそこで僅かに視線を上げた。
「できそうなこと、なら、あります。相談、したい、です」
少し間をおいて、オグマが口を開いた。
「できそうなこと、か。言ってみろ」
オグマが促すと、リナムーアはこれまでミオやサリナから聞き齧ったギルドの依頼内容を思い返しながら、慎重に言葉を選んだ。
「たたかう、お仕事は、できません。採集なら、力は、いらないと、聞きました。あぶないのは、わかってます。でも、よく見るのは、できます」
「採集、か……」
オグマは顎に手を当て、暫し考え込んだ。それから机の引き出しから依頼一覧の書かれた紙を取り出す。
「ちょうどいい。実は、慢性的に人手が足りていない依頼がある。薬草採取だ。ボド草や、ミド草——薬の材料になる薬草だが、これがどうにも不人気でな」
「不人気、ですか」
「採集場所が外縁とはいえ魔境の中だ。おまけに見た目の似た別の草が交ざっていて、見分けるのに手間がかかる。報酬に見合わないと、みんな敬遠する。……だが、需要は絶えずある。慢性的に不足しているのが現状だ」
オグマの説明にリナムーアは小さく頷いた。理屈は理解できる。手間がかかる割に儲からない仕事は誰しも避けたがるものだ。前世でも似たような話は幾らでもあった。
「お前の身体では戦闘は当分無理だ。薬草の採取も、魔境に入る以上、危険が無いとは言わん。だが、要るのは力より目だ。外縁部の境界沿いなら、何かあっても森の外へ逃げ出せる。そこを、お前の主な仕事にしろ。それが俺からの要求だ」
「ギルド長」
サリナの声が、さっきよりも低かった。
「三つの子を、魔境へ出すおつもりですか。境界沿いでも、ゴブリンは出ます。足を取られたら、それまでです」
「私も、反対です」
ミオが膝の上で手を握った。
「やっと歩けるようになったばかりなんです。せめて、もう少し体ができるまで」
オグマは二人を順に見て、それから組んでいた腕を解いた。
「なら、どうする。ここは孤児院じゃない。冒険者ギルドが人を置いておけるのは、冒険者としてだけだ。斡旋で引き取った者を働かせずに抱えておく理由は、本部には書けん」
オグマの声は静かだった。
「それに、待って体ができたところで、魔境が安全になるわけではない。魔境そのものは、いつ出しても危ない。だから、出す前に要るものを揃える。その話なら聞く」
サリナが唇を引き結んだ。ミオは、リナムーアのほうを見た。
(ギルド長の言うことも、二人の言うことも、どちらも正しい)
リナムーアは、オグマの顔をまっすぐ見上げた。
「わかり、ました。やり、ます」
ほかに道が無いことは分かっていた。それに、筋の通った話だった。
(薬草採取か。地道だが、堅実な仕事だ。力の要らない仕事なら、この身体でもどうにかなる。それに、王道と言えば王道だ)
オグマは小さく頷いた。
▽ ▽ ▽
「でしたら、森へ出す前の条件を付けさせてください」
サリナが、手を机に置いた。心配の色は、まだ顔から消えていなかった。それでも声は、交渉事に臨む副ギルド長のものに戻っていた。
「まず、住む場所です。斡旋で受け入れた子ですから、宿泊施設の一室を、リナムーアに使わせてください」
「もとより、そのつもりだ。空いている部屋を一つ用意しよう」
リナムーアを挟んで反対側に座るミオも、静かに口を開いた。
「薬草の見分け方や採取の知識は、私が教えます。付け焼き刃では、危険な場所には出せませんから」
「それも構わん。むしろ望むところだ」
「それから、走り込みは私が見ます」
サリナが言葉を継いだ。
「私がいいと言うまでは、森へは出しません。そこは、譲れません」
オグマは少し考えてから、頷いた。
「いいだろう。出してよいかどうかは、お前が見て決めろ」
サリナは、もう一押しとばかりに続けた。
「あと、資料室への入室許可もお願いします。薬草の生態や魔境の情報を、自分で調べられるようにしてあげたいんです」
その要求にオグマは僅かに眉を上げた。資料室は本来職員か、本登録の冒険者にしか開放されていない場所だ。
「……それは少々異例だが」
「リナムーアなら、悪用などしません。字は、療養のあいだにミオが教えています。自分で調べる力があるなら、伸ばしてあげるべきです」
サリナの言葉にミオも隣で小さく頷いて同意を示す。二人の勢いに押される形でオグマは暫しの沈黙の後、ゆっくりと頷いた。
「……分かった。資料室の利用も、許可しよう。ただし、閲覧記録はきちんと付けさせてもらう」
「それで、十分です」
サリナが満足げに微笑んだ。その一連のやり取りをリナムーアは少し呆気に取られながら見守っていた。
(サリナとミオが、俺の代わりに条件を交渉してくれた……)
リナムーアの胸の奥に、じんわりとした温かさが広がった。誰かが自分のために動いてくれるという経験は、前世でも今世でも、そう多くはなかった。
「期限は特に決めない」
一連のやり取りが落ち着いたところで、オグマが改めてリナムーアへと向き直った。
「だが、できるだけ早く動き出してくれると助かる。薬草不足は今この瞬間も続いている問題だからな」
「はい。……できるだけ、早く。頑張り、ます」
リナムーアははっきりとした声でそう答えた。




