↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/49

第28話 囮(おとり)

 樹縁(じゅえん)をくぐってから、浅層の境までの道のりを、もうほとんど来ていた。


 『空識(くうしき)』の下絵(したえ)に入った三つの影は、その間ずっと、距離を保ちつつ付いてきていた。何らかの感知手段があるのだろう。手段はどうあれ、周りの状況を知ることができるのは、リナムーアだけの強みというわけではない。


(撒くだけなら、できる)


 外縁部(がいえんぶ)の地面は根と倒木で波打っている。下絵の動きを見る限り、三人はいまの速さにどうにか食らいついているだけだ。幹の間の狭い抜け道を選び、そこへ入って速さを上げれば、大人の体の大きさでは、付いてこられないはずだ。けれども撒いたところで、あの三人は引き返さない気がした。窓口で納得していなかった顔を、リナムーアは覚えている。


 走るうちに空は明るくなり、幹の輪郭がひとつずつ分かれていった。下草の丈が変わったのは、いつもと同じ頃合いだった。


 浅層(せんそう)の境の手前で、リナムーアは足を止めた。


 膝の高さの草が、十歩ほど先で一斉に途切れている。向こう側は丈の低い草が疎(まば)らに散るだけの地面で、木はひと回り太く、そのぶん本数が少ない。


 振り返って、待った。


 下草を割る音が三つぶん近づき、やがて革鎧(かわよろい)の胸当てが藪(やぶ)の間から出てきた。左腕に丸い盾を通し、腰に剣を提げたクレイルである。弓を背負ったハーゲンスと、荷を担いだノエが後に続き、ノエの背からは短槍(たんそう)の柄(え)が覗いていた。クレイルは肩で息をしながら足を止め、それからリナムーアが自分のほうを向いて立っているのに気づいて、わずかに顎(あご)を引いた。


「……待っていたのか」

「はい」


 ハーゲンスは背の弓を手に移し、矢筒(やづつ)の口を押さえていた。ノエは荷袋の紐を肩へ掛け直し、浅層の境の向こうへ目をやった。


「草が、変わった」

「ここが浅層の境です」


 リナムーアは言った。


「向こうは浅層です」

「分かってる」


 クレイルが一歩前へ出た。


「聞いて回ったが、誰も本当のところは知らなかった。図譜(ずふ)に書いてあることだけだ。……なら、見るしかない」

「見て、どうするのですか」

「あんたと同じ場所に立つ。それで同じだけ採れるなら、おれたちの計算が間違っていたというだけの話だ」


 リナムーアと同じ場所に立てるという前提が間違っているだけで、筋は通っていた。通っているからこそ、その前提が誤りである理由を話せないリナムーアには、返せる言葉が少なかった。


 リナムーアは息を一つ吸って、三人を見上げた。


「ここから先は、わたしと同じようには歩けません」


 ハーゲンスの目が細くなった。クレイルの眉が寄る。


「……それは、どういう意味だ」

「言葉のとおりです」

「おれたちには無理だと言っているのか。三つの子が、大人三人に」


 声に棘(とげ)が混じった。


「稼ぎ場を教えたくないなら、そう言えばいい」

「そうではありません」

「なら説明しろ。何がどう違う」


 説明はできなかった。できる形に直せば、嘘になる。


 ハーゲンスが弦(つる)へ指を掛けたまま、口を開いた。


「クレイル。今日は戻らないか」

「なぜだ」

「この子は、見ろとも来いとも言っていない。止めている。……独り占めが目当てなら、こんな止め方はしない」

「お前はいつもそうだ」


 クレイルは振り向きもしなかった。


「三分の一だぞ。おれたちは三人がかりで、三分の一も埋められなかった。それを毎日一人でやられて、何も確かめずに帰れるか」


 ハーゲンスは何か言いかけて、やめた。ノエは二人の間で、浅層の境のほうを見ているだけだった。


 リナムーアには、それ以上の手が無かった。三人はEで、自分もEだった。浅層へ入るのに支部の許しが要らない以上、この三人を止める資格はなかった。他の冒険者の後を付けるということ自体、諍(いさか)いになっても不思議ではないほどの、あまり行儀の良いことではなかったが。


「……分かりました」


 リナムーアは浅層の境のほうへ向き直った。


「わたしは、いつもどおりにします。ついてくるなら、わたしの足あとは辿(たど)らないでください」

「なぜだ」

「わたしが通れる場所と、みなさんが通れる場所は、同じではないからです」


 クレイルは答えなかった。


 リナムーアは浅層の境を跨いだ。足の裏へ、固い土が返った。


 ▽ ▽ ▽


 浅層では走らない。こちらから手を出さなければ、リナムーアは数には入らないが、例外が無いとも限らない。彼女は、自分にある盾を過信するつもりはなかった。


 見通しが利くぶん、走ればこちらも見られる。それに一体を避けて回り込めば、その先にまた一体いる。止まってやり過ごし、回り込む。その繰り返しが、結局は大人の歩く速さに落ち着く。


 リナムーアは、下絵で影を数えた。


 コボルトが四つ、奥の日陰側に固まっている。離れた場所に、もう一つ。小さいのが二つ、日向側(ひなたがわ)の低いところを動いている。そして、リナムーアの少し表側の位置に、人の影が三つ。


 下絵を探ると、十分も歩かない所にミド草の株を見つけた。リナムーアはその前にしゃがみ、根元に近い葉から順にナイフの刃を当てていく。一枚落とすたびに、下絵を読み直した。


 三人の動きは、間違っていなかった。


 藪から藪へ、身を低くして移る。ハーゲンスが先に周りを見て、それからクレイルが動き、最後にノエが荷を抱えて続く。一度に動くのは一人だけだった。隠れながら採るという、浅層の正しいやり方だ。


 間違っているのは、そこではない。


 三人はリナムーアの通った道筋を辿っていた。二十歩ほど遅れて、同じ幹の陰を使い、同じ窪(くぼ)みを跨いで進んでくる。安全な道だと思っているのだ。


(……あれは、道じゃない)


 彼女が群れを避ける手順は、群れの進路から離れるだけだ。相手の進路の外へ出て、群れが通り過ぎるのを待つ。それで済むのは向こうがこちらを数に入れないからであって、歩いた跡が安全だからではない。同じ場所を他の人が歩けば、そこは隠れる場所の無い、ただ開けた地面でしかない。


 リナムーアは立ち上がり、藪の縁まで二十歩戻った。


「そちらは、下草がありません」

「見れば分かる」

「見通しの利く場所です。向こうからも、同じだけ見えます」

「だから隠れている」


 クレイルは苛立(いらだ)ちを声に出さなかったが、目が動いた。


「先へ行け。邪魔だ」


 ハーゲンスが低い声で何か言い、クレイルがそれを片手で払った。リナムーアは口を閉じて、次の株へ歩いた。


 株を摘み始めて一時間あまり経った頃、下絵の日陰側の四つが動いた。


 群れは表(おもて)へ向かって、間を変えずに進んでくる。先頭が一体、その後ろに二体が横並び、最後の一体がさらに後ろ。リナムーアは葉を落とす手を止め、群れの進路から三十歩ほど外れた幹の陰へ移った。それだけだった。


 四体は四十メートルの向こうを横切っていった。先頭の一体が鼻をこちらへ向け、そして向け直した。


 息を詰めていたのは、後ろの三人のほうだった。


 やがて、風の切れ目にクレイルの声が届いた。


「……見たか。あの距離だぞ」

「見た」


 ノエの声だった。クレイルがすぐに続けた。


「隠れ方の問題だ。それだけだったんだ」


(違う)


 言いに戻ろうとして、足が止まった。戻って何を言うのか。隠れ方の問題ではないと言うなら、では何の問題なのかを言わなければならない。


 リナムーアは採集袋の口を押さえ、次の株の前へしゃがみ直した。


 ▽ ▽ ▽


 採集袋が半分ほど埋まった頃だった。


 群れが通り過ぎてから、三人はリナムーアの通った道筋を辿るのをやめていた。自分たちで株を探しながら日向側へ寄っていき、距離はいつの間にか開いている。


 下絵の日向側の縁から、新しい影が五つ入ってきた。


 固まってはいない。扇のように広がったまま、間を詰めて寄ってくる。先頭の一体が窪地(くぼち)の縁で止まり、鼻を上げた。残りの四体も、同じ位置で止まる。


 その扇の先に、三人がいた。


 三人は気づいていない。ハーゲンスは藪の中で膝をついたまま、群れの去った奥のほうだけを見ている。コボルトは横から来ていた。


 リナムーアが声を上げようと息を吸ったときには、五体が走り出していた。


 先に気づいたのはハーゲンスだった。弓が上がり、弦の鳴る音が短く響く。矢は先頭の一体の肩へ入ったが、足は止まらなかった。


「横だ! クレイル、横!」


 クレイルが藪から跳ね出し、体ごとぶつかるようにして盾で一体を受け止めた。ノエが荷を捨て、背の短槍を外して脇へ回る。


「二体、後ろへ回った」

「押さえろ!」


 三対五。前へ出たクレイルの背中側へ、二体が回り込んでいく。


 リナムーアは、助けに回るかどうか逡巡(しゅんじゅん)した。


 この場を離れれば、それで済む。歩いて浅層の境を跨ぎ、外縁部へ出て、魔境側の大門をくぐればいい。コボルトは彼女を数に入れない。今日も、明日も、そのあともだ。撃たなければ盾は消えない。採集袋は半分埋まっていて、門灯(もんとう)までにはまだ充分な時間がある。


 それは本当に、そこにある道だった。


(……わたしが、ここへ入るのを見せた)


 三人は、そのために来ている。


 リナムーアは立ち上がりながら、肩の採集袋を足元へ落とした。弾入れへ指を入れ、丸い弾を一つつまみ出した。


 走り込みながら革帯へ挟んで、頬(ほお)の横まで引く。『空識』が、クレイルの背へ回り込んだ一体の側頭部(そくとうぶ)までを二十二メートルと返した。弾の落ちる分だけ、狙いを耳の上へ置き直す。


 指を離した。


 短く鈍い音がして、犬の頭が横へ弾かれた。体は横倒しに崩れ、動かなくなった。


 その瞬間に、リナムーアの盾が消えた。


 ▽ ▽ ▽


 残る四体のうち、二体がリナムーアのほうへ顔を向けた。


 クレイルと組み合っていた一体までが、牙(きば)を剥(む)いたまま首を回す。その顔は、こちらへ向いたまま動かなかった。


 弾の数を、リナムーアは覚えていた。拾うのをやめてから、弾入れの中は十六のままだ。一つ使った。残りは十五。


(数えながら撃つ)


 走り続けた。止まればすぐに近づかれる。狙いの揺れが消えるところで放せばいい。訓練場で合わせた頃合いが、そのまま体に残っている。横へ流れながら帯を引き、『空識』の返す距離を頼りに狙いをつけて、指を離した。


 一発目、外れた。二発目、額(ひたい)に入った。


 十三。


 倒れた一体の上で、別の一体が吠えた。


 長く尾を引く声だった。遠吠えに応えるように、日陰側から影が四つ、下絵の縁へ揃って入ってきた。コボルトの形だった。四つとも、まっすぐこちらへ向かっている。


 一度こちらを数に入れた相手が、それを仲間へ伝えるのかどうか。ゴブリンを撃った日から、ずっと分からずにいたことだった。


(……伝えている)


 挟む。撃つ。外す。挟む。撃つ。当たる。


 十一。


 四つが、見る間に縁から内側へ詰めてきた。走り方は、先にこちらを数え直した群れと同じだった。


 背後でクレイルの盾が弾かれる音がした。振り返る余裕は無い。ハーゲンスの矢が二本続けて飛び、一本が一体の喉(のど)へ入って、もう一本は幹に刺さった。ノエの短槍が横薙ぎに一体の脚を払う。


 七。四。一。


 最後の一つを挟んで引いたとき、狙いの先にいた一体が横へ跳んだ。弾は空を抜け、後ろの幹を叩いた。


 弾入れの中で、指が底を撫(な)でた。


 リナムーアはスリングショットを腰の革ベルトへ差し、鉄のナイフを抜いた。


 葉を切るための刃だった。長さは掌(てのひら)に収まるほどしかなく、柄を握ると、刃先は拳(こぶし)一つ分だけ前へ出る。


 目の前の一体が沈んだ。


 サリナに教わったのは、速さではない。間合いだ。自分の腕の届く先と、相手の腕の届く先。その二本の線のあいだにある、大人の一歩ほどの帯。そこを越えなければ、何を振っても当たらない。しかし、いま握っている刃は、稽古の木剣よりずっと短い。より深く入る必要がある。


 踏み込んだ。届かなかった。


 振られた腕の下をくぐって抜け、三歩踏んで向き直る。爪(つめ)の切った風が、髪の上を通った。もう一度踏み込む。『空識』が、相手の踵(かかと)が浮くのを返した。下がる前触れだ。リナムーアは合わせて前へ出た。刃は膝(ひざ)の裏へ入り、浅く裂いただけで抜けた。


 倒れない。


 下がって、回り込んで、三度目でようやく膝が落ちた。落ちた頭が、ちょうど目の高さに来た。この刃で届くのは、骨に守られていないところだけだ。白目だけの目へ、刃を根元まで突き入れた。


 崩れる体の重さが、柄を握る手首へ返ってきた。


 背後で、短い声が上がった。


 クレイルの盾が地面に落ちていた。盾を持っていた左腕が、肘(ひじ)から手首までまっすぐに裂けている。革の籠手(こて)が布のように口を開き、その下が赤かった。飛びついた一体の横腹を、ノエが槍で刺し貫いている。


「立て。クレイル、立て」

「……立ってる」


 ハーゲンスの矢筒は、もう空だった。


 ▽ ▽ ▽


 地面が揺れた。


 一歩ごとに乾いた土が跳ね、踏まれた草が起き上がらない。木の間から出てきたものは、背丈だけならハーゲンスと変わらなかった。幅と厚みは、その倍あった。猪(いのしし)の頭が、こちらを向いている。


 生き残っていた一体のコボルトが、そちらへ一度顔を向けて、藪へ消えた。


 オークの小さな目が、地面を舐(な)めるように動いて、クレイルの上で止まった。


 弾は無い。刃は葉を切るためのもので、あの腕は、自分の胴ほどの太さがある。剣は、まだ持っていない。


 倒す手立ては、一つも無かった。


 三人は動けない。クレイルは左腕を押さえて膝をついている。ハーゲンスは腿(もも)から血を流し、ノエはその二人を起こすだけで手が塞がっていた。担ぐことも、肩を貸すこともできない。リナムーアの肩は、大人の腰にも届かない。


 残っている手は、一つだけだった。


(……当てれば、こちらを向く)


 盾があるあいだ、魔物はこちらを数に入れない。それでも、打ちかかってくるものを放っておく獣はいない。


 リナムーアは足元の石を拾った。丸くもなければ、弾に使える大きさでもない。それを振りかぶって、猪の頭へ投げつけた。


 音は鈍かった。傷にはならなかっただろう。


 小さな目が、クレイルから離れてこちらを向いた。


「こっちです」


 言葉が通じるとは思っていなかった。それでも、声は出した。


 オークが向きを変えた。


 走った。


 浅層では走らない、と決めてあった。見られないためだった。いまは、見られるために走っている。


 背後で重い足音が土を叩いた。速い。人が走るより、ずっと速い。それでも、リナムーアのほうが速かった。


 幹を三本挟んで折れ、窪地の縁を回り、下絵の中で足音との間を測る。三十メートル。五十メートル。八十メートル。百メートルの縁へ届いたところで、影は下絵から出た。


 そこから百を数えてから、大きく弧(こ)を描いて戻った。


 戻る途中、採集袋の落ちた場所を通った。口が開いて、中身は踏み荒らされていた。厚い葉が土に混じり、半分は潰れている。リナムーアは空になった採集袋を畳み、胸に抱えた。


 三人のところへ着いたとき、ノエがクレイルを立たせているところだった。ハーゲンスは弓を杖(つえ)にして、片脚で体を支えている。


「……あんた」


 クレイルが何か言いかけた。


「まだです」


 リナムーアは浅層の境のほうを指した。


「群れが、まだ残っています。外縁部まで出ます」

「歩ける」


 ノエが短く言って、クレイルの右腕を自分の肩へ回した。


 浅層の境までは、歩いて二十分ほどの距離だった。その二十分を、四人は一時間近くかけて進んだ。


 リナムーアは先を歩き、下絵の縁まで影を数え続けた。二度、道を変えた。一度は群れの進路を避けるためで、もう一度は、開けた地面を通らせないためだった。


 下草が戻ってきた。


 膝の高さの草が、十歩ほど先で一斉に立ち上がっている。リナムーアは浅層の境を跨いだ。


 足の裏へ、柔らかい土が返ってきた。腐葉土(ふようど)が沈んで、靴を受け止める。


 後ろで、三つぶんの足音が浅層の境を越えた。誰も何も言わなかった。荒い息だけが、三つ、落ち葉の上へ落ちていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。