64話
満景だけでなく他の面々も、怠け者の龍をマンションの外に出す方法を思いつかないようだ。
鬼瓦先生は、生徒たちが考えが浮かんでいない様子を見て、話を再開する。
「お前たちは覚えがないか。家でダラダラしていて、親に怒られて仕方がなく行動を始めるような、そんな体験が」
多かれ少なかれ覚えがあるため、生徒一同は頷いて肯定する。
「なら、あの怠けている龍も、親に怒られたら空を泳ぐのを再開するとは思わないか?」
道理を考えれば、鬼瓦先生の言い分は合っているように感じる。
しかし問題が一つある。
「どうやって、あの龍の親を連れてくるおつもりなのでしょう?」
手水舎が口にした疑問に対し、満景はその通りだと頷く。
この近所に怠け龍の親龍がいるのなら、既に親からの怒られが発生して、怠け龍は空に戻ってないといけない。
そうなっていないのだから、親龍は近くにいないことが自明である。
そして、何処にいるかもわからない親龍を呼ぶなんて、非才な人の身では至難でしかない。
満景が実現不可能な方法のように感じていると、鬼瓦先生は生徒側の勘違いを正すように喋り始める。
「いいか。別に親龍を呼び出す必要はないんだ。お前らだって、親が目の前にいなくたって、スマホから親の声で怒られたら、姿勢を正すだろ?」
「それはそう――でも、親龍の声なんて、知り様がないんじゃ?」
親龍の連絡先を知らなければ、怠け龍に声を届けることはできない。
しかし鬼瓦先生は、親龍の居所を知っている必要はないと首を横に振る。
「重要なのは、怠け龍に親龍が来たと錯覚させることだ。スマホの音声よろしく、実物である必要はない」
「?」
何を言っているのかと、満景が首を傾げる。他の生徒たちも、語れた意味を掴み損ねた顔になっている。
鬼瓦先生は、何が理解されていないか分かっていない顔をして、そして唐突に理解が及んだ表情になる。
「スマホの音声は、本物をデジタル変換した後に決まった音のパターンを組み合わせて合成した声だ。だから通話で耳に入る声は、本物の声じゃないんだぞ」
「「「へえ~」」」
新たな知見を示したところで、鬼瓦先生は話を元に戻す。
「要するに、怠け龍に起こり顔の親が来たと錯覚させることができれば、自ずと空に戻っていくってわけだ」
鬼瓦先生は、懐から一つの物体を取り出す。
それは、一見するとチェスの駒のように見えた。
しかし駒の頭には、精巧に彫られた龍の頭がある。そしてその頭は、とても怒っているような表情をしていた。
「これは『龍頭の像』という、龍を追い払うのに使う呪具だ」
生徒たちは、龍頭の像に近寄って、しげしげと見る。
その後で、小里が疑問の声を上げる。
「こんな小っちゃい像で、あの怠け龍が怯えるとは思えないんだけど?」
「確かに、この像を置いただけじゃ、龍が怯えて逃げるなんてことにはならないな。呪具からには使い方というものがある」
鬼瓦先生は龍頭の像を、なぜかギヤマンに押し付けた。
その直後、ギヤマンが急に膝の力が抜けたようにしゃがんだ。
「ぐあっ。力が、吸い取られた……」
立てない様子のギヤマンに、鬼瓦先生が心配するなと告げるように言う。
「お前の身体に溜まっていた龍気を、この龍頭の像が吸い取っただけだ。立てないのは、龍気で限界以上の力を発揮した反動だな」
鬼瓦先生は、ギヤマンから離した龍頭の像を持ち直すと、マンションの部屋の中に入っていく。その際、満景は見た。ギヤマンから龍気を吸い取った像にある龍の頭に、生き物のような艶感が生まれていることを。
鬼瓦先生は、寝ている怠け龍の前の床に龍頭の像を置くと、部屋の外に出てきた。
「あとは、あの龍が発する龍気を像が吸っていき、そして龍の頭が現れる」
その説明の通りに、部屋の外にでてくる龍気が全くなくなった。 さっきギヤマンが龍気を身体に取り込んだ時のように、龍頭の像が怠け龍が発する龍気を全て取り込んでいるのだ。
そして龍気を龍頭の像が取り込むに従い、段々と龍頭の像の存在感が強くなっていく。
最初は単なる物体としての存在感しかなかったのに、龍気を取り込む時間を経るに従って、まるで新たな龍が生まれたかのような圧迫感がでてくる。
その圧迫感は、寝ている怠け龍も感じるのだろう、寝にくい様子で身じろぎしている。
そして龍頭の像が龍気を規定量取り込み終わったのだろう、呪具としての効果が発生した。
龍頭の像にある龍の頭が突如大きくなったかと思うと、リビングの床から天井を埋めるほどに巨大な龍の頭が出現したのだ。
マンションの部屋の出入口にいる満景の目からは、発生した巨大な龍の頭の後頭部しか見えない。
しかし、その後頭部から放たれる威圧感は凄まじく、大きなトラックが目の前に迫ってくるような幻視を覚えるほど。
もしも真正面からあの龍の頭に相対したら、きっと今感じているもの以上の威圧を感じることだろうと、満景は思う。
そんな強烈な威圧感を、恐らく怠け龍も感じたのだろう。
怠け龍は眠り難さに不機嫌になった様子で身じろぎを大きくすると、瞼を開けて威圧感の正体を見ようとする。あたかも、不躾に威圧を与えてくる相手を見定めて、逆に威圧し返してやろうと考えているかのように。
そして怠け龍は目にした。
目の前に、自分のものよりもはるかに大きな、龍の頭を。
「ピギャーー!」
自分の寝床に別の龍がいることに驚いた声を、怠け龍は上げた。
その声に反応する形で、巨大な龍の頭が声を発する。
「ビィィギィアアアアアアアアア!」
怠け龍が発した声を百倍にしたような大音声を、巨大な龍の頭が出した。
すると怠け龍は、サボっていた姿を親に見られて怒られた子供のように、巻いていたとぐろを急いで解くと、バタバタと窓の外へと逃げ出した。
きっちりと閉まっていた窓のガラスを、怠け龍は透過するようにすり抜けると、そのまま外へ。そして上空へと飛んで逃げていった。
怠け龍が逃げ去る物音がし終わってから三分後。リビングを占領するように発生していた龍の頭が、まるで砂細工だったかのように崩れ落ち、そして崩れた部分が空気に溶けるように消えていく。
そうして残ったのは、龍の頭の部分が粉々に砕けた、龍頭の像だった。
その龍頭の像の残骸を、鬼瓦先生が拾い上げた。
「つーわけで、任務達成だ。あとは、あの怠け龍が部屋に戻って来ないよう、窓に呪をかければアフターフォローもバッチリになる」
楽勝だったと笑う鬼瓦先生には悪いものの、さんざん頭を悩ませても解決法が見いだせなかった龍が、ああも慌てふためいて逃げていった姿に、満景はやるせなさを強く感じたのだった。




