87話
大関の力昇岩と天手力男神の取り組み。
両者が土俵に塩を撒いている姿を見て、手水舎が解説を入れた。
「ここまでの対戦を見るに、天手力男神は力押しを好んでいるようです。一方で力昇岩関は技巧派として知られる力士。力対技の戦いになるでしょう」
「天手力男神が力尽くで勝つか、力昇岩の技が勝るかの勝負ってわけだね」
勝負の見どころを理解し、満景は土俵に目を向け直す。
土俵中央で両者が拳を地につけ、行事が軍配を掲げる。
「はっけよい!」
行事の掛け声が走り、力昇岩と天手力男神が前に出る。
ここで、天手力男神が今までと違う手を使った。力昇岩に向かって、突っ張りを放ったのだ。
天手力男神は、日本神話における、剛力無双の神。その力による張り手を食らえば、人など土俵の外に弾き飛ばされてしまうことだろう。
迫りくる、剛腕の突っ張り。
それに対し、力昇岩は自身の腕を巧みに動かして、突っ張りを斜め上へ弾き飛ばした。更には、弾かれた突っ張りで開いた空間に、自分の体を捻じ込んでいく。
「上手い。これで天手力男神は、体勢不利な状態で組まざるを得なくなりましたわね」
手水舎の解説の通り、天手力男神は片腕を上にあげた状態で、力昇岩に回しを取られてしまっていた。
力昇岩は有利な形の状態でいるうちにとの判断か、即座に投げを打とうとする。
これが普通の相手――いやさ幕内力士であっても、不利な体勢で受ける力昇岩の投げに耐えられはしなかっただろう。
しかし天手力男神は、跳ね上げられていない方の手で力昇岩の回しを掴むや、力任せの強引さで力昇岩の投げの動きを止めさせた。
投げが不発に終わった。
だが力昇岩は、技巧派として大関にまで上った力士だけあり、即座に投げの失敗に対応する。力昇岩は投げを止めるや天手力男神に密着して、有利な体勢を保持した。
これで天手力男神は、片腕を上にあげた状態になったまま、もう片方の腕だけで取り組みを続けざるを得ない。
圧倒的に力昇岩が有利な状況が続いている。
だが力昇岩は、ここで決着を焦らなかった。
ゆっくりと手と足を動かして、更に有利な体勢に移行しようと努める。
天手力男神は身体を動かして、その力昇岩の企みを邪魔しようとした。それでも力昇岩の手は回しから外れず、体勢の移行も順調に進んでいく。
このままでは確実に負けると分かったのだろう、力昇岩の体勢のリセットを狙うように、天手力男神が片手だけで強引な投げを打った。
片手だけとはいえど、剛力無双の神の腕力だ。ぐいっと力昇岩の身体がつんのめり、危うく投げられそうになる。
しかし力昇岩は、ぐっと腰を落として体勢を低くして投げを耐えると、強引な投げを打ったことを叱責するように、さらに自身が有利になる組み方に変えた。
これ以上はないというほど有利な体勢が取れたところで、力昇岩は天手力男神を押した。
体勢が完全に不利な天手力男神は、あっさり後ろへと押されていく。
力雄が渾身の力を込めても、ほんの少ししか下がらせることが出来なかったことが嘘のように、どんどんと土俵の端へと下がっていく。
「「「おおおおー!」」」
このまま決着かと、観客から期待の声が上がる。
だが天手力男神が、あっさりと負けるはずがなかった。
土俵際に至る前に、天手力男神は両足の力でもって、力昇岩の押し込みを止めてみせた。
完全に後退が止まる――その直前に、力昇岩は次の動きを見せた。掴んだ天手力男神の回しを引き寄せながらの投げを打ったのだ。
力雄の取り組みの最後のように、踏ん張り一辺倒になった体勢の隙を突く投げ方。
天手力男神の両足が、確実に土俵を離れて空中に浮かんだ。
「「「「おおおおお!」」」
再び観客から決着を期待する声が上がる。
しかしここで、天手力男神は自身の右足を土俵に突き刺さんばかりに力強く土俵を踏みなおすことで、投げを堪えてみせた。
見事に耐えきったが、天手力男神は片足一本の不安定な体勢だ。
力昇岩は投げの体勢を即座に変えて、自身の足で天手力男神の地に着いた足一本を刈り取る内掛けを放った。
天手力男神の地に着いた片足が払われ、座り込むような体勢で、その体が沈もうとする。だが、自由なもう片方の足を即座に動かして土俵をつま先で踏みなおすことで、どうにか尻もちを着いて敗北する未来を防いだ。
だが天手力男神の体勢は、半腰の状態で背を仰け反らせながら、片足のつま先だけで立っているだけ。
まさに死に体を表したような状態。
あとほんの少し押せば――それこそ体重を預けるだけで勝てそうに、満景にも見えた。
しかし手水舎は、意見が異なるようだ。
「体を預けたら、うっちゃりを食らいますわよ!」
手水舎の目には、天手力男神が起死回生の一手を狙っているように見えたようだ。
改めて考えれば、天手力男神は剛力の神なのだから、片足かつつま先足立ちであっても、人一人を投げ飛ばすことなど簡単に違いない。
そして手水舎の警告は、一瞬の勝負である相撲の中では、土俵に届くまでに遅すぎる。
だから、力昇岩が次に見せた動きは、手水舎の言葉とは何ら関係のないはずだった。
しかし手水舎が警告した通りに、力昇岩は天手力男神に体を預けることはせず、天手力男神の右足に自身の左足を絡ませた状態での引き投げ――掛け投げを放った。
片足のつま先というギリギリの極みの状態で食らった投げは、天手力男神であろうとも耐えきれるものではなかった。
土俵の上に引き倒されるようにして、天手力男神は腹ばいに倒れた。
力昇岩の勝利と、天手力男神の敗北が決定した瞬間だった。




