4話
曇りガラスを開けた先は、広い一室になっていた。
カーテンがなくて、外の光がふんだんに入ってきて、部屋の中が明るい。
満景は、部屋の中を一通り見回すが、霊視を行っている目でも悪霊の存在を見ることができない。
しかしながら、部屋の中には異質な圧力が充満していて、悪霊の存在が確実にあることが窺えた。
部屋に入ってすぐ横に、オープンキッチンがある。銀色に光るシンクは乾いていて、調理道具を修める棚の扉もキッチリと閉じている。
このキッチンに、悪霊の気配はない。
(万が一の際の確認は必要だ)
満景は、棚を一つ一つ開けて、中を確かめることにした。もし悪霊との戦闘が起こった場合、戸棚の中に鍋や包丁などがあると、悪霊がそれらを霊障で操って投げつけてくる危険性があるからだ。
最初の棚を開く。なにもない。
次の棚を開く、なにもない。
次の棚を開く。扉に備え付けた包丁ラックがあったが、中は空だ。
全ての棚を開けて、中身が何もないことが確認できた。
これで霊障が起こっても、キッチンから何かが飛んでくるという事態は避けられる。
開いた棚を全て閉じ直してから、満景は部屋の奥へと進むことにした。
キッチン脇から、部屋の中に踏み出す。
その瞬間、満景の身体を悪寒が貫いた。
悪霊の縄張りに踏み入ったと、満景の身体が直感を働かせたのだ。
満景は、そっと踏み出した足を下げた。
その足がキッチン脇まで戻ると、感じ続けていた悪寒がスッと消え去った。
「……ふぅ~」
満景は一息入れてから、キッチン脇から出ないようにしつつ、部屋の中へと視線を向ける。
綺麗に掃除されているうえ、物もないので、何かしらの怪しげな物品がある様子はない。
日の光を取り込む窓の外へと目を向けると、廊下で見たのと同じように、多数のオーブが窓ガラスの向こうに存在している光景が見えた。
(あの窓の外ではなく、部屋の中に悪霊はいる)
満景は確信を深めつつ、悪霊の存在がどこにいるのかを視認しようと試みる。
しかしキッチン脇から見る限り、悪霊が部屋の中にいるようには見えない。天井も確認するが、そこに悪霊の姿はない。
そうなると、悪霊がいると考えられるのは、部屋の片面を覆っている広いクローゼット。
そして、そのクローゼットを開けるためには、悪霊の領域である部屋の中に踏み出す必要がある。
「……急ぐ必要はないんだ。ゆっくり確認しよう」
この部屋にいる悪霊は、領域に踏み込まない限り悪さをしてこないタイプだ。この一室の他の場所を探し回っても、満景に危険は発生しない。
(この悪霊が住みついた原因が必ずある。前居住者との怨恨が考えられるけど、そうだとすると腑に落ちない)
居住者を呪う類の悪霊だった場合、玄関に入ってすぐに反応があることが普通だ。
部屋の中まで踏み込んでくるのを待っていたら、勘のいい人物なら部屋の空気が変だと気付いて中に入って来なくなる。そうなっては、悪霊の居住者を害するという目的が果たせなくなる。
(ワンルームの部屋に踏み込むまで何もしてこないってことは、あの部屋に執着していて、それを邪魔するものを排除しようとsちえいる、ってことだろうけど)
なにもない部屋の何に、悪霊は執着しているのか。もしかしたらクローゼットの中に、何かが残っているのだろうか。
しかし、満景はいきなりクローゼットに突撃する決心がつかない。
悪霊の領域に踏み込むということは、確実に悪霊から攻撃されることに繋がる。
そして満景は、高校生になる前の年齢ながらにして、占いの館の師匠の手伝い等で、悪霊を祓ってきた経験を持っている。しかしながら、好んで悪霊と戦うほど、無謀でも高専的でもない。
(とりあえず、他の選択肢を潰すためにも、もう一度他の場所を見て回るべきだ)
悪霊と戦う決心を固めるためにも、満景は改めて部屋の他の場所をもう一度詳しく調べることに決めた。
まずはオープンキッチンを調べていく。
ワンルームマンションの部屋で、悪霊が縄張りとしている場所と地続きになっている場所のに、悪霊はこのキッチンに入った者に見向きもしていない。
(もしかしたら、キッチンのどこかに悪霊避けのお札とか印とかがあるかもしれない)
壁、シンク、戸棚の内外に、換気扇をも調べていく。
その探索の中で、戸棚の天板に一枚の札が張られているのを見つける。
満景はスマホのライトを点けて札を照らし、そして札を触らずに調べていく。
(札に書いてあるのは、文字じゃなくて絵図。神や仏の加護を得る者じゃなく、祓い師か呪術師が独自に作った札っぽい)
祓い師や呪術師は、各々に違った作法で霊能活動を行っている。
そのため、満景の知識の中に、札に書かれている絵図がどういうものなのかを推し量る知識はない。
しかし、このお札があったことで、一つ状況の把握が進んだ。
(悪霊の領域にキッチンが取り込まれていない点と、それでも霊障がオーブという形で外に漏れていることを考えると、札の効力は霊の認識逸らしだな。この術は本来、悪霊や妖怪に狙われている人に持たせることで、霊障から逃れるために使われるんだけど……)
それなのに、どうしてキッチンの戸棚の天板に貼り付けてあるのか。
(たぶん、この札を貼ったのは、以前の住民だろうね。知り合いの霊能力者だかに貰って、使い方を誤解して貼ったんだろうね)
この札は、悪い作用のないものではあるものの、発揮されている効果は部屋にとって意味の薄いものなので、後で剥がすべきものだ。
キッチンの再調査を終えて、満景はトイレと浴室を調べ直していく。
すると、トイレの戸棚の上、浴室の天井裏の検査口を開いた場所に、先ほど見つけた札と同じものがあった。
(もしかして、水回りに霊を寄せないために、認識逸らしの術の札を使ってる? もしそうなら、この札を作った霊能者は不勉強な人だね)
霊に場所を認識できなくするお札を使えば、確かに霊が水回りがあることが認識できなくて、水回りに集まってくることはなくなる。
けれど、そのやり方は、この部屋が霊の通り道――霊道に重なっていた場合のみの方法だ。
霊が部屋に入って来れないゆ結界を張ると、霊道を通る霊に悪影響がでるため、仕方なく行う苦肉の策だ。
この部屋のように、霊道でない場所ならば、力の強い神様の名や悪霊を退ける仏の名を記したお札を部屋の一画に飾って結界を張った方が、手軽に済ませることができる。
(ともあれ、お札が見つかりはしたものの、他のものはなかった)
やはり、あのクローゼットが霊障の肝だなと、満景は理解した。そして、どうやったら安全にクローゼットの中を調べられるだろうかと考える。
(凝ったことを考える必要はない。僕が突撃する決心すればいいだけだ)
満景は腹を決め、それでも心配を少なくするために、ある作戦を行うことにした。




