↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/50

第36話 暗がり(くらがり)

 門灯が点ってしばらくすると、訓練場(くんれんじょう)の四隅の柱に灯りが入る。サリナが受付の帳面を閉じて下りていくと、リナムーアはいつも先に来て待っていた。


 サリナは壁際の武器掛けから木剣(ぼっけん)を二本抜き、短いほうを渡した。


 その一本は、サリナが自分で削(けず)ったものである。リナムーアが背負う剣と同じ長さに揃え、重さも手で確かめながら近づけてあった。葉を切る鉄のナイフしか持たなかったころの打ち合いとは、稽古の中身が変わっている。いまは、背の剣をどう扱うかを確かめる時間だった。


 リナムーアは木剣を背の入れ物へ上から落とし込み、留め金を閉じた。


「いつでもいいわ」

「はい」


 小さな右手が、肩越しに上がった。柄(つか)を握って前へ引くと、留め金が続けて外れ、合わせ目が開いて木剣が横へ抜ける。手が柄に触れてから切っ先が前を向くまで、どこにも引っかかりが無かった。


 振り下ろした木剣が、土の手前で止まる。そこから切り返して、同じ高さでもう一度止まった。戻すときも、上から落とし込んで留め金を閉じるまでが一息で済む。


 抜く、止める、戻す。どれにも、サリナが手を添えるところは残っていなかった。直すところを探して見ていても、見つからない夜が続いている。


「次は、打ち合いね」


 サリナは木剣を下ろしたまま、正面に立った。


 リナムーアが踏み込んでくる。速さだけなら、もう子供のものではない。サリナは一歩引いて斜めへ体を外し、振り下ろされた木剣の外側から、細い腕を軽く打った。


 三度繰り返して、三度とも同じところを打った。


 身体強化は、稽古を始めた晩に一段上げたきり変えていない。それで、まだ足りている。


「今夜は、ここまでにしましょう」

「はい」


 サリナは足元の土に目を落とした。


 小さな靴の跡が三つ、並んで付いている。踏み込んだ足のつま先が深く沈み、踵(かかと)のほうは浅い。


 この跡を、サリナは毎晩見てきた。稽古を始めたころは、晩ごとにわずかずつ前へ出ていった。剣に替わった直後には、間合いが変わったぶん、一度に大きく前へ移った。そこからまた少しずつ出ていくものと思っていた。


 跡は、ひと月前と同じところに付いている。


 前にも、似たことがあった。裏庭の走路で、走れる本数が三日で伸びて、そこで止まった。伸びが止まるのは悪いことじゃない、体のほうが追いつくのを待っているの、とあのときは言って聞かせた。言ったとおり、ほどなくまた伸びた。


 同じ言葉は、今度は出てこなかった。ひと月は、待っていればいいと言える長さではない。しかも、持つものが替わったばかりの体である。いちばん動いていいはずのときに、足だけが止まっている。


 理由を探しても、サリナの知っていることでは何も説明がつかなかった。


 リナムーアは木剣をサリナへ返すと、訓練場の端へ歩いていった。


 走路で止まったときでさえ、あと四本走らせてください、と食い下がった子である。今夜は、もう一本とは言わなかった。かといって、焦っている様子も無い。


 小さな背は、柱の灯りが届くところを過ぎて、木立(こだち)の手前で止まった。その先は、幹と夜の区別もつかない暗がりである。リナムーアはそちらへ顔を向けたまま、しばらく動かなかった。


 このところ、稽古の終わりには決まってこうしている。


 サリナは声を掛けなかった。木剣を二本とも武器掛けへ戻して、背が振り返るのを待った。


 やがてリナムーアは振り返り、頭を下げて、宿舎のほうへ戻っていった。


 ▽ ▽ ▽


 ギルド長室の窓は、もう暗かった。


 机の上に、紙の束が置かれている。ミオが窓口から運んできた、区域の書き付けだった。毎朝リナムーアが出していく一枚で、その日に入る区域と、使わない区域に印が付けてある。溜まった束は、指の幅ほどの厚みになっていた。


「ひと月になるな」


 オグマが、束の端を指で揃えた。サリナとミオは、机の手前に並んで立っている。


「書かせると決めたのは俺だ。書かせた以上、いざというときに役に立つかどうかは、確かめておかなきゃならん」


 オグマは、上から一枚ずつ机に並べていった。


 並べるたびに、使わない区域の印が違うところに付いている。日陰側に寄った日があり、浅層の境のすぐ近くまで下りてきた日があり、離れた二か所に印のある日もあった。


 十枚ほど並べたところで、オグマの手が止まった。


「一つところに居座る相手なら、紙の上で線を引いて囲っておけばいい。その内側には入らない。それで話は済む」


 太い指が、印から印へ移っていく。


「だが、これは毎日動いている。昨日引いた線は、今日はもう役に立たん。……動くものは、囲めん」


 オグマは並べた紙から顔を上げた。


「ミオ。怪我のほうは、どうだ」

「一度もありません」


 答えに、間は無かった。


「納品を受けるときに、袖から出た腕と、首のあたりを見ています。擦り傷もありません」


 ミオは、品を数えるより先に体を見る。浅層へ通うようになる前から変えていない手順で、そのミオが、一度も無いと言っている。


 サリナは、窓口の台帳の余白を思い浮かべた。依頼を受けずに倒した魔物を、ミオは欄の外へ横向きに書き入れている。コボルトの行は頁の端を縦に埋めるほどになっていた。


 額のほうは、取るに足りない。全部を足しても、ミド草の一日の納品に届かない。


 怖いのは、数のほうだった。前衛と弓を揃えた三人でさえ、浅層で怪我人を出している。同じ場所で、三つの子供が一人で群れを相手にし、擦り傷一つ無く戻ってくる。


 オグマはしばらく、並べた紙を眺めていた。


「あの子が探しているのは、あれだろう。忘れない一体だ」


 サリナは答えなかった。答えられるだけのことを、聞いていない。


 ただ、訓練場の端で暗がりへ顔を向けていた背中が、頭に浮かんだ。あの子が見ていたのは、木立ではないのかもしれない。そう考えれば、毎晩のことにも筋が通る。


 オグマは並べた紙を一枚ずつ重ねて、束に戻した。


「この紙は、あの子が戻らなかった日のために書かせている。子供が一人で浅層へ通っていると知っていて、毎日その納品を受けているのは、うちの支部だ。戻らなかったときに何も備えていなかったでは、済まん」


 声の調子は、さっきと変わらなかった。


「サリナ。この紙だけで、捜しに出られるか」


 サリナは束を見た。区域の印はある。だが、浅層の境から日陰側と日向側(ひなたがわ)へ広がる範囲は、印の付いた一つに絞っても、人を入れて歩かせれば一日では足りない。誰を出すのか。どこから入り、どこまで確かめて引き返すのか。そこは、どの紙にも書かれていない。


「足りません」

「なら、足りるようにしておいてくれ。誰を出し、どこから入って、どこで引き返すか。ほかの者が区域を届けてきたときにも、そのまま使える形でいい」

「分かりました」


 オグマは、それ以上は言わなかった。


 ミオが束を受け取って、胸の前に抱えた。


 ▽ ▽ ▽


 翌日の夜も、柱に灯りが入った。


 抜いて、止めて、戻す。打ち合いは三度で終わり、三度ともサリナの木剣が同じところを打った。リナムーアは木剣をサリナへ返すと、昨夜と同じように訓練場の端へ歩いていった。


 サリナは木剣を二本とも武器掛けへ戻してから、そのあとを追った。


 隣に並んでも、リナムーアは振り向かなかった。サリナも何も言わずに、同じほうへ目を向けた。


 灯りの届く縁の先には、木立が黒く重なっているだけだった。風が少しあって、どこかで葉の擦れる音がした。ほかには、何も無い。


 しばらくして、腰のあたりの高さから、小さな声がした。


「……数えています。まだ、見つからないものを」


 それきり、言葉は続かなかった。


 何を、とサリナは聞かなかった。聞かなくても、見当はついている。紙の上で、印を動かし続けているもの。昨夜、ギルド長が名指ししたものだ。


「そう」


 それだけを返した。


 リナムーアは、まだ暗がりのほうを向いている。


 やがて小さな背が向きを変え、頭を下げて、宿舎のほうへ戻っていった。


 サリナは、その場に残った。


 さっきまでリナムーアが見ていたほうへ、もう一度目を凝らす。灯りの縁で、木立の幹が途切れている。その先は、どれだけ見ていても、暗がりのままだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。