第41話 斬り口(きりくち)
その依頼票は、前の晩のうちに掲示板へ貼られていた。
外縁部から魔獣の死骸を一体、丸ごと運び出す。人手は三人で、荷車は樹縁まで。依頼主の欄にはギルド長の名があり、運び賃は並の荷運びよりひと回り高く付けてあった。
朝の掲示板の前で、ドルグはそれを真っ先に剥がした。森の中を担いで歩くだけの仕事にしては、悪くない額だ。ギルド長の名で出る仕事は、たいてい割がいい。
同じ依頼を受けたのは、登録して日の浅い若い冒険者と、縄の束を腰に下げた支部の職員だった。職員は、ギルド長の字で場所を書いた紙を持っている。浅層の境から樹縁へ戻る途中、根の浮いた倒木の先に、苔をかぶった岩。
荷車を樹縁に置いて、三人は下草の中へ入った。
朝の外縁部は、まだ薄暗い。ドルグが前で枝を払い、後ろの二人が根を跨いでついてくる。しばらく歩いたところで、若いのが足を止めた。
「……臭いますね」
血と臓物の臭いだった。ドルグの鼻には、少し前から届いていた。
足元の下草に、丸く整えた小さな石が転がっていた。拾い上げて掌で転がすと、指の先ほどの大きさに揃えてある。あの子がスリングショットで撃つ弾だった。同じ弾が、倒木のほうへ間を空けて点々と続いている。
(撃ちながら、ここまで下がったか)
倒木の向こうに、死骸が横たわっていた。
グレイヴォルフだった。灰色の毛の、狼の形をした魔獣である。一晩のうちに何かが寄ったらしく、腹の側が裂かれて肉を持っていかれていた。首から先は胴を離れ、半歩ほど向こうの下草に転がっている。
職員が袖で口元を覆って、一歩下がった。
ドルグは担ぎ棒を下ろし、死骸の脇にしゃがんだ。
斬り口は一つだった。刃を二度入れた跡が無く、骨ごとひと息に抜けている。その先の土に、溝が一本走っていた。縁へ指を差し入れてみると、付け根まで沈めても底に届かない。首を抜けた刃が、そのまま土の中まで入ったのだ。
片手斧を振って、十年近くになる。振る側の目で見れば、分かることがあった。
斧でも剣でも、振る前に止めるところを決めておく。地面を叩けば刃が欠けるし、腕に返る衝撃で次の一振りが遅れる。慣れた者ほど、当てたあとの刃を体の手前で止める。
この溝には、それが無かった。
「止める気の無え振り方だ」
技で落とした首ではない。力で抜いた跡だった。
ドルグは胴へ目を移した。痩せてあばらが浮いていても、鼻先から尻まで大人の背丈に近い。担ぐまでもなく、六十キロは下らないと分かる。それを倒したのは、自分の腰にも届かない背丈の子供だ。
溝の深さと、この胴の大きさと、あの子の背丈が、頭の中に並んだ。並べてみても、どこにもつながらなかった。
「ドルグさん。誰がやったんです、これ」
若いのが、転がった頭を覗き込みながら言った。
「支部の子だ」
ドルグは膝の土を払って立ち上がった。若いのは何か言いかけて、口を閉じた。
職員が縄をほどきはじめた。ふだんなら、皮と魔石だけをその場で取って、残りは森に置いていく。依頼票に丸ごとと書いてあったわけが、斬り口を見たいまは分かった。ギルド長も、これを自分の目で見る気なのだ。
四本の脚を二本ずつ縛り、そのあいだへ担ぎ棒を通した。頭は職員が布でくるんで抱え、ドルグが前を、若いのが後ろを担ぐ。
担ぎ棒が肩に食い込んだ。割のいい仕事には、それなりの重さがある。樹縁までの道を、ドルグは一度も口を開かずに歩いた。
▽ ▽ ▽
支部の裏手の解体場へ死骸を運び込んだのは、昼を過ぎてからだった。
屋根と三方の壁だけの小屋である。石を敷いた床の真ん中に細い水路が切ってあり、洗い流した血と水が、そこを伝って外へ抜けていく。
ドルグは担ぎ棒を肩から外して、死骸を台の上へ転がした。
解体係の男が袖をまくり、刃物を並べた。首の斬り口を見たところで、男の手が一度止まった。
「あんたの斧じゃないな」
「違う」
男はそれ以上を聞かずに、皮へ刃を入れた。
皮が剥がれ、腹が開かれていく。胸の奥を探っていた男の指が、小指の先ほどの魔石をつまみ出した。くすんだ灰色で、艶が薄い。
「痩せてた割には、ちゃんと持ってたな」
気がつくと、戸口にオグマが立っていた。
ギルド長は台の脇まで歩いてきて、職員が布をほどいた頭の前で足を止めた。首の側の斬り口に目を落とし、それから胴の側の斬り口を見る。しばらく、そのまま動かなかった。
何も言わずに、オグマは顔を上げた。
「魔石は窓口の勘定へ回せ。皮は明日、皮革商へ出す」
「売った分は、どこへ付けます」
職員が聞いた。
「倒した者に付けろ」
それだけ言って、オグマは戸口を出ていった。
ドルグは台の脇で、それを聞いていた。自分が受け取るのは運び賃だけだ。担いで歩いただけの仕事にしては、十分な額だった。残りがどこへ行こうと、口を挟む筋ではない。
(……まあ、そうなるわな)
▽ ▽ ▽
翌朝、皮を皮革商へ運ぶ役も、ドルグに回ってきた。
塩をすり込んで巻いた皮を市場の奥の店先へ下ろすと、主人が巻きをほどいて毛並みを手でなぞった。その手が、首の側の縁で止まった。
「ずいぶんきれいに落としてあるな。どこの腕利きだ」
「支部の者だ」
「名前は」
ドルグは答えずに、代金の控えを受け取って店を出た。
話は、その日のうちに市場を回ったらしい。首のところできれいに断たれた皮の話に、昨日の若いのが仲間にこぼした「支部の子」が、どこかで結び付いたのだろう。
夕方、市場の外れの酒場の戸をくぐったときには、話はもう別のものになっていた。
「白い子供が、グレイヴォルフの首を落としたんだと」
「一頭じゃない。群れだったって話だ」
「素手で捻ったって聞いたぞ」
奥の卓で、見知らぬ男たちが声を上げている。
「去年、孤児院から荷車で運ばれていった子だろう。タレントも無いって言われた子だ。それが魔獣の首を、だぞ」
聞いていた一人が、二本の指を立てて、胸の前で印を切った。
ドルグは壁際の卓に腰を下ろして、酒を頼んだ。酒場の主人が杯を置きながら、奥の卓へ顎を振った。
「朝から、あの話ばかりでしてね」
隣の卓の男が、ドルグの革鎧に目を留めて身を寄せてきた。
「あんた、ギルドの人だろう。本当なのか、あの話は」
ドルグは杯を口へ運んだ。
「さあな」
男はしばらく続きを待っていたが、杯が卓へ戻っても、それ以上の言葉は出てこなかった。
群れではなかった。素手でもなかった。一頭で、剣で、一振りだった。
どれを正したところで、あの背丈の子供が一振りで首を落としたことは残る。ドルグは黙って、二杯目を頼んだ。
▽ ▽ ▽
聖堂の奥の祭具室には、窓が一つしかない。
ネストルは台座の覆い布を外して、判定の石を窓の光の下に出した。
両腕でようやく抱えられるほどの、透き通った石である。台座の窪みに据えられ、底から細い銀の管が何本も台座の中へ入っている。子供を前に立たせれば、魔力の量とタレントの名が、石の奥に光となって浮かぶ。何も示さないときは、曇ったまま黙っている。
洗礼式が近い。判定の石の曇りを拭い、管の継ぎ目を一つずつ検めるのは、毎年ネストルの受け持ちだった。机の上には、親たちが届けに来た子の名を書き留めていく名簿が広げてある。
ネストルは五十三になる。痩せた体に生成りの長衣をまとい、灰色の肩掛けを掛けている。聖堂の司祭の装いである。肩が前へ落ちているせいで、並んで立つと実際より小さく見られることが多い。額には、横に三本の皺が刻まれていた。
戸口で、堂守の老人が箒を止めた。
「司祭様。市場で、妙な話が出回っておりますよ」
朝の買い物の途中で聞いてきたのだという。白い子供が、魔獣の首を落とした。ギルドに置かれている子で、去年、孤児院から荷車で運ばれていった子だという。タレントも魔力も無いと言われた子が、と。
話し終えると、老人は胸の前で印を切って、表へ戻っていった。
ネストルは、判定の石を拭う布を止めていた。
一年前の一月、孤児院の儀式の間で式を進めたのは、ネストルだった。
あの年、一人だけ列から外されて、木の荷車で運び込まれた子供がいた。荷台の上で体を丸めたまま起き上がらず、髪は白く、目は赤かった。孤児院長のヘルマンは、聖職者にも聞こえる声で子供を罵った。創造神の名を自分の名に入れるなど不遜だ、この白い髪に赤い目だ、式を受けさせる値打ちも無い、と。
光が子供を包んでも、判定の石は曇ったまま、何も浮かべなかった。
ネストルは据わりか継ぎ目の不具合を疑って、台座へ手を伸ばしかけた。そこへヘルマンの声が重なった。魔力が計測できないなら、タレントの判定も不可能だ。タレント無し、魔力無し。
ネストルは、伸ばしかけた手を下ろした。誰も何も言わず、式はそのまま終わった。
二月ほど前にも、似た話を耳にしていた。祈りのあとで、役所の文官のレンヴォルトに呼び止められた。長く聖堂へ通っている信徒だった。
「支部に、白髪赤眼の子供がいるのです。ミド草を納めている。役所の話を、断りましてね」
男は子供の名を言わず、ネストルも聞かなかった。荷台で頭も上げられなかった子と、森へ入って草を納める子が、同じだとは思えなかった。
いまは、つながる。荷車と、ギルドの支部と、白い髪と赤い目。そこへ魔獣の首が加わった。
装置が量れなかったのか、あの子に何も無かったのか。それを確かめようとした手を、自分で下ろしたのだ。
(……確かめずに通したのは、私だ)
大司教の部屋は、聖堂のいちばん奥にある。
マクシミリアンは机に向かって書き物をしていた。白い長衣に、金糸で縁を取った深紅の肩掛けを掛けている。六十四になるが、肉付きのよい体の背筋はまっすぐに伸びていた。ネストルが戸口で頭を下げても、ペンは止まらなかった。
「大司教様。今年の洗礼式で、一人、量り直しをさせていただきたいのです」
「誰を」
「昨年、孤児院の式で私が量った子供でございます。判定の石が何も示さないまま、タレント無しとして通しました。装置の不具合を、確かめもせずに」
ペンが止まった。
「孤児院の子なら、孤児院で量り直せば済む」
「その子はいま、市場で噂になっております。タレントの無い子が、魔獣の首を落としたと。……その言葉を通したのは、私でございます。孤児院の奥で正しても、届きません。人の前で量り直すほかに、正し方がないと存じます」
マクシミリアンは、しばらくネストルを見ていた。薄い茶の目が、ほとんど瞬きをしない。
「よかろう」
それだけだった。
「一般の式の手順は崩すな。量り直しは、式が済んでからにしろ」
「はい」
「下がれ」
ペンが、また動き出した。
名は聞かれなかった。孤児院の子供の一人に、大司教が名を求めることは無い。ネストルもそれを当たり前と受け取り、思っていたより容易く通ったことを深く考えはしなかった。判定の石が何を示そうと、示したとおりに告げればいい。
祭具室へ戻ると、窓の光はもう傾いていた。
量り直しのことは、あの子に自分の口で告げなければならない。量り違えたのが自分である以上、人づてにはできなかった。
ただ、あの子にとって、自分は一年前に一度式を進めただけの聖職者だ。荷台の上から、顔を覚えていたかどうかも分からない。見も知らない大人に呼び止められれば、四つの子供は身構えるだろう。
あの子が顔を知っていて、自分が同行を頼める大人といえば、孤児院長しかいなかった。ギルドの者には、一人の知り合いもいない。
儀式の間で聞いた声が、まだ耳に残っている。あの男があの子をどう扱っていたかは、荷台の上の痩せた体を見れば察しがついた。気は進まなかった。
それでも、知らない大人一人に呼び止められるよりは、三年を同じ屋根の下で過ごした顔がそばにあるほうが、まだ怯えさせずに済むだろう。ネストルはそう考えて、机の前に座った。
孤児院長に宛てて、同行を頼む書状を書いた。用向きは量り直しのことだけにとどめ、読み返してから畳んで封をする。
封じた書状を名簿の脇へ置いて、ネストルは判定の石に覆い布を掛けた。




