天冉の本気
生物が最も重要視するのは、子孫を残す事である。
どんな生物も、それをやめる事はない。
しかし人間は理性で性欲を抑え、多くの国で少子化に悩まされていた。
それは人間が、本来あるべき大切な事を忘れてしまっていると言えるのかもしれない。
人間も生物である以上、子孫繁栄が最も大切なのだ。
人間がその事をしっかりと理解していたら、また違ったストーリーがあったのだろう。
カナダでハチ公の一匹が、多くの働き蜂と共に人間を襲っていた。
その映像は、既にテレビでも報道が始まっている。
もう『一匹』と言うにはあまりにも姿が人間だな。
これからは『何人』と言った方がしっくりくる。
『町を襲うキマイラBの群れです!ハチ公の姿もあります!』
「とうとう現れたか。しかしカナダとは、全くの想定外だ」
キマイラBが人間に対して殺意を抱いたとして、まず狙うならそばにいる人間。
或いは攻撃してきた人間となるはずだ。
日本に来る可能性も考えてはいたけれど、理屈で考えればまずあり得ない。
なのにあり得ないはずのカナダにハチ公は現れた。
偶々なのか。
それともそこに理由はあるのか。
「それじゃあぶん殴りに行くの‥‥」
まあ狛里ならそう言うよな。
だけれどおそらく、殺しきらない限り戦いは終わらない。
「ちょっと待ってぇ~。カナダへは私が一人で行くわぁ~」
狛里に対する俺の不安を察してか、天冉がそんな事を言ってきた。
まず一対一なら天冉が負ける可能性は低い。
敵がハッキリしていて、一霊四魂の荒魂も確実に発動が可能。
みたまもついているし、あらゆる状況を想定して俺の次に適任と言える。
バンクーバに近い町だから、天冉なら十時間もあれば到着できるだろう。
被害を減らす為には速さのある狛里の方がいいけれど、カナダで確認されているハチ公は一人。
倒せないまでも数を相手にできる狛里はまだ温存しておきたい気持ちもある。
「俺は天冉が行く事に賛成かな。当然最悪は想定して一寸神は付けておく」
「策也ちゃんがそう言うならそれでいいの‥‥」
狛里は納得してくれたか。
「よし。それじゃ天冉。なるべくなら目立たないでほしいけれど、カナダのハチ公は任せた」
俺は赤炎の一寸神を召喚し、天冉の影に沈めた。
たしか虫系って炎系に弱かったよね?
一寸神でも荒魂を使えばハチ公を倒せる可能性はあるからな。
ただ俺の使う一霊四魂の荒魂は、オリジナルとは違い強化レベルが低いし安定性に欠ける。
戦闘面ではハチ公レベルが相手だと、期待しない方がいいだろう。
「任されたわよぉ~。面白くなってきたわぁ~」
天冉が本気で『面白い』と思っているのかは知らないけれど、ちょっと恐怖を感じた。
「それじゃぁ~楊ちん、空港まで送っていただけるかしらぁ~」
‥‥。
飛んで行く訳じゃないのね。
どっちにしても時間はそんなに変わらないか。
ならば飛んでいく意味はなかったな。
そんな訳で天冉はアーニャンを引き連れて萬屋から出ていった。
天冉が飛行機に乗って移動している間も、状況は刻一刻と変わってゆく。
まずはカナダのデンジャー部隊がハチ公に挑んでいるライブが報道されていた。
『無数の働き蜂が飛び交う中、カナダのデンジャー部隊がハチ公の一人を取り囲んでいます』
働き蜂の攻撃も、地味にデンジャー部隊の集中力を削いでいるな。
肉を持っていかれないように完全防御の服装も、戦闘には向いていない。
この程度のデンジャーではハチ公には勝てないだろう。
テレビカメラでは捉えきれないスピードで、ハチ公はデンジャー部隊の面々を倒してゆく。
動きを封じる能力、ダメージを与える能力、五感を惑わす能力と色々なデンジャーが魔法を駆使しても、ハチ公一人倒す事はできない。
結局カナダのデンジャー部隊は倒れ、何人かは仲間に回収されていたけれど、三人がその場に倒れたまま残され蜂の大群に肉を貪られていた。
ウンコに集るハエどころではなく、落とした飴ちゃんに集る蟻のようだった。
絶望のテレビ中継はスタジオに返され、今度は別の所が映し出される。
『カナダだけではありません。今度はなんと中国の武漢にハチ公が三人現れました』
「今度は中国か」
「それも三人。どうしてこんな遠くに三人も来るのかしら」
「今度こそ私がぶっ飛ばすの‥‥」
流石に三人相手だと、俺以外なら狛里しかないよな。
「狛里は奴らを殺せるのか?あいつらは殺さなければならない相手だ」
モニター越しにも伝わってくる人間に対する殺意。
本能が完全に敵と認識している。
たとえ人間の知能を持ったとしても、そう簡単に仲良くなんてできないだろう。
「殺せるの‥‥生き返らせればいいの‥‥。それで話せば分かるの‥‥」
話せば分かるか。
それはある程度価値観を共有できる間にしか存在し得ないものだよ。
俺たちにいきなり動植物を食べるなと言っても、それは生きる為の本能だし、食べなければ生きてはいけない訳でやめられない。
植物だけでも食べられれば生きては行けるけれど、動物は食べるなって云われて従えるのは極僅かだ。
「狛里は不老不死で食べなくても生きていける。でも、今から生き物は何も食べるなって云われて従えるか?あいつらにとって俺たちは敵であり美味い肉なんだぞ?」
「それは困るの‥‥。肉なら食べるの‥‥」
方法は無い事もない。
奴隷化したり洗脳したり、或いはアルカディアでやっていたように俺の意思がこもった人形にする方法もある。
でも俺たちはいずれアルカディアに帰る訳で、後にどうなるかは自明の理。
連れて帰る事はできないのだ。
ゴーレムならいなくなった後もなんとかなるかもしれないけれど、意思のこもった材料を用意する時間も何もない。
「僕も一緒に行くのはどうかしら?狛里が殺せなくても僕が心臓を抜き取れば下僕にできるわよ。幸いハチ公は男だし、人間の姿になってくれているわ」
「おっ!なるほど」
俺がやったら後に問題が出るけれど、アーニャンはこの世界の住人。
それにハチ公を下僕にできれば、アーニャンにとってはメリットだろう。
いや待て。
ハチ公を下僕にできるのか?
レベルは分からないけれど、おそらくアーニャンよりもあいつらの方が上だろう。
上位の者にそんな能力が果たして何処まで通用するのか。
仮に通用したとしても、悪意の塊のような奴らを下僕にして、アーニャンは何処まで統制できる?
悪いことはするなと命令したとして、悪い事の判断に問題は出るだろう。
人を食う事が悪いとは判断しない。
人を殺すなと命令したら、死なない程度に肉を食うはずだ。
完全なコントロールは、相手が最低限まともでないと通用しない。
それでも閉じ込めておく事はできるか。
いや、結局何か問題が生じれば、大惨事に繋がる未来しか見えない。
「既に四人のハチ公が姿を現しているわ。なら日本には策也がいれば大丈夫でしょ。今度は僕と狛里で中国に」
「ちょっと待ってくれ。アーニャンが下僕にしたとしても、ハチ公たちを完全に統制するのは無理じゃないか?奴らに常識は無いぞ?どう命令した所で問題を起こす可能性が高い」
「んー‥‥。そう言われると自信はないかなぁ」
結局殺してしまわなければならない相手なんだ。
そう思った時、冥凛が訴えてきた。
『どうした冥凛?何々?愛の小石が私にはあるよ?』
そうか!
ならば邪心を祓えばいいのか。
愛の小石の力は都合がいいんだよね。
人間にとって、或いは周りにとっての悪意を取り払ってくれる眼。
但し基本的には死んだ者の魂に働きかける訳だから、殺さなければならない。
瀕死や仮死状態でもそれなりに効果を発揮するはずだとは思うんだけれどね。
「アーニャン。『卒業』は死んだ人に対しても有効か?」
「んー‥‥。試した事はないけど、心臓を抜いた時点で死んでるわよね」
「そうか。ならばとりあえず狛里とアーニャンで中国の武漢に行ってもらう。着いたらそこで冥凛を送るから三人でハチ公を攻略してくれ。方法は‥‥」
狛里が三人のハチ公をぶっ飛ばし、弱ったり死んだ所で冥凛とアーニャンで従順な下僕とする。
「んー‥‥。僕も一人のハチ公相手に全力で戦ってみるわね。無理そうなら狛里に頼むから」
というか冥凛が行くならハチ公も倒せるのではないだろうか。
色々と悩んでいたけれど、女王がいない今となっては、妖凛と冥凛が一緒になっているパーフェクト策也じゃなくても問題はないはずだ。
でも油断はしないで行こう。
ちょっとした油断で仲間を失いたくはない。
俺は一寸神を召喚して狛里とアーニャンの影へと沈ませた。
「それじゃ行ってくるの‥‥」
「狛里、頼む」
「超大型豪華客船に乗ったつもりで大丈夫なの‥‥」
「そりゃ頼もしいな」
「ちょっとワクワクしてくるわ」
‥‥。
アーニャンが本当に大丈夫かは分からない。
でも自信を持っているし、最悪冥凛もいるから蘇生はできるよな。
「アーニャンの強さを見せてくれ」
アーニャンはサムズアップしてから萬屋を出ていった。
俺は一人萬屋に取り残された。
なんか寂しいぞ‥‥。
俺はパソコンで情報収集しながら、テレビの報道を随時チェックするのだった。
時計の針は刻一刻と進んでいた。
おそらく天冉がハチ公と遭遇するのは、狛里たちが遭遇する時間と同じくらいになるだろう。
カナダ軍はそれまで、どれだけ蜂の侵攻を抑えられるか。
中国は流石にデンジャーも強い。
伊達に大国じゃないな。
デンジャー試験も中国で行われるくらいだし、流石と言わざるを得ない。
しかしどうして中国にハチ公は行ったのだろうか。
しかも三人だ。
何か理由がありそうだけれど、今の所納得いく理由を伝えるメディアはない。
『バンクーバを守る為に、カナダ支部のプロデンジャーがやってきました。これでもう安心でしょう』
「ほう。プロのデンジャーが五人か。こりゃもしかしたら天冉の出番はないかもな」
モニター越しにも強さを感じる面構え。
おそらく核戦争を止めた頃の強力なメンバーではないだろうか。
しかしハチ公は沢山の働き蜂を引き連れている。
肉がかじられ逃げられでもしたら、ハチ公が更にパワーアップ‥‥。
「ちょっと待て!なんで働き蜂がいるんだ?」
今更だけれど、これは重要な事を見落としていたのではないだろうか。
核兵器の攻撃からハチ公が守った?
いや、生き残ったハチ公の映像が放送された時、働き蜂は一匹も映ってはいなかった。
もしかしてカナダって、某国が放った新女王がまだ見つかっていない?
新女王がいたんだ。
生物の本能として、子孫を残す事は最も大切な事。
外敵と戦うのもその為と言える。
もしかしてカナダに行った理由は、新女王がいるから?
だとしたら何故中国に三人も‥‥。
なるほど状況がだいたい分かってきたぞ。
おそらく中国は、複数の新女王をまだ確保していたんだ。
だから三人のハチ公が新女王を助けに中国に向かった。
もしこの考えが正しければ、おそらくハチ公が後一人残っていたとしても、日本には来ない可能性が高い。
そして四匹以上の新女王を中国が捕獲していたら、おそらくもう一人の生死不明だったハチ公は死んでいるのだろう。
一夫一妻とは限らないけれど、その答えは後数時間もすれば明らかになるはずだ。
女王を捕まえるか駆除する事で。
カナダではプロのデンジャーが戦いを始めていた。
テレビカメラでは、ハチ公の動きを捉えるのが難しい。
一瞬一瞬止まった所だけが映し出される為、瞬間移動を繰り返しているように見える。
戦っているプロのデンジャーたちにもそのように見えているのではないだろうか。
それでもなんとか動きに対応しているのは、流石はプロと言った所。
でも駄目だな。
働き蜂が肉をかじって地味にデンジャーの力を削いでいる。
そう思った時、一瞬の内にデンジャー全員が引いた。
ここまでは時間稼ぎで、何かを準備していたようだ。
次の瞬間、ハチ公のいる場所を中心に全方位から、蜂たちを目掛けて火炎放射が撃たれた。
一瞬にして働き蜂たちが焼かれる。
働き蜂は数も多く凶暴な虫だけれど、所詮はただの虫。
範囲攻撃をされれば一瞬で駆除される。
全てとはいかないけれど、九割以上の働き蜂は炭になった。
するとその状況を見て、ハチ公は働き蜂を引き連れ後退する。
プロのデンジャーたちが追おうとするけれど、ハチ公をなんとかできるレベルにはない。
直ぐに逃げられてしまった。
撃退できたとは言えないな。
ハチ公の強さなら逃げる必要はなかった。
残った働き蜂を守る為に仕方がなかったのだろう。
そしてその働き蜂たちは、プロのデンジャー肉を持ち帰った事になる。
新女王が強くなる前に対処したかったのだけれど、こりゃ天冉だけじゃ少し不安になってくるな。
俺も行くしかないか。
或いは妖凛を送るか。
何にしても敵をこの目でハッキリと見てからだ。
つっても一寸神の目だけれどね。
最初の決戦は確実に近づいていた。
天冉がバンクーバ空港に到着していた。
それまでにハチ公が再び姿を現す事はなかった。
「それじゃ、とにかくまずは出現場所まで急ごう」
「そうねぇ~」
一寸神の俺は、天冉の肩に乗って周辺へのアンテナを張り巡らせた。
近くに蜂どもがいる可能性もなくはない。
探索魔法を発動し、ハチ公の居場所を探った。
都市部へは約十キロ。
そして俺の探索範囲も十キロ。
とりあえず都市部からこちら側にいれば見つけられるかもしれない。
しかしハチ公を見たと言ってもテレビ映像だ。
どこまで確実に探索できるかは自信がなかった。
せめてアナログ放送だったら、もう少しハッキリと探索できた可能性もあるのに。
デジタルって本当に映像しか伝わらないからなぁ。
この世界に来て初めて分かるアナログの良さ。
天冉は並みのデンジャーでも走れるくらいのスピードで、町へと急ぐ。
そして十分ほどで都市部までやってきた。
戦闘跡地はテレビで見た光景がそのまま残されている。
ただ住民は避難しているからか、少ない報道陣とデンジャーらしき人が何人かいるだけだった。
「この辺りにハチ公の気配はないか。できれば早くケリを付けたい。出現場所はもう少し北だったな。ならば北の山岳地帯を探してみよう」
「そうねぇ~」
天冉はすぐに更に北へと走り出す。
それを見ていたテレビカメラが俺たちを撮影していた。
日本でテレビを見ている俺は、画面の隅に天冉を見た。
不思議なもんだ。
本当に天冉はカナダにいるんだなぁ。
そんな事を思いながら、日本の俺はテレビとパソコンで情報収集を続けた。
北の山岳地帯に近づくと、蜂の気配を捉える事ができた。
「天冉、少し左だ。蜂どもがいる」
普通ならなかなか気付けないと思っていた。
しかし気づけたのは‥‥。
これは決して良かったとは言えない。
何故なら、その力が大きいから気づけた訳だから。
「私にも分かるわぁ~。この世界では魔力を持った人はいないのよねぇ~」
「そのはずだ」
魔力を持たずにこの力。
つまり俺たちが言う所の念力が大きい訳で、おそらくこれは神の領域に近い。
とは言え蜂はまだ魔力を抑える術をもっていない赤子のデンジャー。
倒すなら今だ。
俺たちは力を感じる場所へと急行する。
そして確実に仕留めなくては。
俺は妖凛と分裂し、セーブポイントを使って彼女も送った。
直後蜂を視界に捉える。
「まさか、そうきたか‥‥」
「あらぁ~。既に新女王も人間の姿になっていたのねぇ~」
「(コクコク)」
目の前には、ハチ公を喰らう新女王の姿があった。
「ハチ公までも喰らい強くなっちまった訳か」
「可愛いわねぇ~。策也ちんが好きそうなビジュアルよぉ~」
「(コクコク)」
おいおい。
どことなくみゆきに似ているからって、いくら俺でも蜂はストライクゾーンじゃないぞ。
「そんな事を言っている場合じゃないよ」
狛里たちは既に武漢に到着していた。
両方同時に戦うとか、それは話としても避けたい。
それに新女王はまだ完全体じゃなさそうだ。
今のうちにやっちまわないと。
「天冉頼む!」
「久しぶりねぇ~。ここならカメラも無いし存分に戦えるわぁ~。行くわよ~‥‥。荒魂ぁ~!」
「(コクコク)」
久しぶりに天冉の本気だ。
ぶっちゃけ今の強さになってからは初めて。
一体何処まで強くなるだろうか。
天冉は直ぐに新女王に向かってゆく。
途中飛び交う働き蜂を確実に抹殺しながら。
そして手刀をつくり新女王に向けて突き刺した。
羽衣袖の武器は使わないのかよ。
普段の華麗さは微塵もない。
ただただ恐ろしい殺人マシーンと化していた。
新女王は手刀をかろうじてかわしたものの、肩と腕が持っていかれる。
圧倒的じゃないか我軍は。
働き蜂が一斉に襲いかかるけれど、軽く払う仕草ののちに全て地面へと落ちる。
恐ろしいアンデットを見て精神が削られ死にゆくように、働き蜂は土へと返った。
人間の姿になったばかりの新女王は、天冉の敵ではなかったか。
理屈では分かっていた。
天冉の荒魂は強い。
レベルが一桁の頃でも、荒魂を使った天冉は人の限界値に近い強さを持っていたのだ。
実際に見て呆れるくらいだよ。
次に繰り出した手刀は、新女王の頭を貫いていた。
残すは残党狩りだけ。
散らばっている働き蜂を全て駆除していく作業へと移行した。
荒魂は、最初に定めた敵を全て倒すまでは終わらない。
今の天冉なら止める事もできるけれど、取りこぼしがあったら問題が残るかもしれないし、このまま最後までやってもらおう。
さてそれよりも‥‥。
深夜時間に入った武漢では、動けなくなった中国デンジャー部隊が食われる前に狛里たちが三人のハチ公前に立ちはだかった。




