第47話 控え(ひかえ)
門灯にはまだ間のある頃から、納品窓口の前に列ができはじめた。
ミオが台帳の今日の頁を開くと、最初に台の前へ来たのは、見知った三人だった。ハーゲンスが先に立ち、ノエが大きいほうの採集袋を肩から下ろしている。クレイルは二人の後ろにいた。
品を受け取る前に、ミオは三人の体を見た。ハーゲンスの矢筒は半分ほど空いていて、ノエの短槍の穂先には布が巻かれたままだった。新しい傷を負った者はいない。
クレイルは剣を提げていた。背にも左腕にも、盾は無かった。
ノエが採集袋の口を解き、中身を金属の盆へ空けた。ボド草だった。ミオが判別機へ流すと、葉はすべて同じ側へ落ちた。秤の針が止まるのを待って、台帳に重さを付ける。
ハーゲンスが腰の魔石入れを探り、灰色の粒魔石を台の上へ並べた。
「ゴブリンだ。外縁部で、群れを二つ。前で止めたのはクレイルだ」
ハーゲンスはそう言って、後ろのクレイルへ顎を向けた。
「盾が無くても、剣は振れる」
「大きいのは、避けた」
ノエが、短く言い足した。
ミオは粒魔石を一つずつ検めてから、三人の名の並んだ行に討伐の数を書き入れた。
少し前の頁にも、その前の頁にも、三人の行は続いている。討伐の欄に付く数は、どの日も小さかった。クレイルが左腕を裂かれる前は、同じ欄にもっと大きな数が並んでいた。
盾で群れの頭を受け止める者がいなければ、大きい群れには手を出せない。ノエの言った「避けた」は、今日に限ったことではないのだろう。
ミオは額を告げ、硬貨を数えて台の上へ置いた。
クレイルが前へ出て、左の手のひらで硬貨を台の端へ寄せ、右手に受けた。寄せる手の薬指と小指だけが、半ば開いたまま台から浮いていた。
あの腕を塞いだのは、ミオだった。皮膚は閉じても、その奥で断たれた筋まではつなげなかった。
三人は台を離れ、表の扉のほうへ歩いていった。
列はゆっくりと進み、何人か後に、白い髪が台の縁から覗いた。
「納品を、お願いします」
「はい」
ミオは品より先に体を見た。袖から出た両腕、首のあたり。肩から下ろした採集袋の紐を、小さな左手が握り直す。五本の指が、揃って曲がった。
ミオの目は、その薬指と小指に留まった。
咬まれて戻った夜、この子の二本も、さっき硬貨を寄せていた手の二本と同じ形で止まっていた。
クレイルの指は、あれから戻っていない。この子の指は、一晩で戻った。
ミオは採集袋の葉を判別機へ流した。外れる葉は、一枚も無かった。ギルドカードを受け取り、別帳の預け入れへ今日の分を足す。
「預け入れへ足しておきます」
「ありがとうございます」
リナムーアは頭を下げ、訓練場へ抜ける廊下のほうへ歩いていった。ミオは次の者を、台の前へ呼んだ。
▽ ▽ ▽
翌日の昼、窓口の前には誰も並んでいなかった。
森へ出た者はまだ戻らず、依頼を探す者は朝のうちに出払っている。ミオが前日の頁を見直していると、灰色の上衣の男が台の前に立った。膝まで落ちる上衣で、袖口に汚れが無い。腰には、ペンを差した筒と書き板が下がっていた。
「お忙しいところを、失礼いたします。副ギルド長のサリナ様に、お取り次ぎをお願いできますでしょうか」
「お名前と、ご用向きを伺えますか」
「商業ギルドに籍を置いております、ゼルハイムと申します。薬種の仲買をしております。用向きは、ミド草のことで」
受付の机で書き物をしていたサリナが、その名に顔を上げた。机を離れ、窓口の脇へ回ってくる。
「サリナです。リナムーアに、声を掛けてくださった方ですね」
「はい。その節は、お引き止めいたしました」
ゼルハイムが腰を折った。ミオもその名は聞いていた。支部を通さずに直に売ってほしいと、あの子に持ち掛けた仲買人だ。
ホールの隅の卓では、冒険者が一人、依頼票を書き写していた。サリナは用件の中身を聞く前に、窓口の奥の廊下を手で示した。
「奥で伺います。ミオ、ミド草の行を見たいから、ここしばらくの台帳を持ってきて」
「はい」
応接室は、窓口の奥の廊下を入ってすぐのところにある。品を引き取りに来る仲買人や、依頼を出しに来る商人を通す部屋で、卓が一つと椅子が四脚あるだけだった。
ミオが台帳と手控えを抱えて入ると、サリナが戸を閉めた。ゼルハイムは卓の向かいに腰を下ろしてから、ミオにも頭を下げた。
「ミオ様にも、お手数をおかけいたします」
ゼルハイムは背を伸ばし、前置きを短くして話しはじめた。
「わたくしがお受けしている注文のことでございます。御領の研究所から、ミド草をできる限り多く回せないかと言われております」
「研究所というのは、王都の研究院のことですか」
サリナが聞くと、ゼルハイムは首を横に振った。
「いいえ。王都ではなく、御領が抱えている研究所でございます。薬に限らず、いろいろなものを調べている所だと伺っております。材料はふだん、わたくしども仲買人を通して、市の値でお買いになります」
ミオはペンを取り、手控えの新しい頁に書き付けた。研究所の注文、ミド草をできる限り多く。王都ではなく、御領の研究所。
「ミド草が足りずに、書き物の上で止まっていた薬があるそうです。材料の入る見込みが立って、ようやく試せるところまで来たと」
「どういう薬なのですか」
サリナの問いに、ゼルハイムは少し言葉を選んだ。
「治癒魔法の届かないところに効く、と見込んでいるそうです。形になるのは、何年も先でしょうが」
ミオのペンが、紙の上で止まった。
昨日の夕方、硬貨を寄せる手の端で、開いたまま台に触れなかった二本が目に浮かんだ。ミオの魔法は、あの腕の奥までは届かなかった。
ミオはペン先を紙へ戻し、聞いたとおりの言葉を一行に書いた。
ゼルハイムは、卓の上の台帳へ目を落とした。
「揃わない日があることも、承知しております。入らなかった日は、わたくしの帳面にも残っておりますので。同じ量を続けてほしいとは申しません。回せるだけ、回していただければと」
「今日は、それを頼みに来られたのですか」
「半分は、そうでございます。残りの半分は、伺いに参りました。わたくしは、こちらから卸していただいている身です。どこまでお受けしてよいかを知らずに、先方へ返事はできません」
サリナは台帳を引き寄せ、ミド草の行を目で追った。ミオが開いて置いた頁には、ほとんど同じ名しか並んでいない。
「あの方のところへ、直にお願いに上がるつもりはございません。一度、お断りをいただいておりますので」
サリナは台帳から顔を上げた。
「増やすことは、約束できません。入った分の中で、どう分けるかは考えます」
「十分でございます」
ゼルハイムは立ち上がり、もう一度腰を折った。
「お時間を頂戴いたしました。サリナ様、ミオ様」
サリナは戸口まで出て、灰色の上衣が廊下の角を曲がるのを見送った。卓へ戻ると台帳を閉じてミオへ返し、何も言わずに受付の机へ戻っていった。
▽ ▽ ▽
ホールから冒険者の姿が消え、灯りが半分に落とされた。
ミオはその日の台帳を締めて棚へ戻し、窓口の台で手控えを開いた。昼に書いた頁が出た。ミオはそこから、頁を前へ繰っていった。
咬まれて戻った夜の頁に行き当たった。左前腕に咬み傷、二列。治癒魔法で血を止め、塞ぐ。赤い線が二列残る。書いてあるのはそこまでで、その下が一行だけ空いていた。
指のことは、あの夜には書かなかった。薬指と小指は動かないままで、戻るのかどうかが分からなかったからだ。どうなったかを見てから書くつもりで、一行を空けておいた。
翌朝には、それが分かった。赤い線は消え、指は五本とも動いた。
何が要るのか分からないので、全部残します。前に、そう言ったのは自分だった。台帳にも、この手控えにも、見たことと聞いたことを選ばずに書いてきた。その決めに従えば、空けた一行には、あの朝のことが入る。
あの子の腕の傷を塞いだのは、ミオの魔法だ。どこまで届いて、どこから先へ届かないのかは、使う本人がいちばん分かっている。クレイルの腕では、その魔法は奥で断たれた筋まで届かなかった。同じ魔法が、あの子の腕だけは一晩で奥までつないだとは思えない。それを言えるのは、塞いだミオ一人だった。
ここに書かなければ、あの朝のことはどこにも残らない。
ミオは台の内側へ目を落とした。引き出しの中に、区域の書き付けの束が収まっている。少し前までは、台の脇に積んであった。台の外からでも、手を伸ばせば届くところだ。サリナに言われて、その夜のうちに引き出しへ移した。理由は聞かなかった。台の外から手の届かないところへ、ということは、聞かなくても分かった。
書いたものは、書いた者の手を離れて残る。誰の目に触れるのかは、書いた側には決められない。
ミオはペンを取った。
空けた一行の頭へ、ペン先を運ぶ。そこで、手が止まった。
しばらくそのままでいてから、ミオはペンを台へ置いた。
頁を今日まで送ると、昼の頁の次は、まだ何も書いていない頁だった。ミオはもう一度ペンを取り、その頭に明日の日付を書き入れてから、手控えを閉じた。




