第2話 斡旋(あっせん)
荷車が止まった。
荷台に寝かされたまま、リナムーアは目だけを動かした。真上に、石造りの建物がそびえている。三階か、四階はありそうだった。入口の上に古い看板が掛かっていて、朝日がその縁を白く光らせていた。
(……冒険者ギルド、か)
孤児院からここまで、職員たちが代わる代わる荷車を押してきた。古い荷車だった。荷台の板は節のところから腐りかけ、車輪の輪には錆が浮いている。側面に描かれた孤児院の紋だけが、妙に新しかった。
押していた職員たちは、荷車の周りで肩を回していた。荷を運び終えた顔だった。誰も荷台の中を見ようとしない。
リナムーアは、自分の腕へ目を落とした。くすんだ白のワンピースの袖から、棒のような腕が出ている。何度も洗われた布は色が抜け、あちこちに小さな穴と継ぎ当てがあった。足先に引っかかっている靴は、片方の踵がすり減って、ほとんど無くなっている。
腕の皮膚には、擦り傷と痣が重なっていた。そのうちのいくつかは、まだ膿んでいる。
指を握ろうとした。指は、少し曲がっただけだった。
荷台の脇で、孤児院長がぶつぶつと何かを呟いていた。
「ったく、こんなゴミのために手間をかけさせられるとは。せめて多少でも値がついてくれよ……」
(値段の話か)
腹は立った。けれど、腹を立てるのにも力が要る。リナムーアは目を閉じて、その力を使わずにおいた。
▽ ▽ ▽
冒険者ギルドの入口を抜けると、天井の高いホールが広がっている。
左右の壁に沿って窓口が並び、台の向こうにはそれぞれ職員が座っていた。依頼を受ける者、獲物を納める者、金を預ける者が、窓口ごとに列を作っている。朝のホールは、話し声と足音でいつも騒がしかった。
窓口の列から離れた正面の奥に、受付の机がある。後ろの壁は一面が書類の棚で、綴じた紙の束が隙間なく並んでいた。
その机で、サリナは書類に目を通していた。
年は十八。淡い茶色の髪は頭の後ろの高いところで一つに束ね、尾のように垂らしている。下ろした前髪は薄く、毛のあいだから額が覗いている。肩書きは副ギルド長だが、ふだんの居場所はこの受付の机だった。
入口の戸が開く音に、サリナは顔を上げた。
入ってきたのは、見覚えのある年配の男だった。黒い上衣の前へ腹が突き出ている。孤児院長だ。後ろに孤児院の職員を数人連れ、職員たちは一台の荷車を押していた。
孤児院長は、毎年この時期になると何かしら理由をつけてギルドに現れる。そのたびに孤児院の什器や備品を引き取らせ、孤児院の厄介ごとを置いていく。サリナがこの来客を迎えるのは二度目だったが、一度目で十分だった。
サリナは書類を置き、仕事の笑みを作って立ち上がった。
「いらっしゃいませ」
孤児院長は挨拶を返さないまま、机の前で足を止めた。職員たちも、荷車を押したまま止まる。
サリナの目は、孤児院長の肩越しに荷車へ移った。
荷台に、小さな女の子が横たわっていた。
白い長い髪に、赤い瞳。顔立ちは整っていた。けれど、その顔は頬骨の形が分かるほど肉が落ち、目ばかりが大きく見える。薄いワンピースの胸には肋骨の段が浮き、腕は大人の指で輪が作れそうなほど細かった。皮膚は擦り傷と痣だらけで、いくつかは膿んでいる。
サリナの眉が寄った。
一日や二日で、こうはならない。何か月もかけて、少しずつ削られた身体だった。
「ああ、こちらが今回の斡旋の子です」
サリナの顔つきを見て、孤児院長は勝手に頷いた。
「名をリナムーアと言いますが、創造神の名を冠する不遜な名前です。それに、白い髪に赤い瞳。まるで幽鬼のようではありませんか、汚らわしい。魔力は無く、タレントも無い。生きていること自体が罪のような子です。ですが、贖罪の機会くらいは与えるべきだと考え、こちらへの斡旋を決めました」
孤児院長の声に、迷いは少しも無かった。自分の言っていることを、本心から信じている声だった。
サリナは答えず、もう一度荷台を見た。
女の子の顔には、何も浮かんでいなかった。目の前で罪だと言われても、眉一つ動かない。泣きもせず、怯えもせず、ただ天井のほうへ目を向けている。
(白い髪と赤い瞳が、汚らわしい……。創造神の名を持ち出すあの言い方は、どこかで聞いた覚えがある)
どこで聞いたのかは、すぐには出てこなかった。サリナはそれを胸の内に留めた。いまは手続きが先だ。
「かしこまりました。斡旋の手数料ですが、こちらからお支払いする額は、通常ですと五万ムーアになりますが……」
斡旋の契約書を手元へ引き寄せながら、サリナは頭の中で勘定をした。
斡旋で人を受け入れるとき、支部は送り出した側へ手数料を払う。受け入れた者を、いずれ冒険者として働かせる見込みに払う金だ。
あの身体が働けるようになるまで、何か月かかるか分からない。そのあいだの食べ物も、着る物も、手当ても支部の持ち出しになる。膿んだ傷から病をもらえば、治癒魔法の使える者の手まで割かれる。
五万ムーアでは、とても見合わなかった。
「……ただ、今回は事情が違うと考えます」
サリナは書類から目を上げ、孤児院長へ向き直った。
「重度の栄養失調です。それも、いちばん重い型です。回復には恐らく数か月かかるでしょう。その間の食料、衣料、医療。それに皮膚の状態からすると、傷から悪い病をもらうおそれも高い。手当ての心得がある者が、続けて診なければなりません」
孤児院長の顎の肉が、わずかに揺れた。
「通常の斡旋とは比べものにならない負担が、こちらにかかります。大変恐れ入りますが、本件に関しましては、手数料を二割——一万ムーアとさせていただきます」
交渉の形を取ってはいたが、サリナは数字を動かすつもりがなかった。
孤児院長の薄い唇が、一度だけ歪んだ。荷台の女の子を見て、それからサリナを見た。
「……良いでしょう。その額でお願いします」
声に不満はにじんでいたが、言い返しはしなかった。値の付かないはずのものに、値が付いた。孤児院長にとっては、それで足りたらしい。
「では、こちらに署名をお願いします」
サリナは契約書とペンを差し出した。孤児院長は受け取ると、紙の上で手首を大きく動かした。崩れた字が、署名の欄からはみ出しかけている。
ペンを机に置くと、孤児院長は顔を上げた。
「契約が成立したので、これはそちらの管理下に入ります。失礼する」
それだけ言って、孤児院長は背を向けた。職員たちが慌てて荷車から手を離し、その後に続く。誰も振り返らなかった。
入口の戸が閉まった。
ホールの話し声が、少しずつ元の大きさに戻っていく。窓口の列が一つ進み、誰かが笑った。
受付の机の前には、古い荷車だけが残っていた。荷台の上で、白い髪が板の継ぎ目に沿って広がっている。赤い瞳は、さっきと同じところを見たまま動かなかった。




