5話
満景は、制服の内ポケットから紙を人の形に切った形代――人形を三枚取り出すと、そのそれぞれに舌を這わせた。
それから、その人形の裏側に、ボールペンで自身の名前を書いた。
その三枚の人形を片手に持ちながら、満景はキッチンへと移動。そこの棚の天板に貼られていた、認識逸らしの札を剥がし、もう片方の手で保持した。
認識逸らしの札がキッチンから満景に移動した瞬間、満景の背中に氷を入れられたような悪寒が走った。
(僕が認識逸らしの札を持ったから、悪霊が急にキッチンを知覚できるようになった。部屋から続くキッチンだから、領域に取り込もうと動くみたいだ)
満景は部屋のクローゼットに目を向ける。
ツい先ほどまでと、部屋に入る日の光りの強さは変わっていないはず。
それにもかかわらず、満景が悪寒を感じた瞬間から、部屋の中が一段階暗くなったような感じがしている。
その暗く感じる原因は、満景の猫目の印を行った方の目の視界で把握できる。
閉め切っているクローゼット。
その合わせ目の隙間から、灰色の霧のようなものが滲みだし、それが部屋に充満しつつある。
霧の濃度が高くなればなるほど、窓から差し込む光が暗く感じてくる。
その霧が、満景の目で向こう側を視認できないほど濃くなったとき、霧がひとりでに一ヶ所に集まり始めた。
霧は、最初に髪のある人の頭を、それから首、形、胸元と腕、腰、足を形作っていく。しかし足首から先は、灰色の霧の状態のまま、それ以上の形にはなっていない。
日本古来から伝わる、足のない幽霊の登場だが、満景は古典的なその見た目を笑う気になれなかった。
(霧から人に変化する悪霊は、何らかの条件で凶暴化のスイッチが入るタイプだ。刺激しないようにしないと)
満景は警戒感を強めると、足音を立てないようにゆっくりとキッチンの外へと移動した。
すると霧から人の形となった悪霊は、床の上をゆっくりと滑るように、クローゼット前からキッチンへと移動し始める。
満景は、悪霊の進路から外れる位置で息を殺し、悪霊がキッチンの中に入るのを待つ。
悪霊がゆっくりと、満景の近くにやってくる。
悪霊は、満景が認識逸らしの札を持っているからか、満景の方を少しも見ようとしない。
両者がすれ違う際に、満景は悪霊を間近でみることができた。
その顔の造詣は、前髪も後ろ髪も肩まで達しているため、髪に隠れてはっきりしない。体つきにしても、人の形を持ってはいるものの、輪郭が周囲に滲んでいるかのように曖昧で、男性か女性かも分からない。
ただ、悪霊の身体から発せられている、大きな負の感情だけは、満景に伝わってきた。
(深い悲しみと、少しの怒り。一体何に対してだろう)
満景は疑問を抱きつつ、悪霊がキッチンに入り込んだのを見て、静かにクローゼットへと移動する。
キッチン脇から、ワンルームの部屋の床へと移動。
先ほどは、満景が踏み入ったら、すぐさま悪霊からの威圧が飛んできた。
しかし今回は、満景が認識逸らしの札を持っていることと、悪霊の意識がキッチンに向いているからだろう、威圧はやってこなかった。
ゆっくりゆっくりと動き、程なくしてクローゼットに到着。
ここで悪霊の位置を確認。キッチンの奥へと移動して、何かを確認している様子でいる。
悪霊の意識が他に向っているうちにと、満景はクローゼットの取っ手に手をかけた。
その瞬間、キッチンの方から満景に向かって、強い威圧の波動がやってきた。
満景がキッチンへと目を向けると、悪霊の顔の正面が満景の方を向いている。
(見られた? いや、認識逸らしの札があるから、僕の姿を悪霊は認識できていないはずだ)
だが、悪霊の縄張りの核ともいえるクローゼットだからこそ、誰かが触れれば即座にわかるのだろうと、予測がついた。
満景は、手に握っている三枚の人形の内の一枚を、クローゼットがある方とは反対側の壁に向って投擲した。
投げられた紙の人形は、まるで紙飛行機かのように空中を滑空して、満景が狙った場所へと到達した。
その人形が床に落ちた瞬間、キッチンの中にいた悪霊が濃い霧に変化した。そして、その霧の状態でキッチンを乗り越えると、床に落ちた人形に殺到した。
(身代わりの人形は上手く作用している。けど、余り悠長にはできないみたいだ)
床の人形は、灰色の霧に集られているからか、じわじわと白色から灰色に変わりつつある。その中でも濃い灰色となった部分は、古紙のようにボロボロに崩れ出していた。
満景は、あまり時間がないと判断して、クローゼットを勢いよく開けた。
すぐに中を確認するが、クローゼットの中身は空っぽだった。




