第22話 成果(せいか)
依頼票の貼り出しは、日の出の少し前に始まる。
掲示板の前に人が寄り、受ける受けないの声が飛んだ。高い天井がそれをひとまとめにして下へ返してくる。ドルグは列の先頭に立ち、毛皮の買い取りが付いた依頼票を二枚剥がして、日付の欄だけを検めていた。
「四つだって話だぞ」
背の後ろで、痩せた若い男が声を落とした。この支部に長く居着いている連れで、朝の掲示板ではいつもドルグの後ろに立っている。
「何が四つだ」
「魔石さ。何日か前の昼に、納品の窓口へ並べたんだ。白いのが」
ドルグは依頼票から顔を上げなかった。
「依頼も受けていないのに、討伐の記録が付いた。窓口のミオさんが台帳に書いていたよ」
「ゴブリンか」
「ゴブリンだ。四つで六十ムーア」
横から、鼻で笑うような息の音がした。登録して二十日ほどの若い男で、革の胸当てがまだ新しい。
「拾ってきたんだろ。誰かが仕留めたやつのそばに、たまたま居合わせたんだ」
ドルグが、依頼票へ目を落としたまま言った。
「どこの誰が、倒した魔物の魔石を落としたのに気づかないまま帰るんだ。落ちてもいないものを、三つのガキがどう拾う」
「なら採集袋のほうはどうなんだ。おれはあれも信じてない。大人が束になっても一日じゃ埋まらない採集袋を、あんな背丈で一杯にして担いでこれるわけがないだろう」
痩せた男が首の後ろを掻いた。
「昨日の組の話は聞いたか」
「どの組だ」
「大きいほうの採集袋を借りて、三人で入ったやつらだ。三つの子にできるなら自分たちにもできるって、意地になってな」
「……それで」
「門灯ぎりぎりまで粘って、三分の一にも届かなかったそうだ。三人がかりで、だぞ」
若い男が口を閉じた。ドルグは剥がした依頼票を二つに折り、革鎧の胸元へ差し込んだ。
掲示板の右の隅には、小さな釘の跡が四つ並んで残っている。一時期、そこに木札が下がっていた。あの子が何日もつかを賭けた札だ。勝ったのは、「続く」の札に名前を書いた受付のサリナ一人だった。
負けた銅貨をひとまとめにして受付の机へ運んだのは、ドルグ自身だった。
「あんた、あのとき何枚出した」
痩せた男が聞いた。
「六枚だ」
「よく覚えてるな」
「出したからな」
ドルグは掲示板に背を向けた。若い男がまだ何か言おうとするのを、片手で遮る。
「信じる信じないは、あんたの勝手だ」
それだけ言って、食堂のほうへ歩き出す。
「ただな。昼を過ぎたら、窓口の前の長椅子にでも座ってろ」
「……それで」
「あの採集袋が入ってくる。担いでるのが誰か、自分の目で見りゃいい」
若い男は言い返さなかった。ドルグは振り返らずに片手を上げ、朝の食堂へ消えた。
▽ ▽ ▽
ガルド武具店の土間は、鉄と油の匂いで満ちている。
壁の一面に工具が吊り下がり、作業台の足元には削り屑が溜まっていた。奥から出てきた店主は、鴨居に頭が触れるのを避けるように首をすくめた。長身で、肩から腕までが丸太のように太い。眉間の皺が深く、顔には古い傷がいくつも走っている。
「サリナか」
「先日はありがとうございました」
サリナは店主を見上げる形になった。サリナの頭のてっぺんが、ようやく店主の肩に届くほどだった。
「注文か」
「伺いに来ました。先の帯を、もう一段固くできますか」
ガルドの手が作業台の上で止まった。
「先の帯」
「子供の手に合わせて枠を削って、帯だけ固くしていただいたものです」
「覚えてる。忘れるものか」
ガルドは工具を置き、作業台の端に積んだ紙束から一枚を抜いた。寸法の控えだった。細かい字で枠の丈と又の開きが並び、その下に帯の厚みと幅が書いてある。
「これを引いたのか」
「引きました。一度で、頬の横まで」
「軋みもせずに、か」
「音は立ちませんでした。三つ数えるあいだ、狙いが少しも動きませんでした」
ガルドは紙を目の高さまで持ち上げ、二度読み返してから作業台へ置いた。
「誰だ」
「うちの支部で、いちばん小さい子です」
「……あの枠の持ち主が、か」
「はい。三つの子です。背は七十五センチで、腕はこのくらいです」
サリナが自分の手首から肘までを指で示すと、ガルドは息を吐いた。
「……子供に持たせるものではない、と言ったな。俺は」
「言いました」
「言った俺が間抜けだったという話か」
「いいえ。寸法どおりに出来ていました」
サリナは少し顎を上げて、店主の顔を見た。
「持たせる相手のほうが、寸法の外だったんです」
ガルドは無言で紙を裏返し、炭の棒で帯の厚みの数字を書き足しかけて、手を止めた。
「帯は固くできる。いくらでもだ」
「では」
「枠が持たん。あの寸法の又で受けられる力は、もう出し切ってある。これより固い帯を張れば、又の根が裂ける。帯が生きていても、木のほうが先に負ける」
「枠を大きくすれば」
「そいつの手に合わなくなる」
「……では、いまが上限ですね」
「道具の上限だ」
ガルドは炭の棒を筒へ戻した。
「腕の上限じゃない」
サリナは礼を言って戸口へ向かい、そこで一度足を止めた。
「ガルドさん。いずれ、剣の話で伺うかもしれません」
「剣」
「弾で足りなくなる日は来ます。まだ持たせてはいませんけれど」
「刃渡りは」
「五十センチほどを考えています」
ガルドの眉間の皺が、いっそう深くなった。
「七十五センチの背に、五十か」
「はい」
「正気で言っているのか」
「正気です。寸法の外だと、さっき申し上げました」
ガルドは答えなかった。サリナが戸を閉めたあとも、作業台の上の紙を掌で押さえたまま、しばらく動かなかった。
▽ ▽ ▽
昼を過ぎた納品窓口で、ミオは台帳の頁を繰っていた。
日付と数字を、別の紙へ写していく。締めを出してほしいとサリナに頼まれたのが、今朝のことだ。
銅貨四枚。銅貨四枚。銅貨四枚。同じ数字が縦へ延々と続き、ある行から先が小銀貨四枚に変わる。その境目の一行だけ、ミオは指で押さえて長く見た。書いたのは自分の字だった。
ホールの声は途切れずに続いている。長椅子の冒険者たちは顔も上げなかった。盆が三枚重なっても、いまはもう誰も数えない。
戸口から入ってきた大きいほうの採集袋が、窓口の前で下りた。
「納品に来ました」
ミオは盆を三枚引き寄せ、判別機へ葉を流し込んだ。すべて片側へ寄る。下の受け皿は、最後まで空のままだった。
「四百ムーアです」
小銀貨を四枚、窓口の台へ並べる。小さな手がそれを受け取って、腰の硬貨入れへ落とした。
次に出てきたのは布の包みだった。結び目が解かれると、灰色の粒魔石が二つ転がり出る。
「今日は、二つでした」
「怪我は」
「ありません」
ミオは粒魔石を数えるより先に、袖から出た腕と、首のあたりを順に見た。擦り傷の一つも無い。それを確かめてから台帳を開き、今日の行にリナムーアの名と、四百という額を書いた。
同じ行の、依頼の番号を書く欄は、空けたままにするしかない。ミオは欄の外の余白へ横向きに書いた。ゴブリン、二体。日付。それから自分の名前。
「三十ムーアです」
「はい」
銅貨を三枚押し出す。今日の稼ぎの十分の一にも満たない額だった。
隣の窓口で毛皮の束を出していたドルグが、こちらへ首を向けた。
「窓口の。何を書いてる」
「討伐の記録です」
「……今日もか」
「今日もです」
ドルグは眉の古傷を指で押さえ、それから何も言わずに毛皮のほうへ顔を戻した。
長椅子の端には、朝に掲示板の前にいた若い男が座っていた。連れの肩へ顔を寄せて、低く呟くのがミオのところまで届く。
「……本当に、一人で埋めてきたのか。あの採集袋を、一日で」
ミオは顔に出さず、台帳を閉じた。
(読めばいいのです)
台帳は、誰にでも読めるように書いてある。
ギルドカードを持つ冒険者なら、窓口で申し出れば台帳を検められる。依頼の取り合いや、あいつだけ払いがいいという噂は、放っておけば殴り合いにまでなる。書いたものをそのまま見せるのが、いちばん早く片が付くのだった。そのかわり、見た者は台帳の脇に置いた閲覧の帳面へ名前を書いていく。
載せるのは名前と日付、納めた数と払った額、それに討伐の記録だけだ。払った額は依頼票の値や決まった買い取りの値と変わらないので、伏せる理由が無い。預かった金や、登録のときに付けた記録は別の帳面にして、職員の棚から出さない。
あの若い男が窓口の台の前へ来て名前を書くなら、ミオは頁を開いてやるつもりでいた。
「このあとは」
「資料室です」
小さな背中がホールを横切っていく。長椅子の冒険者たちの膝が、通り道に合わせて順に退いた。誰も顔を上げないまま、膝だけが動いた。
▽ ▽ ▽
その夜、ギルド長室の灯りは遅くまで点いていた。
机の上には、ミオが写した締めの紙が一枚置かれていた。
オグマは紙の行を、上から順に指で下へ追った。
「小さいほうの採集袋の日が、百四十日ほどです」
机の手前でサリナが言った。
「小銀貨四枚の日が、今日で三十八日目です」
「締めは」
「二万ムーアを越えました」
オグマの指が止まった。
「斡旋の手数料は、一万ムーアだ」
「はい」
「いつ越えた」
サリナは紙の中ほどの行を指した。
「大きいほうの採集袋に変わってから、十一日目です。ひと月近く前になります」
オグマの眉が動いた。
「二十五日とまでは言っていない、と言ったのは俺だ」
「言われました」
「十一日か」
「小さいほうの採集袋の日が、先に積んでありました。そこを勘定に入れていなかったんです」
部屋が静かになった。廊下を職員の足音が通り過ぎ、それも遠ざかった。
「……誰も気づかなかったのか」
「気づきませんでした」
サリナは腕を組んだ。
「毎日同じ数字が並ぶと、人は数えるのをやめるんです。私も、ミオも」
オグマは椅子の背に体重を預けた。
「出して正しかったと、後から言えるだけのものを出してくれ。……そう言ったな、俺は」
「言いました」
「言えるな」
「言えます」
オグマは引き出しを開け、一枚の紙を出して締めの紙の隣へ並べた。登録の際に作られる控えだった。名前と、年齢と、髪と目の色。その下に魔力とタレントの二つの欄がある。ほかの冒険者の控えなら、『戦士』や『狩人』といったタレントの名が入る欄だった。この控えでは、どちらにも同じ字が入っている。
魔力——測定不可。才能——測定不可。
「この紙と、その締めが、同じ名前だ」
オグマは二枚を並べたまま、すぐには何も言わなかった。
扉の脇に立っていたミオが、一歩、机のほうへ出た。
「本部への報告は、どうなりますか」
「書く」
オグマは即座に答えた。
「書かんほうが怪しまれる。入った額と出た額だけを書く。どうやって稼いだかは書かん」
「それで通りますか」
「通らん」
オグマは紙の縁を揃えた。
「そのうち、誰かが見に来る」
ミオが息を呑んだ。サリナは表情を変えずに、机の一点を見ている。
「ギルド長。申し上げておくことがあります」
「言え」
「あの子を抱き上げると、重さが合いません」
サリナは声の調子を変えずに続けた。
「同じ背丈の子を、二人近く抱えている重さです。見た目は痩せているのに、です。それと、大きいほうの採集袋——二十キロを担いで、草原を四キロ渡ります。途中で一度も下ろしません。それと、ガルドに誂えさせた帯です。あれを一度で頬まで引きました。強化を回さずに引けば、私でも頬までは届きません」
「聞いたか」
「聞いていません」
オグマは頷いた。
「それでいい。約束は、本人の意思を確かめたうえで相談する、だった。まだ確かめていない」
「……はい」
「聞けば、あの子は答えるだろう。答えさせるのは、こちらの都合だ」
ミオが、机の上の締めの紙へ目を落とした。
「ギルド長。討伐の記録を、付けておくように言いました」
「聞いている」
「あの子の口は、証明になりません」
ミオの声は低かった。
「三つの子が何を言っても、子供の言うことです。そのうえ、登録の控えには、魔力が測れないと書いてあります。……通るのは、職員の字で台帳に付いたものだけです」
サリナが顔を上げた。オグマは机の上で指を組んだ。
「そのために付けさせたか」
「はい」
「先が見えているな」
「見えていません」
ミオは真っ直ぐに答えた。
「見えていないから、残しているんです。何が要るのか分からないので、全部残します」
オグマはしばらく二人を順に見ていた。それから締めの紙を二つに折り、登録の控えの間へ挟んだ。
「この二枚は離すな」
「はい」
「あの子には、俺が話す。……越えた日を黙っているのは、筋が通らん」
ミオが扉へ手をかけ、そこで一度振り返った。
「あの子は、越えたことを知りません」
「知らんだろうな」
「知らないまま、明日も夜明け前に出ていきます」
オグマは答えなかった。ミオは会釈をして、扉を静かに閉めた。
▽ ▽ ▽
竈に火が入るのは、日の出の一時間ほど前だ。
宿泊施設の一階の炊き場で、年をとった女が竈の灰をかき分け、薪をくべて火を起こした。鍋に水を張り、麦を量って落とす。竈の口から出た煙が、天井の梁の下でゆっくり散った。
長机に突っ伏していた当直明けの職員が、眠そうな顔を上げた。
「……いつも早いな」
「早くないよ。ここは、いつもこの刻限さ」
女は杓子で鍋の底を混ぜながら、顎で棚のほうを示した。
「勘定が合わないんだよ、ここのところ」
「何の勘定だ」
「パンの数さ。三つ増やして焼いても、朝には籠が足りないんだよ」
職員が欠伸をした。
「誰かが持ってってるんだろ」
「持ってってるよ。いちばん小さいのがね」
女は手を止めずに続けた。
「夕べの汁も椀で七杯だ。ここで食べていく男たちだって、二杯か三杯で匙を置くんだよ」
「……七杯」
「数えたのは初めの何日かだけさ。そのうち、数えるのをやめたよ」
やがて鍋が煮えた。女は椀を一つ長机のいちばん端へ置き、杓子で汁を張った。それから棚の籠から黒パンを二つ取って布に包み、椀の横へ並べた。
「パンまで包んでやるのか」
「それは持っていくのさ。昼に森で食べる分だよ」
職員は、いつのまにかまた長机に額を伏せていた。
食堂の奥の階段を下りてくる足音がした。
石の床を渡る小さな靴音が近づいて、長机の端で止まった。椅子が引かれ、匙の当たる音が続いた。女は椀が空くたび、鍋から杓子を運んだ。何杯目かを数える顔ではなかった。
椅子が戻る音がした。布の擦れる音が続いて、靴音が遠ざかっていく。音は食堂の戸口を抜け、渡り廊下を通って、外へ出ていった。
長机の端には、空の椀が一つ残っていた。
職員が額を上げ、首を伸ばしてそちらを見た。
「……朝の挨拶くらい、してくれてもいいのにな」
「してるよ。あんたが寝ているあいだにね」
女は鍋へ戻り、灰をかき寄せて火を整えた。湯気が立ち上がり、梁を舐めて窓のほうへ流れていく。窓の外はまだ暗く、外壁の影と空の境が、わずかに白み始めていた。




