第23話 監査(かんさ)
ギルド長室の窓は西を向いている。
傾いた日が机の縁へ細い影を落とし、その線が紙の上をゆっくりと這っていた。オグマは書きかけの頁を伏せた。
机の手前にサリナが立っている。閉じた受付の帳面を脇に抱えていた。
「報告は、いつ出しますか」
「月が変わってからだ。締めの写しを付ける」
オグマはペンを筒へ戻した。
「あの子には、まだ話していない」
「話す、とおっしゃいました」
「夜明け前に出ていく。戻れば窓口で、そのあとは資料室だ」
「捕まえる刻限がない、ということですか」
「言い訳になるか」
「なります」
サリナは眉一つ動かさずに答えた。オグマは低く息を吐いた。
「……なるな」
扉が二度鳴った。返事をする前に、取っ手が回った。
「失礼するよ」
入ってきたのは細身の男だった。金の髪を首の後ろでひとつに束ね、前髪の一房が青い目にかかっている。旅装の上へ薄い革の胸当てを重ね、腰の後ろに短剣を二本、柄を互い違いにして下げていた。年は三十を少し越えたあたりに見える。
背はオグマにわずかに届かないほどで、机の手前に立つサリナの目の高さが、ちょうど男の肩に並んだ。
サリナは扉のほうを見たまま動かなかった。
(……聞こえなかった)
廊下は石の床で、職員が歩けば必ず音が返ってくる。この男が階段を上がってきた音も、扉の前で止まった音も、自分は一度も拾っていない。
「冒険者ギルド本部の監査だ。フィンレイという」
男は懐から折り畳んだ書状を出し、机の上へ滑らせた。蝋の封は割れていて、その下に本部の印が押してある。
オグマは紙を開き、上から下まで読んでから顔を上げた。
「監査の通達は、先に届くものだと思っていたが」
「届いていないだろうね。出していないしね」
フィンレイは肩をすくめた。
「先に知らせると、帳面が綺麗になるからね」
「……用件を言え」
「リナムーア。三歳。白い髪に赤い目。半年あまり前に、この支部が孤児院から引き取った子だ」
サリナの指が抱えた受付の帳面の縁を握った。
「その子のことを、直接に聞きに来た。座っていいかな」
「勝手にしろ」
「ありがとう」
フィンレイは壁際の椅子を引き寄せ、足を組んで腰を下ろした。
▽ ▽ ▽
サリナは机の横へ回り、オグマの斜め後ろに立った。
「斡旋の手数料が一万ムーア」
フィンレイは指を一本立てた。
「相場は五万だ。値切ったね」
「値切った」
「相手は孤児院。対象は三歳。届け出の紙には、歩けない、重度の栄養失調、魔力は測定不可、才能も測定不可と書いてある」
男の口調は道端の世間話と変わらなかった。
「この紙で、よく一万も出したものだね」
「連れてきたのは、そこのサリナだ」
オグマは椅子の背へ体重を預けた。
「断れば孤児院へ戻る。戻れば死ぬ。それだけだ」
「それは理由になるのかな。支部の金だよ」
「ならん」
オグマの答えは短かった。
「だから、斡旋の届け出に、実績で説明すると書いて出した」
「そう書いてあったよ」
フィンレイは足を組み替えた。
「で、四半期の額は可愛いものだった。……それが、こちらの台帳では途中から桁が変わるね」
「変わりました」
サリナが引き取った。
「大きいほうの採集袋に替えた日からです。締めは、二万二千ムーアを越えています」
「手数料を越えたのは」
「ひと月ほど前です」
フィンレイは口笛を吹く形に唇を動かしたが、音は出さなかった。
「大きいほうの採集袋というのは、あれだね。大人が組で入っても、一日ではまず埋まらないやつ」
「そうです」
「それを、一人で一杯にして持って帰る」
「はい」
「知っていて聞いたよ、副ギルド長」
サリナの肩がわずかに動いた。この支部で自分を役職で呼ぶ者はいない。ギルド長でさえ、呼ぶときは名前だった。
「それと、討伐の記録だ」
フィンレイは指を二本に増やした。
「窓口の台帳に、依頼番号の入らない行が毎日ある。欄の外へ横向きに書いてあるね。昨日は三体、一昨日は二体。ゴブリンだ」
「……台帳を、ご覧になったんですか」
「誰にでも読めるように書いてあるんだろう。脇の帳面には名前も書いておいたよ。あれを書いた職員は、いい字を書くね」
オグマが机の上で指を組んだ。
「それで」
「報告の通りだね」
フィンレイは椅子の背へ首を預け、天井の梁を見上げた。
「額は合っている。数字はどこも捻じれていない。……ただ、どうやってこの額が立ったのかは、一行も書いていない」
「書く義務は無い」
「無いね」
男は首を戻した。青い目が、初めてまっすぐにオグマを見る。
「だから僕が来た。——本人を見たい」
「構わん」
オグマは間を置かなかった。
フィンレイの眉が上がった。足を組んだまま、しばらく黙っている。
(……いま、何を測られたのかしら)
サリナは男の目の動きを追った。返答の中身ではなく、返答までの長さを見ている目だった。
「即答か」
「見せられんものがあるなら、報告には書いていない」
「確かに、隠す気はなさそうだね」
▽ ▽ ▽
フィンレイは椅子から立ち上がり、西の窓のほうへ二歩寄った。
「それでは結構。監査の結果は問題なし。いま、ここで伝えるよ」
背中の側で二人が息を止めるのが分かった。
「……いいのか」
ギルド長の声だ。重さを量るような聞き方をする男だとフィンレイは思った。
「もちろん。実はすでに見てきたからね」
振り返ると、副ギルド長の顔から表情が抜けていた。
(分かりやすくて助かる)
「三日だ。一昨日までの三日、あの子を見ていた」
初日は魔境側の大門の詰所の屋根に乗っていた。まだ暗いうちに白い髪が一つ来て、門兵とふた言だけ交わして外へ出ていった。
「草原へ出たところで、僕は屋根から下りた。四キロを歩くのだと思っていたんだ」
フィンレイは指で窓枠を軽く叩いた。
「走ったよ。日が出る前に、樹縁の緑の壁まで着いた。三つの子を追うくらいの強化で出たら、見る間に離されてね。慌てて回し直したよ。……これは行きの話だ。採集袋は空だった」
誰も口を挟まなかった。
「森の中では、六十歩より内側へは詰めなかったよ。普段の動きを見たいからね。なるべく離れたところから見ることにしているんだ」
六十歩の外から半日追っていて、気づいたことがある。
「草むらの前で足を止めないんだよ、あの子は。いくつも素通りして、ところどころでだけしゃがむ。あとで跡を見たら、葉を落とした株の隣の株には、指も触れていない。……それで窓口の台帳の額は、毎日欠けずに揃っている。外れを一度もつまんでいないんだよ」
部屋の空気が動かなくなった。
「これがどういうことか、僕は知っている。あなたがたも知っているんだろう」
ギルド長も副ギルド長も口を開かなかった。
「言わないよ。僕は見たものしか書かない。憶測を足すと、子供が一人おかしなことになる」
フィンレイは声の調子を落とした。
「二日目だ。ゴブリンが三体出た。一体目は窪地の向こうで、あの子から五十歩はあった。幹が三重に挟まって、あの子の立つところからは影も見えない。向こうはまだ音も立てていなかった。……それなのに、あの子の足が止まったよ」
オグマが机の上で指を組んだ。
「何で倒した」
「弾だよ。スリングショット。枠が小さくて、帯だけがやたらに厚い妙な代物だ」
「あれは、うちが誂えさせたものです」
副ギルド長が言った。
「そうか。いい仕事だね。ただ、あれを引ける三歳がいる前提で作るのは、正気じゃないよ」
「……そう言われました。作った男に」
「だろうね」
フィンレイは肩を鳴らした。
「走りながら撃つんだ。止まらない。三体目は、横へ跳んでいる最中に額へ入った。距離は十メートルと少しだ。……魔物を殺した直後の人間なら、僕も数え切れないほど見てきた。腕の立つ男でも、次の手に移るまでには一呼吸置くものだよ。あの子は魔石を拾って、魔石入れへ入れた。それだけだ。手が震えもしない」
昼を回って、大きいほうの採集袋の口が閉まった。日の高いうちに一杯になっている。それだけでも、本部へ書き送るに足る数字だった。だが、見ものはその先にあった。
「二十キロだ。あれを担いで、また四キロだよ。途中で下ろすかどうか、僕はずっと見ていた。下ろさない。肩の位置も変わらない」
フィンレイは自分の肩のあたりを指で叩いた。
「あの背丈の子供の目方を、僕は十キロ見当と踏んだ。……担いでいるほうが、倍以上重いことになるね」
二人とも黙っていた。
「言うことがないか」
「無い」
ギルド長の声には何の起伏もなかった。フィンレイは短く笑って先を続けた。
「帰りは草原の窪みで石を拾っていたよ。丸いのだけを選って、二十ほど。明日の弾だね。門をくぐって、窓口へ出して、それから資料室だ。日が落ちてからは訓練場だった」
副ギルド長が顔を上げた。
「……あれも、ご覧になったんですか」
「柱の灯りの外からね。二度、あなたの袖に届いていた」
「届いていません。掠めただけです」
「それを届いたと言うんだよ、僕らは」
フィンレイは窓枠へ指をかけた。外壁が視界を塞いでいて、この高さからでも森の帯は見えない。
「一つだけ、気に入らないことがある」
「言え」
「二日目の昼だ。六十歩離れた藪の中で、僕は息も殺していた。下生えと幹を三重に挟んでいたし、風はこちらへ来ていた。……あの子が手を止めて、こっちを見た」
部屋が静かになった。
「見えるはずがないんだ。音も立てていない」
「それで」
「しばらくこっちを見て、それから場所を変えて薬草を採り始めた。騒ぎもしない。走りもしない。ただ、僕のいない側へ寄っただけだ」
斥候として稼いできた年月の中で、気配を読まれたのは片手で数えられる。相手はいずれも名の通った冒険者だった。
「……とんでもない子だね」
ギルド長が立ち上がった。
「本部へは、どう書く」
フィンレイは机の上へもう一枚の紙を置いた。
「見たままだ。額は合っている、稼ぎ方は本人の腕、支部に問題なし。これは控えだよ。なくさないようにね」
「書かないほうはどうする」
「僕が覚えているだけだよ」
フィンレイは戸口へ歩いた。
「僕が余計なことを書けば、読んだ誰かが確かめに来る。確かめに来るのが僕とは限らないからね」
取っ手に手をかけて、一度だけ振り返る。
「またくるよ」
「監査でか」
「さあ。そのころには、もっと面白いことになっていると思うけど」
扉が閉まった。閉まる音のほかには、何も聞こえなかった。
▽ ▽ ▽
サリナは扉を見たまま、握りしめていた受付の帳面から指をほどいた。
「……足音が、しませんでした」
「行きもか」
「行きも、帰りもです」
オグマは机の上の紙へ目を落とした。
「Aだな」
「Aです。前衛ではありません」
「『斥候』か」
「『斥候』のままでは、ああは歩けません」
サリナは腕を組み、それからすぐに解いた。
「三日です。三日のあいだ、誰も気づきませんでした。私も、ミオも、門兵もです」
「見られて困るものが、うちにあるか」
「ありません」
「なら、それでいい」
サリナはすぐには頷かなかった。
「一つだけ、外れていました」
「重さか」
「十キロ見当と言いました」
オグマが短く笑った。笑いの残らない笑い方だった。
「外れたままにしておけ」
「はい」
オグマは窓のほうへ数歩歩いた。
「あの子には今夜話す。ミオに言って、上へ寄越してもらってくれ」
「越えた日のことですか」
「それと、今日ここに人が来たことだ。……黙っていれば、いずれ余所から耳に入る」
「分かりました」
サリナは一礼して扉を開けた。廊下へ出る間際、足元の石の床を一度だけ見下ろしてから、後ろ手に扉を閉めていった。
一人になってから、オグマは机へ戻り、引き出しを開けた。
二つに折った締めの紙と、登録の控えがある。その間へ、フィンレイの置いていった紙を挟んだ。二枚が三枚になった。
束を戻し、引き出しを閉めて鍵を回す。
机の縁に落ちていた細い影は、いつのまにか消えていた。オグマは鍵を抜き、それを胸元の内側へ落とした。




