第1話 転生(てんせい)
暗い部屋の中で、動いているのはモニターの光だけだった。
草薙賢悟は、発売されたばかりのゲームを、日付が変わる前から続けていた。マウスを握る指の関節が強張っている。目の下の隈は、ここ何年か消えたことがない。
四十二歳で、独り身だった。仕事はシステムエンジニアで、給料は悪くない。人付き合いは薄く、家に帰ってからの時間は全部自分のものになった。ゲームとアニメと漫画とライトノベルがあれば、不満の大半はどこかへ行った。
仕事を軽く見ていたわけではない。案件の業種が替わるたびに、その分野の専門書を買い込んで読んだ。工場の制御、病院の診療記録、農場の管理。気がつけば電気の配線図も医療の用語も、その道の本職と同じ言葉で話せるようになっていた。
身体のほうは、とうに音を上げていた。食事は気が向いたときに腹へ詰め込み、眠るのはやることが片付いてからだった。ここ数か月は、決まったように熱を出して寝込んでいる。医者へ行けば叱られると分かっていたから、行かなかった。
画面の中で、敵の体力がようやく半分を切った。
そこで、画面の端が滲んだ。
瞬きをしても戻らなかった。滲みは内側へ広がり、文字も光も一つの淡い塊になっていく。手から力が抜けた。腕が机の縁からずり落ち、引きずられたマウスがコードごと床へ落ちた。
立ち上がろうとしたが、脚に力が入らない。浮きかけた腰が横へ流れ、草薙賢悟は机の脇のベッドへ背中から倒れ込んだ。
天井は、もう見えなかった。モニターの光だけが遠ざかっていく。
それきり、何も分からなくなった。
▽ ▽ ▽
石造りの広間だった。天井は高く、壁という壁に細かな紋様が刻み込まれている。
床の中央に、大小の魔法陣がいくつも描かれていた。陣と陣は縁で繋がり、外側から中心へ段を作るように重なっている。紫と青の光がそれぞれの陣から立ち上がり、繋ぎ目で混じり合っては、また別の模様を描いた。
陣の外に、長衣の老人が立っていた。周りには、同じ長衣の者が数人控えている。
「魔力の充填、第三段階まで進行」
一人が声を上げると、陣の光がひときわ強くなった。
「陣の安定、良好です」
別の一人が、陣の縁に屈んだまま続けた。声は硬く、目は光から離れなかった。
広間の空気が震え始めた。陣の縁から風が起こり、長衣の裾を巻き上げる。風は少しずつ強まり、光と混じり合いながら、中心の一点へ吸い込まれていった。
光が、膨れ上がった。
収まったとき、陣の中心に男が一人倒れていた。見慣れない薄手の服を着て、目を閉じたまま動かない。草薙賢悟だった。
「対象者、確認」
老人は眉一つ動かさなかった。
「才能の判定を始めよ」
控えていた二人が、広間の脇から台を運んできた。台の上には、両腕で抱えるほどの透き通った石が据えてある。判定の魔道具だった。二人は台を男の傍らへ置き、石の面を男の胸へ向けた。広間は静まり返り、誰もが石の中へ目を凝らした。
石は曇ったまま、何も浮かべなかった。判定を受け持った一人が、石を覗き込んだまま口を開いた。
「……魔力が、計測できません。タレントの判定にも、応答がありません」
何人かが老人を振り返った。
老人は、しばらく倒れた男を見下ろしていた。
「魔力が計測できぬなら、タレントの判定もできぬ。魔力を持たぬ欠陥品だ。使い道が無い。破棄する」
声の調子は、最初の報告を受けたときと少しも変わらなかった。
「処分室へ運べ」
二人が男の肩と脚を抱え上げ、広間の奥の扉から運び出していった。暗い廊下に、足音だけが遠ざかっていく。
しばらくして、足音が戻ってきた。戻ってきた二人は、何も抱えていなかった。
▽ ▽ ▽
真っ白な光。それが、リナムーアの一番古い記憶だった。
光が消えると、冷たさが全身を包んだ。暗くて、狭かった。泣き声を上げたが、その声は自分の耳にも細く聞こえた。
それから、三年が経った。
孤児院の奥の、地下室とほとんど変わらない部屋で、リナムーアは三歳になっていた。身長は七十五センチほどで、一つの子供と並べても変わらない。腕も脚も、皮のすぐ下に骨があった。脂肪も筋肉も削げ落ち、身体が自分の肉を食いつぶしたあとの姿である。
白い髪と赤い瞳を持って孤児院へ来たこの子に、大人たちは初めから冷たかった。
「穢れた子」
「不吉な子」
「創造神の名を汚すもの」
孤児院長は、顔を合わせるたびにそう言った。ムーアは創造神の名である。その名を自分の名に入れている子供が、孤児院長には許せなかったらしい。ほかの職員も、孤児院長に倣った。
食事は、ほかの子供たちの半分にも届かなかった。懲罰だと言われて、何も口に入らない日が数日続くこともあった。
洗礼式の朝が来た。
洗礼式は、その年に三つになった子供がまとめて受ける。孤児院の子供たちも、儀式の間に並んで順に受けることになっていた。リナムーアだけが、その列から外された。穢れた子をほかの子供と一緒にはできない、というのが孤児院長の言い分だった。
リナムーアは木の荷車に乗せられて、儀式の間へ運ばれた。自分では歩けない。荷台の上で体を丸めたまま、車輪が軋むたびに頬が板にこすれた。
儀式の間では、聖堂から来た聖職者が待っていた。部屋の奥に台座があり、その上に何かが据えてある。荷台に寝かされたままでは、それが何なのかまでは見えなかった。
荷台の脇に、孤児院長が立った。黒い上衣の前へ腹が突き出ていて、荷台の上からは、垂れた頬を下から見上げる形になった。
「創造神の名を自分の名に入れるなど、何と不遜な。創造神の加護を盗もうとしたのだろう。おまけに、この白い髪に赤い目だ。本来なら、式を受けさせる値打ちも無い」
孤児院長は、聖職者にも聞こえる声で言った。
「だが、孤児院の務めだ。受けさせねばなるまい」
聖職者は何も答えなかった。荷車を台座の前まで寄せさせ、式を始めた。
光が、リナムーアを包んだ。
その光の中で、頭の奥に別の人生が開いた。
四十二年分の記憶だった。名前は草薙賢悟。システムエンジニア。夜中のモニターの光、指から抜けていく力、背中から倒れ込んだベッドの感触。順番も何もなく、すべてが一度に戻ってきた。
(何だ、これは……)
戻ってきたのは、記憶だけではなかった。
自分の中に、『自己認識』というタレントが芽生えている。タレントと同じ名の『自己認識』というスキルがあり、そこから『己識』というスキルが枝分かれしていた。
リナムーアは『己識』を発動した。
頭の中に、自分の状態が言葉になって一行ずつ並んだ。魔力の量は、ほとんど無い。けれど、無いのではなかった。ごく僅かな魔力が、確かに身体の中にある。
台座の前で、聖職者が眉を寄せていた。台座の上のものは、何も示さなかったらしい。聖職者は台座のほうへ手を伸ばしかけた。
「魔力が計測不可か」
孤児院長の大きな声が、その手を止めた。
「ならば、タレントの判定も不可能ということだ。この子は魔力を持たぬ欠陥品なのだ。タレント無し、魔力無し。本当に使えん子だな」
聖職者は、伸ばしかけた手を下ろした。
(ふざけんな! 言いたい放題言いやがって!)
怒りは、頭の中で煮え立つだけだった。腕は上がらず、指も動かない。三年のあいだ削られ続けた身体には、怒りを外へ出す力さえ残っていなかった。
(……体中が痛い。それに、動かない)
『己識』の返す身体の状態は、どこを取っても限界を越えていた。同時に、この三年の記憶が、前世の頭で一つずつ並べ直されていく。減らされた食事。何も口に入らなかった日。毎日のように浴びせられた言葉。どれも、孤児院長と職員たちの指図で行われていたことだった。
式が終わると、聖職者は一礼して儀式の間を出ていった。
孤児院長は、荷台の上のリナムーアを見下ろして鼻を鳴らした。
「どうせ、すぐに死ぬ。だが、ここで死なれては評判に関わる」
それから、後ろに控えていた職員を振り返った。
「これをどうする。何かあるか」
「院長。冒険者ギルドへ斡旋してはいかがでしょう」
職員の言葉に、孤児院長は顎を撫でた。
「ついでに斡旋料も手に入る、か。手間を掛けさせられたのだ。そのくらいの得はあってもいい」
孤児院長は荷台へ手を伸ばし、リナムーアの髪をざらりと撫でた。家畜の毛並みを確かめるような手つきだった。
「行くぞ。冒険者ギルドへ」
職員が荷車を押し始めた。車輪が軋み、荷台が揺れる。儀式の間の扉をくぐり、廊下を抜けて、荷車は孤児院の門を出た。
門の外の空は、高く晴れていた。リナムーアは荷台の板に頬を押し当てたまま、動かない指先に力を込めた。爪の先ほども動かなかった。それでも、込めるのをやめなかった。




