第3話 保護(ほご)
残された荷車を見つめるうちに、サリナの腹は決まった。
「ミオ!」
受付の奥へ声を上げると、すぐに廊下からミオが出てきた。
年は二十一。腰まで届く黒い髪に、新緑の色の瞳をしている。もとは冒険者で、いまはギルドの職員として納品の窓口を受け持っていた。サリナが何かを頼むとき、最初に名を呼ぶのはたいていミオだった。
ミオは荷車を覗き込み、そこで息を呑んだ。
「……この子が」
「斡旋の子よ。いま、手続きが済んだの」
サリナは荷台の脇へ回り、声を落とした。
「療養室をお願い。寝具と、肌に当たっても痛くない着る物。それから、温かい湯を。いきなり食べさせては駄目よ。最初は湯と塩だけにして、様子を見ながら少しずつ増やしていくわ」
「はい」
「それと、治癒魔法は使わないで。いまのこの子にかけたら、却って保たないわ」
ミオは頷き、荷台の前にしゃがみ込んだ。
「大丈夫。ここには、あなたを傷つける人はいません」
リナムーアは、ミオのほうへ目を動かした。けれど、その目には何も浮かばなかった。
ミオは荷台へ両手を差し入れ、リナムーアを抱き上げた。浮いた肋骨に指が当たらないよう、背と膝の裏に手を回す。思っていたよりずっと軽かったのだろう、ミオの眉が一瞬だけ寄った。布越しに伝わってくる身体は、ひやりと冷たかった。
「一緒に行きましょうね」
ミオはリナムーアを胸に抱えたまま、奥の廊下へ消えていった。
サリナは、その背が見えなくなるまで見送った。
(あの子の中には、何が残っているのかしら)
問いは、そこで止めておいた。先に済ませることがある。
▽ ▽ ▽
ギルド長室は、支部の一番奥にある。
厚い木の扉の向こうで、オグマは机の書類に目を通していた。年は四十七。百八十センチはある身長に、がっしりとした肩が乗っている。濃い灰色の短い髪の下で、同じ色の目が紙の上の数字を追っていた。
扉が叩かれた。
「ギルド長、お時間をいただけますか」
「サリナか。入ってくれ」
サリナは扉を閉めてから、机の前に立った。一度、短く息を整える。
「今朝、孤児院長が斡旋の子供を連れてきました。いまは療養室に移しています。三歳の女の子で、重度の栄養失調です。白い長い髪に赤い瞳という、かなり珍しい見た目をしています」
オグマの手が止まった。
「孤児院で虐待を受けていたのは、間違いありません。勝手ではありますが、受け入れの手続きは済ませました。手数料は二割の一万ムーアです。あの子の状態では、それ以上は見合いません」
「二割か」
オグマは紙を伏せ、椅子の背へ体を預けた。
「受け入れは、それでいい。あそこへ返すわけにもいかんだろう。手当てはどうしている」
「ミオに付かせています。体が治癒魔法に耐えられないと判断して、傷には魔法を掛けずにいます」
「なら、自然に戻るのを待つ形か。妥当だな」
「はい。それと、タレントの判定と魔力の測定をさせていただけますか。あの見た目です。珍しいタレントを持っているかもしれません。もしそうなら、育てるのもギルドの務めだと考えます」
オグマは少しのあいだ黙ってから、頷いた。
「やっておくべきだろう。判定は、今日のうちに済ませるか、せめて用意だけはしておいてくれ。結果を見て、この先を決める。それと、いまの状態は記録石に残しておけ」
「かしこまりました」
サリナが一礼して出ていくと、オグマはもう一度書類を表に返した。
紙の上の数字は、さっきと同じところで止まったままだった。目は文字を追っているのに、頭に入ってこない。オグマは小さく息を吐き、ペンを置いた。
▽ ▽ ▽
療養室は、支部の奥に並んだ小さな部屋の一つだった。寝台が一つと、手当ての道具を入れた棚が一つある。窓から入る光が、寝台の端まで届いていた。
リナムーアは、寝台の上で毛布に包まれていた。孤児院のワンピースは脱がされ、柔らかい白の肌着に替わっている。ミオは毛布をもう一枚重ね、端をリナムーアの肩の下へ折り込んだ。
「これを飲んで」
ミオは温かい湯の入った椀を手に、寝台の脇へ腰を下ろした。リナムーアの唇へ、椀の縁をそっと寄せる。
リナムーアは、少しずつ湯を飲んだ。ひと口ごとに、喉が小さく上下する。
「よく飲めましたね」
ミオは椀を下ろし、白い髪を指先で撫でた。髪の一本も引っ張らないような、ゆっくりとした手つきだった。
戸が開いて、サリナが入ってきた。手には、掌に乗るほどの石と、畳んだ紙を一枚持っている。
「どう?」
「落ち着いています。栄養の状態はひどく悪いですが、いますぐ危ないということはなさそうです。……このやつれ方で危なくないのが、不思議なくらいですけれど」
「分かったわ。先に、いまの状態を残しておくわね」
サリナは記録石をリナムーアの胸の上へかざし、魔力を流した。淡い光が、リナムーアの頭から足の先までをゆっくりと渡っていく。体の熱、脈の速さ、息の深さ、肉の付き方。光が通り過ぎたところから、石の中へ写し取られていった。
「次は、こっちね」
サリナは畳んだ紙を開いた。タレントの判定と魔力の測定に使う、測定記録用紙だった。紙の上に、細かな魔法陣が描かれていた。一枚で使える回数が限られ、値も安くはない。それでも、ギルドで判定をするときには必ずこれを使う。
「リナムーア。あなたのタレントと魔力を測るわね。痛いことは何も無いから、そのままでいて」
リナムーアは、何も答えなかった。
サリナが測定記録用紙をリナムーアの胸の前へ置き、魔力を流した。魔法陣に光が走り、そこから立ち上がった光がリナムーアの身体を包む。赤、青、緑、黄、紫。色が次々に移り変わっては消えていった。
やがて、光が止んだ。
サリナは紙を取り上げた。魔法陣の脇の欄は、何も書かれていなかった。魔力の量も、タレントの名も、一文字も浮かんでいない。
ミオが、サリナの手元を覗き込んで黙った。
(あれだけの見た目なら、何かあると思ったのに……)
白い髪、赤い瞳。そして、魔力もタレントも無い。孤児院長が並べ立てたことのうち、魔力とタレントの話だけは本当だったことになる。
サリナは、寝台のリナムーアを見下ろした。
孤児院長は、この子を幽鬼のようだと言った。確かにいまのこの子は、何も映さない目で天井を見ている。けれど、その顔を作ったのは食べさせてもらえなかった三年のほうだ。生まれつきのものではない。
では、なぜ食べさせてもらえなかったのか。
序理創神教の名が、頭に浮かんだ。孤児院長の言い回しをどこで聞いたのか、ようやく分かった。あの教えでは、白い髪と赤い瞳は創造神の名を汚す穢れとされている。そして孤児院長は、序理創神教の信者だった。
(……見た目だけで、ここまでしたのね)
ミオは何も言わなかった。けれど、測定記録用紙とリナムーアの髪を見比べる目は、サリナと同じところへ行き着いていた。
戸口に、大きな影が差した。
「ギルド長」
サリナが振り返ると、オグマは寝台のリナムーアへ一度目をやってから、サリナのほうを向いた。
「どうだ」
サリナは、測定記録用紙を差し出した。オグマは紙を受け取り、空白の欄に目を落とした。
「何も記されていないようだが」
「はい。魔力も、タレントも、反応がありませんでした」
「そうか」
オグマは紙をサリナへ返し、寝台の脇まで歩いた。大きな体を折って、リナムーアと目の高さを合わせる。
「リナムーア。お前は今日から、冒険者ギルドの保護下に入る。この先のことは、お前の体が戻ってから、お前の考えを聞いたうえで決めよう」
リナムーアの赤い瞳は、オグマの顔へ向いたまま動かなかった。
オグマは立ち上がり、黙って部屋を出ていった。ミオが椀に湯を注ぎ足す。椀から上がった湯気が、窓の光の中で細くほどけていった。




