6話
満景はクローゼットの中に何もなかったことに愕然とした後で、咄嗟に悪霊の方を向いた。
悪霊は、灰色の霧になって紙の人形に集まっていたのに、頭だけが人の形に戻っている。そして顔が、一直線に開かれたクローゼットの方を向いていた。
(次の行動に移る前に対処しないとヤバそうだ)
満景は、手に残る二つの紙の人形の片方に、ふぅっと息を吹きかける。
これは『生息の法』と呼ばれる、人形に生者の息を与えて生気を纏わせることで、悪霊の注意を強く人形に向けさせるもの。
満景は、生息の法を与えた人形を、今度は部屋と玄関とを隔てる扉へと投げた。
あたかも、悪霊の存在に気付いた人間が部屋の外に逃げようとしているかのように。
人形が扉の方へ飛ぶと、悪霊も再び灰色の霧となって素早く移動する。そして即座に人形を捕らえて、人形を端から灰色に濡らしていく。
(悪霊が惑わされているうちに)
何もないように見えるクローゼットを、満景は改めて調べる。大きく動くと悪霊に感付かれてしまう可能性があるため、心の中では急ぎながらも、身体はゆっくりと動かす。
クローゼットの壁や床を、目と手で調べていくが、悪霊が住みつくような何かがある感じはない。
そして最後にクローゼットの天井を見ると、外からの光から隠れる位置のため見難かったものの、一部に外れそうな部分があるのを発見する。
満景はゆっくりとクローゼットの中に入り、その外れそうな天井の一部に手を当てる。
瞬間、『バチン』と音が鳴った。
静電気が発生した音を、もっと大きくしたような――ラップ音と呼ばれる音だった。
満景がハッと後ろを振り返ると、灰色の霧がクローゼットの前にまで来ていた。
その霧からは、ビリビリと肌に感じられるほどの、強い怒りが放たれている。
満景は咄嗟に、手にある最後の人形に呪力を込めると、呪言と共に灰色の霧へと投げつけた。
「急々如律令」
術具の効果を早急に発言させるための、大陸由来の呪言。
その呪言は即座に適応され、投げはなった人形が急速に人の形へと変化する。
人形の変化した形は、表情が抜け落ちているかのような無表情ながらも、持ち主である満景と瓜二つ。
悪霊は目の前に現れた満景の人形へと集り、ゆっくりと箸から灰色に変えていく。
満景は呪力を使った疲労を感じつつ、とりあえず身代わりが立ったことに安心しつつ、早くクローゼットの天井裏を確かめるべきだと判断する。
(あの人形が破壊されるまでに、悪霊がこの場所にこだわる何かを見つけないと)
再び満景が天井の外れる部分に手を当てる。
灰色の霧は人形に集まり続けていて、満景の方に注意を払う様子はない。
それでも満景は、ゆっくりとクローゼットの天井の一部を外し、天井裏へと手を伸ばした。
右に左にと手を動かしていると、なにかが手に触れた。
それは紙のようなもので、表面がツルツルとしていた。
満景はそれを手指で掴むと、天井裏から引っ張り出した。
果たしてそれは、一枚の写真だった。
どこかの観光地と思われる場所で、山登りの格好をした年若い二人の人物が笑いあった姿で映っている、そんな写真だった。
(あの悪霊が写真に入り込んでいるわけじゃないし、他に霊が写っているわけでもない)
ということは、この写真に写る二人の人物のうちの片方が、あの悪霊ということになる。
しかし、悪霊が執着するほどに重要な写真であるとも思えない。
(恋人同士で片方が死別して悪霊になったとかかな。それなら悪霊化したのも納得だけど……)
恋人二人がこのマンションの部屋で暮らしていて、片方が死亡。
生きている方が、恋人の思い出がある場所は辛いからと、部屋を引っ越した。
しかし死んだ方は、この部屋に恋人がもどってくると思い、そしてクローゼットの天井に隠した写真を繋がりとして残り続けた。
だから新たな入居者が部屋に入ってくると、この部屋は自分と恋人の場所だと、悪霊が威圧を放って退去させようとしてくる。
恐らく悪霊の事情は、そんなところではないかと、満景は判断した。
(となると、悪霊の心残りは、恋人のところに戻りたいってところかな。それなら手伝いはできる)
満景は懐からボールペンを取り出すと、写真の裏の右下の隅に『土』と書いた。
これは漢字に見えるが、その実は人の形を簡略化したもの。
どうしてそんなものを描いたかというと、満景がこれから行うことに必要だから。
「悪霊よ。お前の核たる写真は、この手にあるぞ!」
満景が認識逸らしの札を手放しながら声を発すると、悪霊は人形から満景へと霧の状態で飛び掛かってきた。
満景は写真の裏を掲げながら、素早く呪言を唱える。今度のものは、真言と呼ばれる、この世の古き神の力を想起させるもの。
「ナマハ・カーリカーイェー・タラーナ・オーム!」
破壊と創造を司り、そして悪い縁を祓う力を持つ女神の真言――満景はそれを順番を逆さに読んでいた。
日本の言霊は、逆から読めば、本来持つ力とは逆の力を発揮するもの。
つまり満景がいま唱えたのは、悪い縁を引き寄せて創造も破壊も不可能にする、という内容の呪言。
その呪言の影響は、即座に写真と灰色の霧の悪霊に発揮された。
灰色の霧の悪霊が、写真の裏の右下隅に描かれた『土』の部分に吸い込まれていく。
やがて全ての悪霊が写真に移ったところで、写真からもの凄い呪力が発揮される。その呪力は、明らかに何かを悪く呪うための力だ。
「ふぅ。これで、この写真は。この写真の中にいる人物にだけ、呪いは降りかかる呪物になった。あとは」
満景は写真を手に持ちながら、部屋の窓を開けてベランダへ。
「おい悪霊、よく聞け。お前はこれから、この写真と共に、お前の会いたかった者に会いにいけるようになった。会いに行き、目的を果たしせ。目的が果たし終えれば執着が消え、心安やかに成仏の道を歩くことができるはずだ」
満景は説教のような言葉を呟き終えると、写真から手を離した。
その瞬間、大木を吹き倒しそうなほどの強風が吹き、空中にあった写真を上空高くへと持って行ってしまう。
満景は写真の行方を目で追うものの、すぐに何処に行ったか分からなくなった。
ベランダから戻り、部屋の中に入る。
悪霊を写真に込めて放ったからか、部屋の中はすっかりと普通の状態に戻っていた。




