↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/53

第38話 冥線(めいせん)

 魔境側(まきょうがわ)の大門(だいもん)は、まだ大扉を閉ざしていた。


 脇のくぐり戸の前で、門兵(もんぺい)がギルドカードに目を落とし、戻り帳へ名前を書き入れた。毎朝のことで、言葉はほとんど要らない。


 戸が開くのを待つあいだ、リナムーアは今日の順を考えていた。


 『冥識(めいしき)』を外へ向けるのは、今日が初めてになる。何をする力かは分かっている。自分と、識ったものとのあいだの因果を辿(たど)る力だ。ただ、どこまで辿れるのかは、まだ一つも分かっていない。何に返って、何に返らないのか。一度にいくつまで、一日に何度まで向けられるのか。


 前の生では、新しい道具を手にしたら、まず仕様書を読んだ。できることと、できないこと。使える範囲と、その外。読まずに使い始めて困るのは、たいてい自分だった。


 この力には、読む仕様書が無い。それなら、一つずつ当てて、自分で書き出していくしかない。


 『空識(くうしき)』の下絵の、いちばん手前に門兵が乗っていた。戻り帳から顔を上げて、閂(かんぬき)へ手を伸ばすところまで返ってくる。


 リナムーアは、そちらへ『冥識』を向けかけた。


 手前で、やめた。


 この人と自分とのあいだの因果を辿る理由は、どこにも無かった。毎朝この戸を開けて、名前を書き留めてくれる人だ。用も無いのに、人へ能力を向けるものではない。


「気をつけてな」


 門兵が閂を外して、戸を押し開けた。リナムーアは頭を下げて、くぐり戸を抜けた。


 ▽ ▽ ▽


 最初に向けたのは、草原の道ばたに転がっていた石だった。


 何も返らない。向けた先で、手応えがすっと抜けていく。樹縁(じゅえん)の木の幹へ向けても、同じだった。


(……関わりの無いものには、何も返らない)


 頭の中の仕様に、一行目を書いた。


 浅層(せんそう)の境を跨(また)いで、ミド草の株のある一帯へ入った。葉を落とす手は先に動き、意識は下絵に置いたままにする。


 日陰側へ寄ったところで、ホーンラビットが一つ跳ねていた。


 『冥識』を向ける。


 何も返らない。石と同じ抜け方だった。跳ねていようと、息をしていようと、自分とのあいだに何も無ければ、返るものも無い。


(……生きているかどうかでは、ない)


 昼の手前に、下絵の奥の縁(ふち)へ影が三つ乗った。コボルトの群れだった。


 リナムーアはミド草の株のそばを離れ、低木の陰(かげ)で膝(ひざ)を落とした。先頭の一体へ向ける。


 今度は、抜けなかった。


 この一体は、こちらを知っている。そのうえで、知ったのはこの一体自身ではなかった。どこかから渡されて、知っている。渡ってきた元のほうへ、手触りが一本延びていた。言葉ではない。下絵が森の形を返すのと同じやり方で、方角と隔たりが返る。表(おもて)の日陰側へ、下絵の縁よりもまだ先へ延びている。


(……線だ)


 その手触りが返るのと一緒に、頭の芯がわずかに重くなった。


 今朝、自分へ向けたときには、こうはならなかった。石や幹や獣へ向けたときにも、重さは無かった。自分の中で閉じている因果と、何も返らないものには、重さが掛からない。外へ向けて因果が返れば、そのぶんが頭に載る。


(……冥線(めいせん)とでも、呼んでおくか)


 冥線を掴んだまま、隣の一体へも向けようとした。掴みかけたところで、先の一本が指から落ちた。持っていられるのは、一つだけらしい。


 隣の一体へ向け直す。——知っている。冥線は、やはり表の日陰側へ延びていた。頭の重さが、もう一段増した。


 先頭の一体が鼻を上げた。三つが揃って、こちらへ向き直る。


 リナムーアは弾入れの口を開けた。群れが寄りきる前に、三つとも撃ち、倒した。


 黒い霧へほどけていく一体へ、『冥識』を向けた。


 何も返らない。さっきまで表の日陰側へ延びていた冥線は、どこにも無い。


(……死んだものには、返らない)


 頭は重くならなかった。


 そのまま、さきほど冥線が延びていた先へ向けてみた。下絵の縁の外である。掴むものが無かった。向けられるのは、下絵に乗っているものだけだった。


 昼を過ぎて、日向側(ひなたがわ)に影が二つ乗った。その一つへ向ける。——知っている。冥線は表の日陰側ではなく、表へ延びていた。


 三度目だった。額(ひたい)の裏が痛んだ。奥のほうへ細い楔(くさび)を一本打ち込まれたような痛み方をする。


 続けて、同じ一つが次にどちらへ歩くのかを掴もうとした。


 何も乗ってこなかった。返るのは、生まれた因果だけだ。辿れるのは、そこまでだった。


 その一度で、視界の端が滲(にじ)んだ。白いものが目の端へ薄く寄って、瞬(まばた)きをしても取れない。


 仕様の終わりの一行は、そこで書いた。一日に向けられるのは、三度か四度までだ。


 ミド草の株を回る足は、途中から鈍っていた。決めていた刻限が来て、採集袋は満ちないまま口を閉じた。門灯にまだ間のあるうちに、大門をくぐった。


 ▽ ▽ ▽


 翌日から、冥線を遡(さかのぼ)った。


 手順は一つしか無い。下絵に乗った群れの一体へ向けて、冥線の延びる先を取る。その方角へ歩き、次に下絵へ乗った群れの一体へ、また向ける。一度向けるごとに、冥線の元へ一つぶん近づく。一日に向けられる数が決まっているから、一日に近づけるのも、そのぶんだけだった。


 三日のうちに、分かったことが二つある。


 一つは、冥線が枝分かれしていることだった。別々の群れへ向けても、冥線が同じところへ寄っていくことがある。一つの元から、幾つもの群れへ渡っている。


 遡るほど、冥線は寄り集まっていった。初めはばらばらの向きから来ていたものが、一つ先へ進むたびに同じ先を指すようになり、まとまって、本数を減らしていく。


(……枝の先から、幹へ辿っている)


 どの枝の先から入っても、辿っていけば幹へ出る。幹は、一本しかない。


 もう一つは、冥線の指す先が、日ごとに奥へ寄っていくことだった。


 覚えがあった。こちらを数に入れた群れが忘れても、忘れた区域の隣がまた駄目になる。頭の中の地図の印でそれを読んで、こちらのことを伝え歩きながら動いているものがいる、と見当を付けた。見当を付けただけで、確かめる手立ては無かった。


 いま、冥線が一つのところへ寄り集まり、そのところが奥へ動いている。


 見当だったものに、初めて裏づけが付いた。


 探した日は、採集袋が満ちなかった。『冥識』を一度向けるごとに頭の芯が重くなり、ミド草の株から株へ移る足も、屈(かが)む動きも、葉を落とす手も、少しずつ遅れる。その遅れが一日ぶん積もって、決めた刻限に口を閉じるときには、いつもの嵩(かさ)に届いていない。


 納品窓口で、ミオは額を告げて、台帳へ書き入れた。数字の落ちた日の字も、落ちる前の日の字も、同じ太さで並んでいた。


 サリナには、まだ何も言っていなかった。見つけたら、そのときに話す。見つかっていないうちは、話すことが無い。


 ▽ ▽ ▽


 五日目は、浅層の境を跨いでから、ずっと奥へ寄り続けていた。


 その日の三度で、冥線はもう一本にまとまっていた。どの群れへ向けても、同じ先を指している。隔たりも、前の日よりずっと短い。


 額の裏には、三度目の楔がまだ残っていた。


 下絵の奥の縁に、影が四つ乗った。一つが先を行き、二つがその後ろに横並びで、残る一つがさらに後ろを歩いている。間隔は動かない。


 リナムーアは低木の陰で膝を落とし、先頭の一体へ四度目を向けた。


 ——知っている。


 冥線の先を追う。


 ——そこで、終わっていた。


 方角が乗らない。隔たりも乗らない。この一体は、誰からも渡されていなかった。自分の目でこちらを見て、知った一体だ。


(……いた)


 それだけだった。ひと月探していたものが、下絵の上の一点として乗っている。ほかには、何も起きなかった。


 視界の端が、白く滲み始めていた。


 『空識』の狙いを、その一体へ絞った。輪郭だけだった影に、中身が乗る。


 左の肩から前腕にかけて、毛が抜けていた。抜けた下の皮が引き攣(つ)れて、歪(ゆが)んだまま固まっている。


 『空識』の狙いを後ろの三つへ移していく。どれにも、これといった特徴は無い。


 いつの傷かは分からなかった。自分の弾かもしれないし、ほかの魔物の牙(きば)かもしれない。


 見えているのに、見分けられない。ひと月、そこで止まっていた。下絵は毎日このあたりを映していながら、コボルトの形までしか返さなかった。どれへ狙いを絞ればいいかを先に教えたのは、『冥識』だった。


 いま、見分けている。


 リナムーアは膝を落としたまま、動かなかった。


 倒すなら、この一体を一発目で、見られずに止めなければならない。外せば、この一体は逃げて、どこへ行ったのか分からなくなる。倒すところを後ろの三つに見られれば、こちらをその目で覚えたものが、また生まれる。どちらになっても、ひと月がまた始めからになる。


 視界の端は、まだ滲んでいた。瞬きをしても、白いものが寄ったまま取れない。この目で、四つのうちの一つへ外さずに入れられるとは言えなかった。


 明日も、ここにいるとは限らない。それでも、肩の毛の抜けた跡で見分けられる。どの群れからでも、冥線を遡れば辿り着ける。探し直すのに、一日あれば足りるだろう。今、無理をすべきではない。


 リナムーアは、下絵の中の位置を覚えた。倒木が二本、根のほうを重ねて倒れている。その表側に、背の低い岩が一つある。


 先頭の一体が首を回し、四つは同じ間のまま日陰側へ歩き出した。


 リナムーアは膝を伸ばして、表へ戻った。


 ▽ ▽ ▽


 その夜、訓練場の四隅の柱に灯りが入ったところで、リナムーアはサリナの前に立った。サリナは、木剣(ぼっけん)を武器掛けから取ったところだった。


「サリナ。報告があります」


 サリナは木剣を下ろした。


「聞くわ」

「見つけました」


 サリナの手が、一度止まった。


「……この前、灯りの外で数えていたものね」

「はい」


 どうやって見つけたのかは、聞かれなかった。


「浅層の境から、奥の日陰側へ寄ったあたりです。倒木が二本、根のほうを重ねて倒れていて、その表側に背の低い岩があります。そこにいた四体の群れの、先頭でした。左の肩から前腕にかけて、毛が抜けています。ほかの三体には、ありません」


 サリナは頷(うなず)いた。


「明日、倒します」


 サリナは、こちらの目を見た。


「前に置いた条件は、そのままよ」

「はい。群れは一つまで。仲間を呼ぶ声が上がったら、その場で浅層の境を跨ぎます」

「ええ」


 それから、サリナは少し黙った。


「……私が、一緒に行きましょうか」


 リナムーアは顔を上げた。


 この人が森へ付いて来ると言ったのは、初めてだった。この人の腕なら、コボルトの四体など数のうちにも入らない。


 それでも、答えは決まっていた。


「ありがとうございます。……でも、一人で行きます」


 サリナの眉(まゆ)が、わずかに寄った。


「あの一体を残したのは、わたしです。三人を連れて戻った日に、数え残しました。だから、わたしが片付けます」


 サリナは、しばらく答えなかった。灯りの下で、木剣の柄(つか)の先を指で一度撫(な)でる。


「……そう」


 それ以上は、言わなかった。


 打ち合いは、いつもより短く終わった。リナムーアは木剣を武器掛けへ戻して、頭を下げた。


 訓練場の端へは、今夜は歩かなかった。灯りの外の暗がりを背にして、そのまま食堂へ回った。


 食堂の長机は、夕食どきを過ぎて人がまばらになっていた。


 リナムーアは椀(わん)を五杯空けて、六杯目をもらいに立った。


 炊き場の者が杓(しゃく)を止めて、一度こちらを見た。それから何も言わずに、椀へ注いだ。


 長机へ戻って椀を置くと、木の底が板に当たって短く鳴った。湯気は、まだ立っていた。


 リナムーアは、匙(さじ)を取った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。