第11話 傍目(はため)
冒険者ギルドのホールは、朝のうちがいちばん騒がしい。白い髪の子供が荷車で運び込まれてきたのも、そんな朝のことだった。
依頼票を貼り出した掲示板の前に人が群がり、受ける受けないのやり取りが飛び交う。高い天井がその声をひとまとめにして下へ返してくる。受付の机に座るサリナにとって、それは一日の始まりを告げる音だった。
その音が、正面の戸が開いた途端に半分ほど落ちた。
孤児院の紋を描いた荷車が、職員たちの手でホールへ引き入れられてくる。車輪は錆び、木の節々に腐食の跡が浮いていた。人の目を集めたのは荷車ではなく、その荷台に横たわっているもののほうだった。
「……おい」
掲示板の前にいた革鎧の大柄な男が、隣の仲間を肘でつついた。ドルグという。この支部に十年近く居着いている古株で、朝の掲示板の前ではたいてい先頭に立っている男だ。
「あれ、ガキだろ」
「乗せてるってより、積んでるな」
痩せた若い仲間が声を落とした。嘲りの色はない。見たままを口にしただけの声だった。
掲示板の前からホールの中ほどまであふれていた冒険者たちが、潮の引くように左右へ退いて道を空ける。誰も口を出さなかった。荷車が通り過ぎると、何人かは気まずそうに視線を外し、また依頼票へ顔を戻した。
目を逸らした者たちを、サリナは書類の端を揃えながら眺めていた。痛ましいと思いはしても、道を空けるほかに何もしてやれなかった。そのばつの悪さなのだろう。
責める気にはなれなかった。森から担ぎ込まれる怪我人なら、ここにいる者の多くが見ている。だが、子供が荷のように積まれて運ばれてくるのを見たことのある者は、まずいないだろう。どう振る舞えばいいのか分からなくて当然だった。
一団が去り、ホールの声がもとの高さに戻るまでには、しばらくかかった。
孤児院長とのやり取りは、思い返す値打ちもないほど不快だった。斡旋で受け入れるのは、いずれ冒険者として働ける見込みのある者に限る。起き上がることもできない三つの子供は、本来なら断る相手だった。だが断れば、あの荷車はそのまま孤児院へ引き返す。だから手数料を二割まで落として、受け入れの形だけを整えた。あの老人は渋りもしなかった。
サリナが奥へ声を掛けると、ミオが出てきて荷車を覗き込み、そこで息を呑んだ。白い髪は埃を吸って色を濁らせていた。袖から出た腕は、ミオの手首ほどの太さもない。
「……この子が」
「療養室をお願い。治癒魔法は使わないで。いまのこの子にかけたら、却って保たないわ」
「はい」
ミオは迷わず荷台へ手を差し入れ、少女を抱き上げた。思っていたよりもずっと軽かったのだろう、その眉が一瞬だけ寄る。ミオは何も言わず、奥の廊下へ消えていった。
掲示板の前では、ドルグが腕を組んで唸っていた。
「あの様子じゃ、持たねえだろ」
「ギルドが拾ったんだ。埋める手筈まで込みってことさ」
仲間が肩をすくめる。ドルグは返事をせず、依頼票を一枚剥がすと、脇の窓口ではなく受付の机へ持ってきた。それを机へ置くとき、一度だけ奥の廊下へ目をやる。
「……受付の。あれ、いくらで買った」
「買ってないわ」
サリナは依頼票に判を捺しながら、顔も上げずに答えた。
「あそこへ返したら、あの子は死んでいた。うちが引き取れる形が、斡旋しかなかっただけよ」
ドルグはそれ以上聞かず、依頼票を受け取って、仲間を連れてホールを出ていった。サリナは契約書を引き出しに仕舞い、鍵をかけた。
▽ ▽ ▽
それから数週間が過ぎた日の夜、ギルド長室には三人だけが残っていた。
壁際には周辺一帯の地図が広げられ、その脇に使い込まれたハルバードが立てかけてある。昼のうちに同じ部屋で行われた面談の余韻が、まだ空気の中に残っていた。
机の向こうでオグマが目を通しているのは、サリナが持ち込んだ収支の書き出しだ。
「小金貨一枚。食事、寝具、布の類。それに、ミオが付きっきりで潰した数週間」
オグマは収支の書き出しの端を指で叩いた。
「帳簿の上では、丸損だな」
「はい。ですが、相場どおりに払っていれば、そこは小金貨五枚です」
サリナが悪びれもせずに答えると、オグマの口の端がわずかに動いた。
「ホールの空気はどうだ」
「支部の金で孤児を養っている、と言う人はいます。面と向かってではありませんけれど」
「言わせておけ」
オグマは短く切り捨てた。
「どいつも明日の食い扶持を気にして暮らしている。働きもしない子供が支部の金で食っているのは、面白くないんだろう。それだけのことだ」
扉の脇に立ったままのミオが、遠慮がちに口を開いた。
「……ギルド長。昼間の、あの力の話ですが」
「他言はするな。この三人の外へは出すな。ホールにも、本部にもだ」
オグマは即座に遮り、それから声をわずかに落とした。
「測れない力の話は、人の口から口へ渡るたびに大きくなる。あの見た目だ。化物だと言われ出したら、もう止められん」
「……はい」
ミオが頷く。サリナは腕を組み、天井のあたりへ視線を投げた。
「魔力が薄すぎて測定に映らない、などという話は聞いたことがありません。……ですが、あの子には嘘をつく理由がなかった」
「私も、そう思います」
ミオが扉の脇から一歩、机のほうへ出た。
「療養のあいだ、あの子はずっと自分の身体の具合を、まるで他人のもののように言い当てていました。今日はここまで動ける、明日はもう少し。……『己識』と言っていたあれは、たしかにあるのだと思います」
オグマは頷き、収支の書き出しを机の隅へ寄せた。
サリナが、そこで居住まいを正した。
「ギルド長。ひとつだけ、申し上げます」
「言え」
「あの言い方は、ありませんでした」
声には棘があった。
「三歳の子供に、小金貨一枚とミオの数週間を数え上げて突きつけるなんて」
「三歳です」
ミオも小さく続ける。オグマは椅子の背に体重を預け、二人を順に見た。
「請求したわけではない。あの金は孤児院との間で終わっている。そう断ってから話した」
オグマは机の上で軽く指を組んだ。
「数字を見せずに働けとだけ言うのは、それこそ施しの押し付けだ。施しで養えば、あの子はいつまでも拾われた子供のままだ。ホールにいる連中は、働かない者を仲間とは呼ばん。……目標を背負わせるのは酷だ。だが、返せる立場をやるということでもある」
「……」
サリナもミオも、すぐには言い返さなかった。オグマはその沈黙を待ってから、言葉を足した。
「それに、あれが三歳の受け答えか。自分の力の話を、順を追って説明してのけた子供だぞ」
サリナは口を開きかけて、閉じた。昼間この部屋で、自分の力を順に説明し、要求を淡々と受け止めていた小さな背中を、思い出したからだ。
「期限は切らなかった。それが俺の譲れる限度だ」
「……ずるいですね、ギルド長は」
「褒め言葉として受け取っておく」
サリナは息を吐き、それから隣のミオを見た。ミオが小さく頷き返す。昼のうちに二人で引き受けたことを、改めて口にするまでもなかった。
オグマは何も言わず、ただ一度だけ深く頷いた。
▽ ▽ ▽
荷車で運び込まれたあの子供が、薬草採取を始めるらしい。そんな話が翌朝のホールに回り、昼を待たずに知らない者はいなくなった。
「あの草むしりかよ」
掲示板の前でドルグの仲間が声を上げた。
「よりによって、支部でいちばん人気のない依頼だぞ。一日歩いて銅貨四枚だ」
「三歳が、外壁の外に出るってのか」
誰かが笑った。悪意というほどのものではない。ただ、まともに取り合う気がないだけの笑いだった。
「何日もつか、賭けるか」
痩せた若い男がそう言い出したとき、受付の机の向こうでサリナが顔を上げた。
「私も乗るわ」
ホールの一角が静まった。サリナは机に小銀貨を一枚置き、指先で軽く押し出す。
「続くほうに、これだけ」
男たちは顔を見合わせ、それから笑い出した。賭けの中身よりも、受付が乗ってきたことのほうが彼らには面白かったらしい。
「……サリナ。不謹慎です」
脇を通りかかったミオが、聞き咎めて低い声を出した。サリナは肩をすくめる。
「いいのよ。取り上げたところで、この人たちは裏でやるだけだもの」
その日から、掲示板の隅に妙な木札が下がった。三日、五日、十日と、もつと見た日数ごとに一枚ずつ。札の下には、賭けた者の名前が書き足されていく。十日より先へ賭けた冒険者は、一人もいなかった。四枚目の札にだけは日数の代わりに「続く」とあり、その下の名前はサリナ一人だった。
そして初めての採取の日。日が落ちるより早く、納品窓口にはミオが座っていた。座っていた、というより張り付いていた。書類を繰る手が、さっきから同じ一枚の上を往復している。窓口の手前には、昼のうちに倉庫から運び出しておいた木の踏み台が据えてあった。
戸口に小さな影が立ったとき、ミオの背筋が跳ねるように伸びた。
差し出された採集袋を受け取り、中身を金属の盆へ空ける。判別機へ流し込むと、葉はすべて片側へ寄った。下の受け皿へ抜けたものは、一枚もない。
「……一枚も、混じっていませんね」
ミオの声には、抑えきれない昂ぶりが混じっていた。踏み台の上の白い頭が、こともなげに頷く。
「はっぱの、裏を、ぜんぶ見ました。ちがうのは、採ってません」
「……おい」
隣は素材の買い取りの窓口だった。そこで係の職員に毛皮の束を数えさせていたドルグが、盆を覗き込んで眉を上げた。
「一枚も外れがねえのか。初日だろうが。俺が初めて出したときは、三つに一つはただの草だったぞ」
ドルグが、踏み台の上の白い頭を見下ろした。リナムーアは数え入れられた銅貨を握ったまま、黙って見上げていた。
ドルグは何か言いかけて、口を閉じた。それから、毛皮の束を窓口へ押し込みながら、仲間に聞こえるだけの声でこぼした。
「……あれを丸一日やったのか。俺なら、昼で放り出してる」
▽ ▽ ▽
宿泊施設の戸は、毎朝おおよそ同じ刻限に開いた。
当直明けの職員が気づいた。飲み過ぎて食堂の長机に突っ伏したまま朝を迎えた冒険者も気づいた。夜明け前の暗いうちに、小さな靴音が渡り廊下を抜けて、外へ出ていく。
三日目の朝も、同じ刻限だった。五日目の朝も、雨で草原がぬかるんだ朝も変わらなかった。
十日目が過ぎ、掲示板の隅の木札はすべて外れた。
ドルグは預かっていたサリナの小銀貨に、仲間から集めた銅貨を積んで、受付の机へ持ってきた。サリナはそれをまとめて手のひらへ掬い、引き出しの奥の小さな布袋へ落とした。自分の財布とは、分けてある袋だった。
(支部の帳簿では出してやれないものも、いずれ出てくるわ。そのときの足しくらいにはなるでしょう)
「……あんた、勝つと思ってたのか」
「ええ」
「なんでだ」
「あの子、一度も『明日は休みたい』と言わなかったもの」
ドルグは唸って、それきり黙った。
賭けには勝った。けれど、勝った理由のほうは、サリナには少しも嬉しくなかった。
食堂で一度、明日は休んでもいいのよ、と言ってみたことがある。あの子はスプーンを止めて首を横に振り、「だいじょうぶ、です」とだけ答えた。次の日も、あの子は森へ出た。
休めば、ここに置いてもらえなくなる。あの子はそう思っているのかもしれない。ギルド長室で数字を突きつけられた日から、ずっと。
口には出さなかったが、サリナが黙って見ていられたのには、もうひとつ訳があった。賭けの話が出る前から、夜明け前に外套を羽織って宿舎を出ていくミオの後ろ姿を、何度か見ていたのだ。行き先は魔境側の大門の詰所だろう。門灯までに戻らなければ、門兵がギルドへ走る。ミオなら、そのくらいの手筈は付けておく。森で一度つまずいても、そこで終わりにはならない。
(あなたも、たいがい過保護よ)
やがて、森でゴブリンと鉢合わせしたらしい、という話がホールに回った。
掲示板の前でその話が出たとき、ドルグは腕を組んだままだった。翌朝、宿泊施設の戸はやはり同じ刻限に開いた。
「……肝だけは、据わってやがる」
それが、ドルグの短い評だった。
その夜のことだ。食堂の長机でまだ登録して間もない若い男が、離れた席の白い髪を顎で指した。
「あれ、穢れ持ちってやつじゃねえのか。白い髪に赤い目なんざ、うちの村じゃ——」
「おい」
木の椀を置く音が、それを断ち切った。ドルグだった。
「うちの支部じゃ、髪の色で依頼は片づかねえ。片づけてから口を利け」
若い男が言葉を失くし、慌てて汁物へ顔を戻す。長机の端で、サリナがスプーンを止めた。ミオは目を見開いたまま、ドルグのほうを見ている。その口から、小さな声がこぼれた。
「……ドルグさん」
「礼を言われる筋合いじゃねえ」
ドルグは椀を持ち上げ、こちらを見もせずに言った。両隣を固められた小さな影が、椅子の上でこくりと頭を下げる。
「……ありがとう、ございます」
「聞こえてねえよ」
ドルグは片手を上げて振り、それきり自分の酒に戻った。サリナが小さく吹き出し、ミオが袖でそっと目のあたりを押さえた。
▽ ▽ ▽
半月ほどが過ぎた夜、ギルド長室に三人が集まった。
机の上には納品の台帳が開かれている。ミオが指で日付の列をたどりながら、ゆっくりと口を開いた。
「昼前に、窓口へ来ます。それが、このところずっと続いています」
「半日で採集袋を一杯にしている、ということか」
「はい」
オグマは台帳を引き寄せ、記帳の並びを目で追った。銅貨四枚。銅貨四枚。同じ数字が、途切れずに縦へ連なっている。
「慣れで埋まる差ではありません。場所を覚えても、次の日には役に立たない仕事ですから」
サリナが静かに言った。
部屋がしばらく静かになった。オグマは指を組み、机の一点を見たまま口を開いた。
「あの子が言っていたのは、自分のことが分かる力だったな」
「はい。『己識』と」
「自分のことが分かる力で、薬草の在り処までは分かりません」
サリナが後を継ぎ、そこで言葉を切った。三人とも、その先を口にしなかった。
「詮索はするな」
やがて、オグマがそう決めた。
「あの日の約束は、本人の意思を確かめたうえで相談する、だ。……話す気になれば、あの子のほうから言う」
「……はい」
ミオが頷き、それから思い出したように顔を上げた。
「ギルド長。先日の、森の一件ですが」
「ゴブリンの話か。サリナから粗筋は聞いている」
「はい。……その先を、直接お伝えしておきたくて」
ゴブリンが目の前まで来て、目が合って、それでも横をすり抜けて去った。一度も振り返らずに。ミオがそう話し終えると、オグマは長いあいだ返事をしなかった。
「……聞いたことがない」
「私もです」
サリナが言い、ミオも首を横に振る。
「人を見て襲う話なら、いくらでもあります。逆は、ありません」
「森で拾った幸運を、実力と取り違えなければいいがな」
「取り違えていません」
サリナが即座に返した。
「あの子は、『次は、もっと早く気づきます』と言いました。見逃されたのを、自分の力だとは思っていません。……その翌朝も同じ刻限に門を出ていきましたから、肝が据わっているのは確かですけれど」
オグマの喉の奥で、短く笑うような音が鳴った。
「ホールの空気は」
「変わりました」
サリナは背筋を伸ばして答えた。
「白いの、と呼ばれています。通れば道を空けます。……最初にあの荷車を通したときとは、空け方が違いますけれど」
オグマは頷き、台帳の数字へ視線を戻した。
「銅貨四枚だ。手数料の分に見合うまで、何日かかる」
「数えました。二百五十日です」
「二百五十日、かかると思うか」
「思いません。……根拠はありませんけれど、銅貨四枚のままでは終わらない気がします。そのうち、何かしでかしそうで」
「俺もだ」
サリナとミオが、そこで初めて顔を見合わせて笑った。
二人が退室したあと、オグマは机の隅に置かれていた閲覧記録の帳面を引き寄せた。資料室の閲覧記録だ。サリナが上げてきたものだった。
頁をめくる。日付の列に、同じ拙い字がいくつも並んでいる。夜の分がしばらく続き、そこへ昼の分が混じり始めていた。
オグマは指で列をたどり、最後の行まで来ると閲覧記録の帳面を閉じた。表紙を一度掌で押さえてから、扉の脇の棚へ戻す。
廊下を、遅くまで残っていた職員の足音が通り過ぎていった。オグマは灯りを落として、部屋を出た。石の廊下に、扉の閉まる音が短く響いた。




