↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/53

第26話 浅層(せんそう)

 浅層(せんそう)の境を跨(また)いだ足の裏へ、土の固さがそのまま返ってきた。


 外縁部(がいえんぶ)の林床なら、踏めば落ち葉と腐葉土(ふようど)が沈んで靴を受け止める。こちらにはそれが無い。丈の低い草が疎(まば)らに生えた地面は乾いていて、靴底の下で小石が一つ転がった。


 リナムーアは二歩目を出す前に振り返った。浅層の境の手前では、見慣れた下草が膝の高さで揺れている。戻るならあそこだ。


 携帯時計を出して、針の位置を覚えた。長針が半周するぶん歩いたら、そこから奥へは入らない。


 百メートルの縁まで届く『空識(くうしき)』の下絵(したえ)を頼りに、幹から幹へと渡っていった。走りはしない。一本の陰で止まって下絵を数え直し、それから次の一本を選ぶ。昨夜サリナに告げたとおりの歩き方で、進む速さは大人の足と変わらなかった。


 十五分ほど進んだところで、下絵に影が一つ入った。


 人の形に近いが、人より小さい。上下の揺れが少なく、足の運びが速い。周りを探っても、ほかに影は無かった。一体きりだ。


 リナムーアは太い幹の陰へ寄って膝をついた。距離は六十メートルほど。奥の日陰側(ひかげがわ)から、斜めにこちらへ寄ってくる道筋を歩いている。目を据えると、犬の頭が木の間を横切るのが見えた。茶色の毛に、腰の黒い布。口の端からは、今日も涎(よだれ)が糸を引いていた。


(……一体。条件どおりだ)


 撃つ前に、戻る道を決める。来た道筋を逆に辿(たど)れば、幹の陰を三つ繋いで浅層の境へ出られる。途中の窪地(くぼち)は浅く、足を取られる根も無い。下絵の中で、その道筋に乗っている影は一つも無かった。


 今日まず確かめるのは、姿を見せてどうなるかではない。弾がこの相手を本当に止めるかどうかだ。止まらないのなら、ほかの何を確かめても意味が無い。


 コボルトは下草の薄い地面を、鼻先を少し上げて歩いていた。こちらへは顔を向けていない。リナムーアは腰の弾入れから丸い弾を一つ取り、革帯へ挟んで幹の陰から肩だけを出した。


 距離が二十メートルを切ったところで、帯を頬(ほお)の横まで引いた。『空識』が側頭部(そくとうぶ)までを十八メートルと返す。弾の落ちる分だけ、狙いを耳の上へ置き直した。


 指を離した。


 短く鈍い音がして、犬の頭が横へ弾かれた。体はよろめきもせずに、そのまま横倒しに崩れた。後ろ脚が一度だけ土を掻(か)いて、止まる。


 リナムーアは次の弾を挟んだまま、目をはなさなかった。起き上がらない。倒れた体の縁が煙の立つように崩れ始め、黒い霧に変わった端から薄れていく。腰の布も、顎(あご)を濡らしていた涎も、同じ黒さでほどけた。


 残ったのは灰色の粒魔石(つぶませき)が一つで、ゴブリンのものよりひと回り大きかった。


(止まる。……サリナの言ったとおりだ)


 粒魔石を拾って布に包み、腰の魔石入れへ落とした。携帯時計を見ると、浅層の境を跨いでからまだ二十分と経っていなかった。


 ▽ ▽ ▽


 二体目のコボルトも、一体きりで歩いていた。


 今度は隠れなかった。リナムーアは藪の陰から出て、相手の進路の十五メートル先に立った。下草の薄い地面には、身を隠すものが何も無い。向こうの目が通る筋の、ちょうど真ん中だった。


 犬の頭が、こちらへ向いた。


 そこで一度、鼻が動いた。濡れた鼻先が二度ひくつき、首がわずかにこちらへ傾く。


 それだけだった。顔はすぐに脇へ逸れ、足は止まらなかった。


(……嗅(か)いでは、いる)


 匂いは届いている。届いたうえで、放っておかれた。下見の日に四十メートル先で起きていたのも、たぶん同じことだ。


 五歩、前へ出た。靴底の下で小石が鳴る音に耳が動き、獣の生臭さがこちらまで届く。それでもコボルトは歩き続けた。横へ回り込み、進む先へ立つ。三歩の距離まで来て、ようやく足が止まった。唇(くちびる)がさらに捲(めく)れ、喉の奥で低く唸(うな)る。持ち上がった片手が、顔の前を横へ薙(な)いだ。


 リナムーアは後ろへ飛びのいた。伸びた爪(つめ)が空を切る。コボルトは払った先を確かめもせずに、向きを少し変えて歩き出した。


(ゴブリンと、同じだ)


 羽虫を払う手つきだった。鼻が利くぶん、ゴブリンより少し長くこちらを気にしていた。違いはそれだけだ。その一体は、撃たずに行かせた。


 残る確かめごとには、群れが要る。日が高くなりはじめた頃、下絵に三つの影が寄り合って入った。窪地の底で、三体が何かの骨を奪い合っている。サリナの条件は一体だった。ただし、確かめてからなら群れでいい。


 リナムーアは太い幹を背にして、窪地の縁から二十メートルの位置に着いた。三体とも、こちらが見える位置取りではない。背を向けていた一体の後頭部へ、弾を入れた。


 残る二体は跳ねるように振り返り、倒れた仲間へ飛びついた。それから二体とも鼻を上げ、空気を嗅ぎ分けるように顔を巡(めぐ)らせる。片方が、リナムーアの隠れている幹のほうへ三歩寄った。


 息を止めた。


 三歩で止まった。鼻先はこちらを向いたまま、しばらく揺れていた。やがてその一体は吠え声を一つ上げると、まるで見当違いの藪へ突っ込んで葉を撒(ま)き散らした。


(分かっていない)


 匂いは拾っている。けれどもその匂いが、仲間を倒したものと結びつかない。景色の匂いだからだ。


 リナムーアは幹の陰から出た。藪から戻ってきた一体の顔が、正面からこちらを向いた。やはり逸れた。逸れきる前に、その額へ弾を入れた。


 最後の一体の顔は、今度は逸れずに止まった。


 牙(きば)が剥(む)き出しになり、姿勢が低く沈む。出足はゴブリンよりずっと速く、彼我(ひが)の距離が見る間に縮んでいく。リナムーアは横へ走った。相手の進路と自分の進路が重ならない角度を付け、走りながら帯を引く。『空識』が十一メートルと返したところで、弾の着く先へ狙いを置いて指を離した。


 前へ伸びていた体が、勢いのまま地面を滑って止まった。


 粒魔石を三つ拾ってから、来た道のりを勘定し直した。浅層の境から三十分の内側を、まだ出ていなかった。


 オークを見つけたのは、浅層の境のほうへ戻りかけたときだった。下絵の端に、大きさの合わない影が一つ入った。周りに仲間はいない。リナムーアは近づかずに藪の陰から出て、五十メートル先の相手の目が通る場所へ立っただけだった。


 猪(いのしし)の頭がこちらを向いた。小さな目が顔の上を通り、そのまま流れていった。重い足音は間を変えずに続き、やがて幹の向こうへ消えた。


(手を出さなければ、ここでも景色だ)


 ▽ ▽ ▽


 下見の日に見つけた株は、もう同じ場所には無かった。魔境の草は、毎日生える場所を変える。分かっていたことなので、探し直すだけだった。


 下絵の百メートルの内側に、ハートを縦に潰したような形の葉を、茎から寸分違わぬ間隔で出している株がいくつも拾えた。


 ただし、その全てがミド草であるはずはなかった。


 図譜(ずふ)には、同じ姿の別の草が混じって生えると書いてあった。見分け方は書いていない。判別機(はんべつき)にかけるほかは無い、と一行あるだけだった。


 狙いを一株ずつ付けていく。葉の一枚ずつが、厚みを持った形で返ってきた。さらに絞り込むと、その厚みの内側まで分かれて感じ取れる。細い管が網のように走っている葉を持つ株と、中身の詰まり方が一様で何も走っていない葉を持つ株があった。薬になる葉なら、中に何かを持っているはずだ。網のあるほうが本物だろう。リナムーアはそう当たりをつけた。


 網のある株のほうへ寄り、しゃがんで目で確かめた。形は同じだった。指でつまんでも、違いは分からない。ナイフで一枚落として手に載せると、ボド草の葉よりずっと重かった。厚みが倍ほどある。


 ボド草の時と同じく、本物だと言えそうな株の数は少なかった。


(……外れのほうが多いのは、こっちも同じか)


 だが外れを見分けるのに、株の前まで歩く必要は無い。外縁部でやってきたことと、手順は何も変わらなかった。当たりの株だけを回り、葉を落として採集袋へ入れる。一株を刈り終えたら下絵を数え直し、次の当たりを選ぶ。


 その間に、下絵の中を影が何度も横切った。コボルトの四体の群れが、三十メートルほど先を通り過ぎていったこともある。リナムーアは葉を落とす手を止めて、群れの進路から離れた幹の陰へ移っただけだった。群れの先頭の一体がこちらへ鼻を向け、そして向け直した。


 採集袋を外縁部ではなくこちらで満たすのなら、外縁部でボド草を採っていたぶんの時間が、そのまま浅層の境の向こうで使える。浅層の境から三十分の内側だけで、当たりの株は途切れなかった。一枚が大きいぶん、採集袋は目に見えて膨らんでいく。


 採集袋の口が閉まらなくなったのは、日が傾きはじめた頃だった。


 リナムーアは口を麻紐で括り、背に担いだ。重さの感じは、ボド草の日と変わらない。浅層の境を跨いで外縁部の下草の中へ戻ると、足の裏がまた柔らかく沈んだ。


 ▽ ▽ ▽


 魔境側の大門をくぐったとき、門灯(もんとう)はまだ点っていなかった。


 ギルドの納品窓口には、ミオのほかにサリナがいた。窓口の脇の壁に背を預けて、腕を組んでいる。いつもなら日の高いうちに戻るリナムーアが、今日は夕方まで戻らなかった。三つの条件を付けて交戦を許した、その初日だった。


 リナムーアが採集袋を下ろすと、サリナは壁から背を離した。


「おかえりなさい。遅かったわね」

「ただいま戻りました。検証に、三時間使いました」


 ミオは何も言わずに、採集袋の口を解(ほど)いた。一枚をつまみ上げて、その手が止まる。濃い緑の、厚みのある葉だった。


「……ミド草ですね」

「はい。浅層の境から三十分の内側で採りました」


 ミオは中身を金属の盆(ぼん)へ空け、判別機へ流し込んだ。葉はすべて片側へ寄り、下の受け皿は最後まで空のままだった。秤(はかり)の針が止まるのを待って台帳へ書き付けてから、ミオは顔を上げた。


「……外れは一枚もありません。四千ムーアです」


 銀貨が四枚、窓口の台に並んだ。リナムーアはそこへ、布の包みを添えた。


「コボルトの魔石です。四つあります」

「……四つ」


 サリナの声が、少しだけ低くなった。開きかけた口を閉じて、ホールのほうへ目をやる。掲示板の前には、戻ったばかりの冒険者たちがまだ固まっていた。


「続きは、訓練場で」

「はい」


 ミオが包みを開き、灰色の粒魔石を一つずつ銀貨の横へ並べた。


「魔石が一つ二十ムーアで、討伐の報酬が三十ムーア。一体で五十ムーアです」


 ミオは粒魔石を台の内側の箱へ落とし、銀貨をそろえてリナムーアの前へ押し出した。それから台帳へ顔を戻しかけて、手を止めた。


「リナムーア。明日からの報酬は、ここで渡さずに、預け入れの額へそのまま足しておきましょうか」

「足しておく、ですか」

「毎日銀貨を受け取って、その足で預けに並び直すのは手間でしょう。納品のときにギルドカードを見せてもらえれば、台帳の記帳と一緒に済ませます」

「お願いします」


 ミオは頷いて、台帳の余白に小さく印を付けた。


 窓口の向こうの壁で、灯りがひとりでに点った。外で門灯が点る時刻だった。


 ▽ ▽ ▽


 その夜の訓練場には、サリナのほかにミオもいた。サリナは腕を組み、ミオは手控えを抱えて、柱の灯りの下に立っている。


 リナムーアが木剣を取る前に、サリナが窓口で止めた話を引き取った。


「一体よ、と言ったわね」

「一体目で、一発で止まるのを確かめました。二体目は撃っていません。目の前に立って、近づいて、進む先を塞ぎました。ゴブリンと同じでした。見て、嗅いで、それでも数に入れません。塞いだら払われて、払ったあとは忘れられました」

「群れは」

「三体です。隠れて一体撃つと、残りは匂いを嗅いで探しましたが、見当違いの藪を掻き回しただけでした。見えるところで一体撃つと、最後の一体はわたしを見て、走ってきました。それも一発です」


 サリナは組んでいた腕をほどいた。


「……確かめてから、なのね」

「はい。確かめてからです。帰りにオークにも、五十メートルの所で姿を見せました。近づいてはいません。あれも、目を通しただけで行ってしまいました」


 サリナは小さく息を吐いた。それきり、オークのことは何も言わなかった。


「報告が、もう一つあります」


 リナムーアは二人の顔を順に見た。


「明日からは、採るだけにします。撃つのは、必要な時だけにします」

「討伐は、しないのね」

「撃っても、採集袋一つのミド草には遠く届きません。……それに、撃てば盾が消えます。撃たなければ、あちらはわたしを数に入れません。わたしにとっては、採っているだけの方が危なくないんです」


 サリナは、すぐには答えなかった。


「考え方は間違っていないわ。他の薬草を採る人も、できるなら戦わずに採りたいのよ。でも隠れながら採るしかないの。それに、見つかれば襲われるし、襲われれば戦うしかない。採るだけにすると決めても、守れないのよ」

「わたしは、隠れなくていいので」

「……そうね。あなたは、決めた通りにできるのね」


 ミオが手控えから顔を上げた。


「では、手を出さなければ、盾になるのですね」

「なります。手を出さなければ、ですが」


 ミオはそれを聞いて、手控えに一行書き足した。


 サリナが一歩寄って、リナムーアの頭へ手を置いた。


「浅層の境から三十分、はそのままにするの?」

「はい。採集袋が埋まるのに、それより奥は要りませんでした」

「それなら、いいわ」


 サリナは手を離し、武器掛けから木剣を二本取った。


 ▽ ▽ ▽


 ひと月が過ぎると、朝の暗さが変わっていた。


 宿舎を出る刻限は後ろへずれ、夕方の門灯は早く点るようになった。それでも採取する時間は足りていた。採集袋の口は昼をいくらか回った頃に閉まり、門灯までには余裕を残して帰り着けた。


 窓口の台帳には、リナムーアの名の横に四千という数字が毎日並んだ。判別機の下の受け皿は、ひと月のあいだ一枚の葉も受けなかった。リナムーアが首から出したギルドカードを、ミオは確かめ、同じ数字を同じ字で書き、職員の棚から出した預け入れの帳面へ同じ額を足していく。窓口の台に銀貨が並ぶことは、もう無かった。


 腰の弾入れの弾は、ひと月前から数が変わっていない。帰り道に草原の窪みで拾っていたのは、使ったぶんを足すためだった。足す必要が無くなって、拾うのもやめた。


 その朝も、浅層の境の手前には膝の高さの下草が揺れていた。


 向こう側は、灰色の光の底に沈んでいた。下絵の中を、コボルトの群れが四つの影になって日陰側から日向側(ひなたがわ)へ横切っていく。リナムーアは浅層の境の手前の幹に手を添えて、群れが下絵の縁から抜けるのを待った。


 それから浅層の境を跨いだ。


 足の裏へ、固い土が返ってくる。三十メートル先に、網の走った葉を持つ株が一つあった。リナムーアはその前にしゃがみ、根元に近い一枚へナイフの刃を当てた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。