第27話 三人組(さんにんぐみ)
あれから十日が過ぎた。その日も、浅層の境に着いたのは、夜がすっかり明けてからだった。
浅層の境を跨ぐ前に、『空識』の下絵に乗った影を数え、その日の道筋を決めた。
葉の厚みの内側に細い管が網のように走っていれば、それがミド草だった。そうでなければ通り過ぎる。
採集袋の口が閉まらなくなったのは、昼を少し回った頃だった。
魔境側の大門をくぐったとき、門灯まではまだ間があった。
納品窓口では、ミオが今日も四千ムーアを預け入れへ足した。
ホールを抜けようとしたとき、正面の柱のそばに見慣れない背中があった。
冒険者の身なりではない。革でも鎧でもなく、灰色の上衣の裾が膝まで落ちている。腰に下がっているのは武器ではなく、書き板と、ペンを差した筒だった。男は受付のほうを見たまま動かず、掲示板の前で声を飛ばしている冒険者たちには一度も目を向けなかった。
リナムーアはその横を通り過ぎ、宿舎へ戻った。
▽ ▽ ▽
翌日、採集袋を下ろした背中へ足音が三つ寄ってきた。
「あんたが、毎日ミド草を入れてる子か」
振り返ると、革鎧の胸当てを着けた男が立っていた。歳は二十代の半ばほどで、肩の幅が広く、胸にも厚みがある。後ろに二人。片方は背の高い痩せた男で、弓と矢筒を背負っていた。もう片方は女で、荷袋を肩から斜めに掛けたまま、何も言わずに立っている。
「はい」
「『戦士』のクレイルだ。こっちが『狩人』のハーゲンスと、ノエ。聞きたいことがある」
冒険者は名乗りにタレントを添えることが多い。ホールでは毎日のように耳にする言い方だった。三つ並んだ名のうち、女の名にだけ何も付いていなかった。
ミオが、採集袋の紐へ掛けた手を止めて顔を上げた。
「窓口です。納品の邪魔になります」
「長くはかからない」
クレイルはリナムーアのほうへ顎を引いた。
「おれたちは三人で、大きいほうの採集袋を借りた。外縁部で、門灯ぎりぎりまで粘った。埋まったのは三分の一にも届かなかった」
「……はい」
「あれはボド草の話だ。ミド草はもっと奥にしか生えない。外縁部より危険な魔物がいる場所だ。それを、あんたは一人で、毎日一杯にして担いでくる」
声は荒げていなかった。言葉を選んで、順に並べている話し方だった。
「信じないと言ってるんじゃない。計算が合わないんだ。誰に採ってもらった。どこで受け取った」
ハーゲンスが眉を寄せて一歩出た。
「クレイル。そこまでだ」
「聞いてるだけだ」
ミオが台帳の向きを変え、窓口の台の上で三人のほうへ押し出した。
「記録はここにあります。日付と、納めた数と、払った額です。ひと月と十日、一日も空いていません」
「一日も、か」
「はい。外れた葉は、一枚もありません」
クレイルの眉が動いたのは、そのときだった。
「……それだ。おかしいのはそこだ」
男は台帳の行を指でなぞってから、顔を上げた。
「図譜には見分け方が書いてない。判別機にかけるまで分からないと書いてある。それを採集袋一杯ぶん、一枚も外さずに摘んでくる採り方があるなら、教えてくれ。おれたちも同じようにやる」
リナムーアは男の目を見返した。嘘をつく気は無かったし、つく必要も無い。ただ、言えることは決まっていた。
「浅層の境から三十分の内側で、自分で採っています」
「……それだけか」
「それだけです」
クレイルは短く息を吐いた。納得した音ではなかった。
隣の窓口で毛皮の束を出していたドルグが、こちらへ首を向けた。
「クレイル。人の採り方を、窓口で聞き出すもんじゃねえ」
「……分かってる」
「分かってるなら、そこまでだ。窓口を止めているのは、お前らのほうだ」
ドルグはそれだけ言って、毛皮のほうへ顔を戻した。クレイルは首の後ろを掻き、それから台帳へもう一度目を落とした。
「……邪魔をした」
そこで、ノエが初めて口を開いた。
「門を出るのも、入るのも、一人だった」
「見ていたのか」
「昨日と、今朝」
クレイルは女のほうを見て、それから何も言わずに背を向けた。
最後に離れたのはノエだった。女は去り際に、リナムーアの靴と、下ろされた採集袋の高さと、肩の位置とを順に見た。それきり何も言わなかった。
▽ ▽ ▽
ホールの隅、宿舎へ抜ける戸の手前に、灰色の上衣の男が立っていた。
「リナムーア様で、お間違いありませんか」
昨日、柱のそばに立っていた男だった。近くで見ると、髪も髭もきちんと刈り込まれていて、袖口の汚れが一つも無い。
「はい」
「商業ギルドに籍を置いております、ゼルハイムと申します。薬種を扱っております」
男は腰を折り、子供の目の高さへ顔を下ろした。蔑む色も、哀れむ色も無かった。白い髪と赤い目を一度見て、それで終わりだった。
「ひと月あまり前から、薬師の手元へ回るミド草の量が変わりました。変わったのは量だけではありません。読めるようになったのです」
「……読める、ですか」
ゼルハイムは頷いた。
「薬の溶液には、新鮮な材料が必要です。その上、仕込むのに日数がかかります。途中で材料が切れれば、それまでの日数がまるごと無駄になります。ですから仕込みを始める日は、材料が確かに手に入ると分かっている日でなければなりません」
「はい」
「これまでミド草は、入る日と入らない日がありました。入る日でも、いくつ入るかは分かりませんでした。……毎日同じだけ入るというのは、ある日にまとめて倍入るより、ずっと値打ちがあるのです」
リナムーアは頭の中でその話を並べ直した。安定した供給が読めることの価値については、覚えのある考え方だった。予算という概念と同じだ。予算がなければ、計画など立てようがない。
「一つ、ご相談がございます。支部を通さず、わたくしへ直にお売りいただけませんか」
男はそこで一度、言葉を置いた。
「採集袋一つにつき、四千八百ムーア。数えるのも支払うのも、わたくしの手前で済ませます」
差し引きの勘定は、聞いたそばから済んでいた。支部へ納めるより、ひと月で二万四千ムーア多い。
「売りません」
ゼルハイムの瞼が、わずかに持ち上がった。
「額の問題でしたら、伺います」
「額の話ではないんです」
リナムーアは一度、ホールの奥を振り返った。窓口の向こうで、ミオがまだ台帳へ何か書き入れている。
「わたしは、あそこへ一万ムーアで引き取られました。それは孤児院に払われた分です。部屋も、朝と夜のご飯も、資料室も、教わっていることも、どこにも書いてありません。書いていない分のほうが、ずっと多いんです」
「……それは」
「採ったものをあそこへ納めるのは、決まりだからではありません。わたしの返し方が、それしかないからです」
男はしばらく黙っていた。それから体を起こし、腰の書き板へ手をやりかけて、やめた。
「なるほど。値段の付く話ではありませんでしたね」
「はい」
「商いの外の話でしたら、わたくしは引きます。無理に買った材料は、たいてい次の年に手に入りませんので」
ゼルハイムは一歩下がり、もう一度きちんと腰を折った。
「お引き止めしました。覚えておきます」
男は踵を返し、ホールを横切って表の扉へ向かった。歩く速さも、肩の高さも、来たときと何一つ変わっていなかった。
▽ ▽ ▽
それから三日が過ぎた夕方、ギルド長室の窓には外周壁の影が長く落ちていた。
「薬種の仲買いが、あの子へ直に声を掛けたか」
オグマは椅子の背へ体を預けたまま、机の向こうの二人を見た。サリナが頷く。
「三日前です。断ったそうです。本人が話してくれました。……理由は、額ではありませんでした」
「理由まで話したか」
「はい。帳簿に書いていない分のほうが多い、と」
オグマは喉の奥で短い音を立てた。笑ったようにも、呻いたようにも聞こえた。
「値で動かんのなら、次に来るのは値の話をしない相手だ」
サリナが首を振った。
「そちらは、まだ来ておりません」
ミオが台帳を胸の前で抱えたまま、口を開いた。
「ですが、別の話が一つあります。同じ日に窓口へ来た三人です。あれから食堂と掲示板の前で、浅層のことを聞いて回っています。浅層の境までの道筋、コボルトの出方、ミド草の生える場所です」
「聞いて回るだけならな」
「今朝、資料室の閲覧を求めたそうです。三人ともEですので、断る理由がありませんでした」
サリナが窓の桟へ手を置いた。
「止められますか」
「止められん」
オグマは即答した。
「掲示板の貼り紙は、Eなら誰でも読める。浅層へ入るのも、Eなら支部の許しは要らん。止めるには規則の側に理由が要る。うちにはそれが無い」
「あの三人が入って、あの子と同じ場所に立ったら」
「同じようには立てんだろうな」
オグマは机の端の紙束を指で押さえた。登録の控えと、監査の控えと、稼ぎの締めが重ねてある。
「見られて困ることは、あの子はしていない。困るのは、真似をされることだ。……真似ができる相手なら、そもそも聞きに来ん」
サリナは窓の外から目を離さなかった。
「以前、この部屋で仰いましたね。そのうち、誰かが見に来る、と」
「言ったな」
「来たのは本部でした。今度は商業ギルドです」
「次がどこかは知らん」
オグマは紙束から指を離した。
「本部の男は、次に来る頃にはもっと面白いことになっていると言って帰った。……面白がれるのは、余所から見ている者だけだ」
ミオは台帳を開き、四千という数字の並んだ行の、いちばん下を指で押さえた。
「四半期の締めには、この数字がそのまま並びます」
誰も、その先を言わなかった。窓の外で門灯が点り、石の壁に橙色の縁が回った。
▽ ▽ ▽
翌朝、リナムーアは星の残るうちに草原を渡り、樹縁をくぐった。
林床の落ち葉が靴の下で沈む。外縁部は暗く、木々の間はまだ灰色にもなっていない。百メートルまで届く下絵で幹の並びを拾いながら、いつもの道筋へ足を向けた。
下絵の内側へ、影が三つ入ってきた。
人の形だった。大人の背丈で、上下の揺れも足の運びも人のものだった。三つとも走っていた。互いに間を詰めず、離れもしない。リナムーアが速めれば同じだけ速め、幹の陰で止まれば止まった。
(……三つ)
浅層の境まで、あと一時間半あまりだった。
リナムーアは三つの影との間を下絵で測りながら、振り返らずに走り続けた。




