85話
力雄と天手力男神が相撲を取る。
友人の土俵入りに、満景たちは力を込めて応援しようとする。
しかし、土俵周りの雰囲気を感じて、揃って首を傾げ合った。
「なんだか、さっきまでの空気と違い過ぎない?」
「そうですわね。なんだか、緩い雰囲気に変わったような?」
「なんてーか、授業参観日の親の雰囲気っぽくない?」
「食べ飲みを始めて、休憩のような流れになってますね?」
「アイツ、この神社の息子なんだろ。なら氏子連中は、息を飲んで見守っても良いと思うんだが?」
そう口々に疑問をぶつけ合っていると、近くにいた氏子の年配女性が笑い顔で近寄ってきた。
「神社の坊ちゃんのお友達からすると変に思うだろうけどね。でも、わたしらは、あの子と神さんとが相撲を取るのは、見慣れちまってるから」
「見慣れている?」
「知らないのかい? 坊ちゃんは幼い頃から、ほぼ毎日、学校に行く前の早朝に、神さんと相撲を取っているんだよ。だから祭りの晴れ舞台での相撲とはいっても、坊ちゃんの取り組みは特別な感じがしなくてねえ」
そういう事情なら仕方がないと、満景たちは納得敷いて土俵へ視線を向けなおした。
相撲の取り組みが始まるとは思えないほどに、緩い空気が流れている。
それでも土俵の上にいる一柱と一人の表情は、真剣そのもの。
毎日相撲をとっている間柄であっても、忖度の一切ない真剣勝負だと、その表情が語っている。
両者の雰囲気に当てられたのか、それとも職業倫理から真面目にしているのか、間に立つ行事の表情も真剣だ。
「はっけよい!」
行事から掛け声が放たれ、天手力男神と力雄が互いに向って突進する。
どすんっと、乗用車が衝突し合ったような音が響いた。あたかも、緩い雰囲気を吹き飛ばすように。
土俵周りの観客は目を丸くして、土俵に目を向けなおしている。
一方で、土壌で戦っている両者は、衝突の後にすぐ回しを掴み合って、身体をくっ付けていた。
天手力男神と力雄は、毎日相撲を取っていることから、相撲において師匠と弟子のような間柄である。自然と、両者の取り組み方も似通うのが道理だ。
天手力男神と力雄は、お互いに両腕の筋肉に力を込めて、引き付け合う。
ぎりぎり、みしみしと、万力を発揮している腕からなのか、それとも互いに押し合っているからだからか、はたまた掴まれている回しからなのか、音がしている。
両者は発揮している力を一切抜かず、膂力のみで相手を打倒しようとしている。
今までの挑戦者たち、力士を含めても、これほどに力比べをすることはなかった。
先ほどまで緩い雰囲気を発していた観客たちは、力と力のぶつかり合いをしている両者に目が釘付けになっている。
満景たちも、応援する声を忘れるほどに、取り組みに集中する。
ここで、手水舎が口を開いた。
「状況が動く」
予言のような言葉だったが、その通りに天手力男神と力雄の体勢に変化が現れた。
天手力男神が回しを掴んでいる腕を引いて、投げを打とうとする。
しかし天手力男神の身体が動きを見せた瞬間、力雄が身体でぶつかることで、天手力男神の身体の初動を制止した。
投げを打とうとした動きの分だけ、天手力男神の体勢が崩れる。
力雄は、その隙を突くように、天手力男神の身体を土俵の外に押し込もうとする。
しかし天手力男神は素早く体勢を立て直すことで、押される距離を最小限に留めることに成功する。
再び力比べが始まり、今度は長時間、その状態が続く。
互いに、投げる隙、押し込む隙を探りながら、相手の動きに即反応できるように気を張り続けている。
その攻防の中で、力雄の身体は活発になった血の巡りによって全身が真っ赤に。
天手力男神の方は、全力を出せることを嬉しがるように、いままで以上に神気を発生させている。
それでも膠着状態が続いていき、行事が「はっけよい」と声を上げ続ける。
どうなるのかと観客が見守っていると、急に拍子木が一つ鳴らされた。それと同時に、行事が両者に近寄り、その背に手を置いた。
直後、両者はまるで彫像に変わったかのように、駆け引きの動きの一切を止めた。
「行事が両者の形を入念に調べて覚えている様子から、水入りという短時間の休憩に入るのでしょう」
手水舎の解説の通り、行事が体勢を覚えたと頷くと、天手力男神と力雄は組み合っていた体勢を解き、土俵の端へと移動した。
そこには手桶と柄杓を持った氏子がそれぞれいて、天手力男神と力雄はそれぞれに柄杓の水を口に入れて休憩する。
満景は、その光景を見ながら、この休憩は力雄にとって有利か不利かが気になっていた。
天手力男神の様子は、これまでに多数の取り組みを行ってきたはずなのに、疲れた様子が一切ない。
一方で力雄は、水入りまでの組み合いで体力を大きく消費したのか、全身が真っ赤だし呼吸も激しく、大汗もかいている。
「体力回復を図れるという意味では、力雄にとって良かったのかな?」
「そうとも言い切れませんわよ。水入りで集中が途切れ、これまでの取り組みが嘘だったようにあっさりと敗北することはよくあることですもの」
「……やっぱり、手水舎さんって相撲好きなんじゃないの?」
「上流階級者の嗜みだと言ったでしょうに」
そんな受け答えをしている間に、水入りの時間が終わったようだった。




